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ただ、ただ、外の世界を見たかった!

あの時の私、大学1年生。高校の時よりも縛りが緩くなり、車を持ち行動範囲が増え、一人前に近づいている気がしていました。私は、ウチナンチュ。そう、島人(シマンチュ)です。家族で本土へ国内旅行は何度もあったけれど、国内一人旅はおろか、海外旅行なんて経験ゼロ
大学には県外からの学生に、外国からの留学生。彼らが話してくれる故郷の話やお土産、ギャップに驚き、沖縄がとても小さく感じ始めました。とたんに冒険心が沸きました。外に出てみよう!選んだのは、国内でも、すぐ隣の台湾でもなく、オーストラリアのシドニー。その理由は、テレビでみたオペラハウスの美しさでした。ただ、それだけ。英語は、ペラペラではないけれど、まぁ、どうにかなるだろう。なら、パスポートを作らねば。旅費は、バイト代!しかし、足りないので親に頼み込み、ホステルを予約。無謀で世間知らずな女学生は、その作業を終えただけで、「できるヤツ」な気がして達成感でいっぱいでした。それだけで、とりあえず大丈夫、とプランゼロ。旅立ちました。なぜか、空港で思い立ち、普段はそんなに食べなもしない沖縄のクッキー「ちんすこう」を購入。台湾で乗り継ぎをし、ホテルのフロントで出会った、沖縄の大学で日本語を勉強しているという、ポーランドの女性と二人で「ちんすこう」を食べながら、お互いの旅の話。この女性は、母国に一時帰国するそう。彼女も「ちんすこう」を買っていました。「ちんすこうって、ペアをくっつけると、ぴったりはまるのよね。だから、結婚式のお礼に使うんでしょ?素敵だね。」と彼女。外国人にそう言ってもらえたことに感動しました。そして、彼女が「初めての海外旅行で、台湾で一泊なんて、2国行ったってことだね!お得だね。」「一石二鳥ってこと!?」とテンションマックス。彼女とは「沖縄でまた会おう!」とお別れし、いざ、オーストラリアへ。
思い立つまま飛び乗って旅に出ただけの無計画な旅。オーストラリアに到着。沖縄で聞くアメリカ英語とは違う、イギリス英語似のアナウンスにとまどいながらも新鮮さを感じ、どうにかホステルに到着。予定もないので、とりあえず、翌朝07:00出発のツアーを予約しました。ホステルでのルームメイトはブラジルの女の子。お互い、英語は第2言語で通じ合っていたのかは不明ですが、夜は二人でバーに繰り出し、かっこいいオーストラリア人にナンパされたものの、その男性と消えていったブラジル人。いいのか悪いのか、私は、小心者。彼らの言ってること、そもそも分からない。本当は悪い人かも?明日、ツアーあるし・・・。私は、タクシーに飛び乗り部屋に戻りました。もちろん、翌朝のツアーは寝坊でバスに間に合わず。そして、二日酔い。でも、「高いお金を払ったし、せっかく来たんだから!」と、ツアー先の山で追い着くことを企て、駅へ。とりあえず、聞きまわれば、どうにかなるだろうというのが、計画です。しかし、やはり無謀です。私が学んでた英語とは違うことを思い知らされます。わからないのです。立ちすくむ私に、男女二人、モニカとベンが声をかけてくれました。偶然、彼らは私の行き先の山でマッサージスクールに通っていました。親切に、ツアーのバスをキャッチするまで一緒にいてくれました。道中は、顔色の悪い私を笑い飛ばしながらも気遣ってくれ、お礼にあげたちんすこうを頬張りながら、沖縄についての質問攻め。私のつたない英語だって、彼らは気にしない感じで、沖縄についての質問攻め。でも、なんだか、故郷の大使になったような感じで嬉しくて、英語が上手ではないことだって、気になりませんでした。沖縄をもっと知りたい!と言ってくれる彼らと、翌日も約束をし、別れました。
二人のおかげで、無事ツアーバスを探し出し、まるで英雄のようにバスに拍手で迎えてもらい、自己紹介をしろと言われ、また昨晩の二日酔いを笑いに変えられ、恥ずかしい。ただ、故郷では考えられないこの状況を、異国ではそれも楽しい。そして、遅れてでもバスをキャッチした私を各国からのツアー参加者の仲間が、まるで子どもを連れているかのように気にしてくれていました。日本の話、インドの話、もちろんオーストラリアの話。気が付くと二日酔いなんてなくなり、私が英語下手なんて気にしない、国境を感じないような空間がありました。
翌日、案内してくれたモニカの両親ホエールウォッチングツアーをやっているとのことで、無料で参加させてくれました。そこで海へ。島人なのに船酔いするのか!?!?と言われながらもクジラのジャンプを見て興奮し、沖縄にもクジラが出産と子育てをするためにやってくることを伝えました。すると、「きっとこのクジラたちは、ここを出発して沖縄へ行くんだよ。君の帰る沖縄で、また会えるかもしれないよ」とウインク。なんだかすごく温かくて、海でつながっている感じがして、うれしかった。ツアーの後は、バーベキューをしてくれ、結局、ホステルをキャンセルし、それから3日間お世話になったのです。あっという間に最終日。「日本の小さな島のことなんて知らなかった。沢山の事を教えてくれてありがとう」と大きなハグで、空港まで送ってくれ、泣きながらお礼を伝え、また会おう!と約束。すると、「クジラにのってくよ!」とお父さん。また、泣けるじゃん、泣きやめられないじゃん!。
帰国した後は、英語と異文化に目覚め本格的に勉強しました。そして、翌年、案内してくれたあの二人は結婚新婚旅行で沖縄までやってきました。もちろん、「クジラできたよ!」と。そして、その2年後、彼らの家族も沖縄へ来てくれました。やっぱり、「クジラで来たよ」と。あの旅から私たちの交流は続いています。彼らは、私に出会った後に、マナティがいることを知り、観光のための開発を気にし、もしかしたら私以上に島の事を気にしているかもしれません。モニカとベンは、4年に一度は子ども達をつれて家族でやってきます。彼らが私に話すのは、「小さな島だけど、とても美しくて、沢山の島がいっぱい。この、規模感、いいね!」。そして、私はオーストラリアへ行く度、沢山の冒険をさせてもらっています。そして、私が言うのは、「オーストラリアって、大きい。動物も場所も自然も、一生かけても全部見れないよ。一周だって、できないいよ。」
現在の私は、米軍属の子ども達が通う学校につとめています。学校の子どもたちは、沖縄の海や自然を楽しみ、話してくれます。「アラスカに転勤なんだ」と聞くたび、「沖縄のクジラ、ここを出たら、アラスカに向かうんだよ!沖縄で生まれたクジラは、アラスカにつくころには、きっと大きなクジラになってるね!」と話します。アラスカに駐在していたことがある子は、「あの時に見たクジラかもってこと?」と好奇心旺盛に見つめてきます。おなじみの私のクジラフレーズは、オーストラリアで出会った彼らからもらいました。
若いころの私のオーストラリアへの大冒険。今思うと、とても無謀で危なくて危険と隣り合わせ。私は、ただラッキーだっただけ。ですが、オーストラリアで出会った出会いとクジラが、私を世界とつなげてくれています。おなじみのクジラフレーズもできました!
追記:ホステルで一緒にバーに繰り出したブラジル人の彼女は、無事に戻り「ビューティフルナイト!」と興奮していました。そして、台湾で出会ったポーランド出身の彼女とは、あれ以来、会えていませんが、彼女のおかげで、「一つの旅で、2国行けるって、一石二鳥じゃん!」というフレーズを使い続けています♪

#私を変えた旅先の出会い #LivingAnywhere Commons

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