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静けさと詩歌と相変わらず迷っているという話

最近はよく『suiu』にいる。
小説になりきれないくらい小さな言葉の破片を並べたり、なんか綺麗でリズムがよいなって思った言葉を置いている。
あそこは評価も閲覧数もなくって、ただひたすら美しく、鮮烈な言葉たちが並んでいて、静かでとても居心地がよい。
もし私を見かけたらよろしくお願いします。いや、よろしくしなくて大丈夫です。「おっ、いるやん」くらいでよいです。

短歌、読むのは好きだけれど創るのは苦手だ。

短歌には小説よりもルールがある。(と少なくとも私は思っている)
そして私は決まりから外れること、或いは、あなた決まりから外れてますよと他人から指摘されることが怖い。嫌いとか、苦手って言葉より、『怖い』がぴったりくる。
短歌ってきっと私が思っているよりずっと自由なものだろうけど(破調とか初句七音とかあるわけですし)私が書いたものは大丈夫だろうか、とかなり不安になって、見直すうちにもっとよくわかんなくなって、最終的にはパニックになる。
前に創作を投稿するときジャンルに迷うという話を書いたのだけれど、あのときから全然変わってない。ずっと迷い続けている。

私は自分が綺麗だと思った言葉の連なりをよいなと思っていて、それがたまたま短歌という形になったというのが感覚としては近い。
なので真剣に短歌に向き合っている人の作品と同列に並ぶことに気後れもある。私が勝手に気後れしてるだけなのだけれど。

他人の目を気にして自由に創作できなくなるのもよろしくないけれど、かといって素人が畑を荒らすような真似もしたくない。
(じゃあちゃんとお勉強しなさいねという話になるのだが、そこまで頑張る熱意や元気があるかというと……)

私個人としては、小説にしろ詩歌にしろ、あきらかに場違い(恋愛要素がまったくないのに恋愛小説に設定しているとか、やたら長々とした川柳を投稿するとか)でなければ、作者本人が選んだもので十分だと思う。
でも、多分そうは思わない人もいて、私はそういう人のことを考えてしまう。意味ないとわかっていても。

本当は、自分の感じるままに自由に創作できるのが一番な気がする。
同じくらい、ほかの人へのリスペクトや思いやりが必要な気もする。
ほかの人というのは、創作する人も受け取る側の人のことも含んでいる。
例えばジャンルを設定するとかルールを守るということは、同じ創作をする人へのリスペクトであり、探す人への思いやりになるのではないか。

いやでもやっぱり苦手だ。誰か代わりに決めて欲しいくらい苦手だ。
嫌いとか、怖いじゃなくて、『苦手』だ。できないわけではない。

難しいな……って頭抱えながら、今日も明日も明後日も、どこかで創作していることでしょう。できれば静かで凪いだところで。
もし見かけたら、ああやってるなって思ってください。

あっ、小説は下記に置いてます。

https://sutekibungei.com/users/oknm3


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