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【小説】私たち、いつまでも電車に乗って

 広々とした車輌で、私たちは隅に寄り添うようにして座っていた。
 彼の右手は緩く私の左手を握っている。時折、ふしくれだった指が私の甲を滑る。
 窓の外では歩くような速度で世界が流れていた。湿った曇天のしたに静寂がぞろりと横たわっている。
 私たちはそれぞれにつないでいないほうの手で端末をいじっていた。もう久しく更新されていない文字列を縦へ横へとなぞる。何度も読んだ文章を飽きずにまた繰り返し黙読する。

 爪が短く切りそろえられた指が、淡いグリーンに染まった爪を撫でた。私の爪を見て、男受けしないと言ったのは誰だったか。彼は露に濡れたマスカットのような私の爪を見ると、いいんじゃない、と言った。可愛いとは言わなかった。けど、似合わないとも言わなかった。彼にとって、私の爪が何色だろうと気にならないのだろう。
 私も彼が髪を染めたとき、いいんじゃない、と言った。真夜中みたいな黒が朝日を受けたような明るい色になっていたのには驚いたが、彼の髪が何色であろうと私にとって問題にはならない。今だって窓の向こう側は曇天だが、彼の髪は車輌の蛍光灯で金に光っている。
 私の爪がつややかな葡萄のようでも、やわらかな桃のようでも彼に然したる問題はないし、彼の髪の色が夜をまとっていようと、朝をうつしていようと、私には些細なことなのだった。

 また彼の指先が私に触れる。さらりと乾いた皮膚が触れあい、つないだ手の温度だけがそろいになっていく。
 私はひと目のある場所でのスキンシップというものを嫌悪していた。視界の片隅で他人がべったりと身を寄せ、互いのからだをまさぐりあい、まるで世界にはふたりしかいないような振舞いが不快であった。たとえ服のうえからだったとしても、肌のうえをある種の意思をもって触る行為が目につくことが、無性に苦手で仕方がない。どうしてふたりの密やかな絆を無遠慮に周知させるのだろう。綺麗なばかりではないその情念はふたりきりで育み慈しむべきだ。
 当然、自分が外でそんな醜態を晒すことなど赦せるはずもなく、出掛けた先で私たちが触れあうことは決してなかった。彼はそんな私の特性をよく知っていたので、街中を仲睦まじく手をつなぐカップルに囲まれても、それに感化されて私に触れるような真似はしなかった。たとえば私が小さな段差に躓いて転けたときだって、彼は散らばった私の荷物こそ拾ってくれたが、起きあがるために手を貸そうとはしなかった。

 彼の指の腹が、私の爪の根元をなぞる。輪郭を確かめるようにゆっくりと、丁寧にたどっていく。私はそれを赦した。だってここには私たちしかいないのだから。

 私たちを乗せた電車はいまだとまらず、歩くような速度で走り続けていた。相変わらず空は鈍色の重たい雲に覆われ、からっぽになった街がのったりと流れていく。ずっと曇った空に朝も昼も夜もなく、いつまでも走る揺れに身を任せながら、線路はどこまでも続くのだと歌った童謡は本当だったのだと思う。
 名も知らぬ駅をまたひとつ通り過ぎるのを脳の片隅で確認しながら、手元の端末へと目を落とす。停滞した情報の海は今日も凪いでいて、私と彼の手の体温だけが均一だった。

<終>


最後まで読んでいただきありがとうございました。
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