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【小説】夜に差すひと匙の金

 おや、どうしたんだい。
 ……そう、悲しいことがあったの。
 それじゃあ早く寝てしまおう。

 そのひとはそう言うと、誘うように枕を叩いた。

 どうしたの、早くおいで。
 眠れない? それは困ったね。
 じゃあ、僕のとっておきをプレゼントしてあげよう。

 キッチンへと向かう背中を追いかける。
 振り返ったそのひとは、ふっと表情をほころばせた。

 さあ、見ておいで。

 そのひとは小鍋を手に取ると、ミルクを注いだ。
 それから小鍋を火にかける。ちちち、とコンロが鳴く音。
 鍋の底、青い炎が揺らめく。

 悲しいときにはあったかい布団で寝てしまうのが一番。
 でも、もし眠れないときはどうしたらいいと思う?
 ……そう、あったかいものをお腹にいれてしまえばいいのさ。さらに甘いと最高だよね。

 そのひとは火加減を調節しながら、棚から瓶を取り出した。
 瓶のなかは金色で満ちている。

 どうだい、いい色でしょう。金色の月光にあてた蜜だよ。

 瓶から金色がたらり、きらきらと輝きながらあたためられたミルクへと落ちていった。
 優しい白色は甘いひかりを受けとめて、とろとろと微睡む。

 満月の夜に摘んだ苺のジャムなんかもいいね。
 でも、銀色の月光に当てた水飴はだめだ。あれは寝る前に飲むには爽やかすぎてしまうからね。目覚めの一杯にはおすすめだけど。

 のんびりと喋りながら、真鍮のスプーンでくるりと中身がかき混ぜられる。
 すっかり混ざりあったそれが、マグカップへと注がれた。いつも使っている、縁がまるくてやわらかなお気に入り。
 そのひとは、甘い湯気をあげるマグカップを恭しく手渡す。その目は三日月の形に弛み、楽しげな光がまたたいていた。
 ごくり、ひとくち。
 あたたかく、まったりとした甘さが満ちていく。地に足がつく。重力を感じる。

 ほら、これで眠れるでしょう。
 なあに、まだ眠れないのかい。
 ……なるほど、怖い夢を見るかもしれないって?
 それこそ心配ご無用だよ。だって僕がいるんだから。
 君が眠っている間、君が怖い夢など見ないよう、僕が見張っていてあげる。
 それから、これも特別に貸してあげようじゃないか。

 そのひとは、からになったマグカップとウサギのぬいぐるみを入れ替えた。
 ウサギは随分とくたびれていて、やわらかくて、きっと、とても大事にされてきたのだろう。

 その子と僕がいれば何も心配いらないよ。
 僕たちが、怖い夢から守ってあげるから。

 馴染みのある枕に頭を預けると、ふわり、布団がかけられる。
 隣にもぐりこんだウサギの赤いビーズの瞳が眠そうに瞬きをし、それを眺めていたら欠伸がもれた。
 からだのうちも、そともぬくまって、いよいよ瞼が重くなってくる。
 
 いいかい、また眠れないときは、僕を呼ぶんだよ。いつでも君のもとへ向かうから。
 名前? なんでもいいよ。君が僕のことを考えて呼んでくれたら、それが僕の名前だからね。

 とうとう閉じてしまった瞼の向こう側で、あのひとはひとり、微笑んでいる。
 悲しい気持ちも怖い気持ちも夜にとけてきえ、優しい夢が手招きしている。

 さあ、おやすみ。
 明日はきっと、今日より素敵な日になるから。

 ビロードのような眠りに包まれる。
 あたたかくて、音のない夜だった。
 まっくらな夜空のてっぺんで、一番星が輝いている。

<終>


最後まで読んでいただきありがとうございました。
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