技術という手段の目的化

Baseconnectのエンジニアは、技術が好きな人が多い。
今、Baseconnectでエンジニアとして活躍しているエンジニアメンバーを見ていると、「自分はなぜ技術力を磨くのか」を普段あまり考えていないように思う。

技術は会社の視点ではビジョンを実現し、事業を成長させるという目的を達成するための手段であると考えられる。
個人の視点でも、技術はキャリアを発展させるための手段であり、自分が実現したいものを実現するための手段である。

しかし、Baseconnectのエンジニアはキャリアアップしたいなど、それぞれのモチベーションはあれど、皆、自分が技術を勉強することが当たり前になっていて、技術のニュースを見て、技術的な知識を学び、技術に関わる時間を楽しんでいる。

多くのメンバーにとって、技術力を高めようとすることはおそらく当たり前のことになっていて、普段「自分はなぜ技術を勉強するのか」を考えていない。

僕にとっても、技術の学習は、それ自体が楽しく、学習すること自体が目的になっているなと思う。

そのように、本来は手段であると考えられる技術を高めること自体が目的になり、日常で当たり前に技術を学習するような状態を、僕は「技術という手段の目的化」が起きている状態だと言っている。

Baseconnectの開発部門で、エンジニアとして楽しい時間を過ごすためには、この「手段の目的化」が必ず起きている必要があると、個人的には思う。
少なくとも、「技術は手段」と完全に割り切っている人がBaseconnectの開発部門に入ったとしたら、おそらく居心地がかなり悪い思いをするんじゃないかと思う。



僕がそのように思うのは、大学生のときに自分がサッカーをしていて、「自分がなぜサッカーをしているのか」がわからなくなった時があり、その時間は周囲とのギャップがあり、とても苦しい時間だったからだ。

僕は高校生ぐらいから、サッカーの楽しさに気づき、のめり込むようにサッカーに熱中した。
結果的に上手くはなれなかったけど、とにかくサッカーが上手くなりたくて、毎日サッカーのことを考えていた。
それはサッカーが自分にとっての「目的」になっていた時期だった。

ただ、大学でサッカー部でサッカーをしているときに、ふと「なぜ自分はサッカーをしているのか」と考えるようになった。

僕がサッカーが上手くなっても、別に誰も喜ばないし、ましてや世界は何も変わらないし、試合で勝ったとしてもその分、対戦相手が悲しんでるし、サッカーをして何になるのかと思った。

当然、周りは大学でもサッカーを続けているくらいだから、サッカーをすることが当たり前で、当たり前のように全力を出す。

その時期は、自分の中途半端さからプレーのレベルは最悪で、周りにも迷惑をかけたし、ほとんどのことがうまくいかない時期となり、苦い思い出の方が多い。

気持ちを作り込めずに公式戦に出て、試合後に後輩から「二度と中途半端な気持ちで試合に出んな」とめちゃくちゃ怒られた。

その状態から脱したのは、大学を卒業してしばらくして「自分はサッカーが好きだからサッカーを頑張るんだ」と割り切れたときだった。




今、技術が好きで、当たり前のように技術に触れ、当たり前のように技術を勉強するエンジニアメンバーに囲まれている現状を、僕はとても気に入っている。

どれだけ時間が短くなっても、コーディングはわくわくするし、AWSをさわるのも好きだ。プロダクトをユーザーが使ってくれたら嬉しい。
システムの課題を解決するためのエンジニアの議論は刺激的で、聞いていて本当に楽しい。

Baseconnectのエンジニアは、技術のプロとして、頭では「技術は手段」だと理解しているが、みんなが技術が好きで、技術の話で盛り上がれる。
きっと、Baseconnectでは、技術という手段が多くのメンバーにとって、当たり前のように探求する「目的」になっているんじゃないかと思う。

そういう組織の雰囲気をずっと大切にしていくことが僕の一番大切な役割のひとつだと思っている。



もし技術が好きなエンジニアの人で、今の周りの環境に少し恵まれていない人がいたら、もしかしたらBaseconnectの開発部門は良い場所になるかもしれないので、良ければ選択肢のひとつとして、検討してみてほしい。

Baseconnect 採用ページ
https://company.baseconnect.in/recruit/

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