歳を取ってからの「幸福度」の優先順位

他人様のブログで紹介されていた書籍の内容についての孫引き記事で誠に恐縮でございます。

NightWalker氏が「おもしろかったのが」と引用されていた部分が、当記事の本題。

まずは「セロトニン」を分泌させる「心身の健康」、次に「オキシトシン」を分泌させる「愛情・つながり」、最後に「ドーパミン」を分泌させる「成功・達成」という生き方が理想。

「老後の年表」

NightWalker氏は

「成功・達成」が第一の人生前半とは、順序が逆。

とお書きであるが、自分も全くもってその通りと思う。

自分なりに表現をちょっと変えてみる。
自身が心身ともに健康であり、他人とのつながりも豊かである場合は、それらを踏まえた上、すなわちセロトニンとオキシトシンが満ちた身体でドーパミンが分泌されるような目標である「自己実現」を目指すことになる。
つまり、「人生前半では『成功・達成』が第一になる」というのは、若くて健康で周りに友人や仲間がいっぱいいる時は、『心身の健康』や『愛情・つながり』はあって当たり前の存在であり、だからこそそれらを意識せずに『成功・達成』にいきなり向かうことができるのだと思う。

だが、健康を損ねたり、他人とのつながりが弱まったりすると、ドーパミンの分泌より先にセロトニンとオキシトシンの分泌を求めるようになる。そうなってしまう環境変化の最たるものが定年退職をはじめとする「老後の入口」なのだろうと思うが、それ以外でもそういう環境変化は起こりうる。

もちろん、客観的に見て心身の健康が損なわれている状態でも、当の本人が「それはそれ」とその状態を受容してしまえば、残存能力を活かして生活するだけでも十分にセロトニンが分泌されることはあると思う。
同様に、心許せる人が周囲に一人もおらず、敵に囲まれて孤立した環境であっても、「自分はそれでいい」と状況を受容していれば、例えば身近な動植物や無生物を擬人化友人化してその反応からオキシトシンが分泌されるように生きることは可能だと思う。

とはいえ、今の自分自身のことも考えると、自分の身体に不自由があったら、まずそれを治したいということで頭がいっぱいになり、ライフワークだの将来の夢だのということは「身体を治してから仕切り直しをして考えよう」になってしまうのが現実だろうと思う。
『成功・達成』に気持ちが向かなくなった時は、自分の『心身の健康』と『愛情・つながり』が十分であるか再確認する必要がある、という言い方もできるかなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?