見出し画像

ミニマリスト? いいえ買い物下手です

引っ越ししたばかりで何もない状況下。
ばんばか物欲の限りを尽くしている……かと思えば実はそうでもない。
もやしはもともと物をあまり買わないので物が増えません。
今も『必要そうだけどまぁいいか』と先送りにしてしまい、引っ越しが滞っている状況だったりします。

そういえば今は物を持たない生き方を『ミニマリスト』と呼びますよね。
買い物下手なもやしも末席ながら座らせてもらってるかもしれませんよ!

1:もやしが物を買わない理由

真っ先に思い浮かぶのは『お金がない』とか『物欲が希薄』とかが挙げられそうですね。
理由という意味では『既に持っている』のも一つかもしれません。
けれどもやしの場合、買うお金や物欲がないわけではありません。
単純に欲しいと感じたものでも、買う前に『支払いに見合う物か?』と一度立ち止まって考えてしまうからです。

この時の『支払い』に影響を与えるのは、欲しいと感じた物の相場だけではありません。
同額で得られるだろう別のサービスや商品とも比較してしまいます。
この時に維持費が掛かる場合なんかはハードル高めですよね……
たとえば都会のように移動手段が確立されているなら、そこまで車に魅力を感じませんし。
こうなると『本当に欲しいのか?』の問いに明確に答えらず、欲しい物でも見送ることが多いのです。

また、そうした一次選考を突破した購買意欲をくじくため(?)、今度は『失敗してもいいものか』なんて自問が始まります。
本来なら手に入れた自分を想像し、ウキウキするはずのシーンで失敗を織り込む。我がことながらどう考えてもネガティブすぎます。
過去に詐欺にでもあったのかと疑問を持たれそうなくらいの警戒感ですが、今のところありがたいことに経験はありません。

あとは処分の時のことも考えてしまいます。
使えるか否かはともかく、自分にとって不要品となったとき、どれだけ簡単に処分ができるかはとても重要ポイントです。
先の例で挙げた車であれば『処分=買い取り』の構図が出来上がっているので、需要と買取額が高いものになります。
ここに維持費を加えると軽自動車一択という……なんと選択肢の狭い実利的な買い物かっ!
ともあれ、小さな物はともかく大きな買い物であるほど後始末が大変なので、いちいち気にしてしまうんですよね。

こうして二段……いえ、驚異の三段構えの物欲センサーのせいで高かった購買意欲はもう虫の息。
無駄遣いしにくいという観点からはとても優秀な物欲フィルターですが、結局『物欲はあれど物は買わず』なんて状況に陥るのです。
ちなみにこんなことしてると必要な物でさえ見送ってしまい、生活が不便なままなんてことにもなりかねません。
まさにもやしの家に『電気ケトル』がなかった時のように……今はありますけれどね!

2:もやしが物を買う『必要に駆られたとき』

さて、ここまではもやしが物を買わない話を延々と行ってまいりました。
では逆に、もやしが購入に至るプロセスはいかなる物か。

それは悲しきかな『必要に駆られたとき』に他なりません。
なんかもう、最後の一線みたいなレベルで買わないんだな、って愕然としますよね。
でも想像を広げてみてください。この『必要に駆られたとき』というのは、何も日常生活に限った話ではないのです。

たとえば趣味。
参加するには道具が必要だけど、頻度が低くて持ち合わせがないものなんてどうでしょう。
その際の選択肢は二つだけ。レンタルか購入か。この状況、想像つきますか?
これはボーリングの専用シューズなどが挙げられます。

回数を重ねるなら買った方が圧倒的に安上がり。
けれどそんな頻繁に来るかと訊かれれば首を傾げてしまう代物。
というか限定された場面でしか使えなないので、結構二の足を踏んでレンタルに走ってしまいます。
けれどこうした遊びはハマるほどに金額を積み上げ、使った額に応じて満足度も上がっていくものです。
お金の使い道としては最高かもしれませんね。

ちなみに何でもやってみるを信条に掲げるもやしは、興味が分散される傾向にあります。
このためレンタルするのが基本なのですが、先ほどのボーリングに関しては一時期ハマって週一回くらい通っていました。
今思えば買っていればよかったのに……マイボール。マイシューズ。なかなかいい響きですね。
あれ、また買わない話してますね。おかしいな。

買わないリストの中でもトップに上がってくるのが衣服です。
今の服って丈夫な物が多くかなりの長期間使用できます。こうなると興味がないことが災いして買い替える動機がありません。
加えてここでも三段構えの物欲センサーが働き、新たな服が入ってこないせいで捨てることもなく。同じものを延々と着続けることになります。

もちろんもやし的には新しい風が欲しいんですよ?
けれど結局「まだ買わなくていいか」と先延ばし。優先順位が低い上にさして不便に感じていないんでしょうね。
予備も用意できていないので、破れたり壊れたりすると『必要に駆られて購入』することになります。これです。

どうにもならなければ買うのは間違いないので、自ら背水の陣を敷くことにしています。
たとえば実家暮らし→一人暮らしにジョブチェンジ(引っ越し)する際に持ち込んだのは服とパソコンくらい。
他はすべて買い足すことにして『必要に駆られて』を演出したのです。

これはとても効果を発揮し、電化製品、布団、パソコンデスクは言うに及ばず。あらゆるものを買い漁りました。
そして同時に軽く後悔。一人がある程度快適に生活するのに必要な物が多すぎる!
どれだけ便利な物に囲まれていたかを金額で突き付けられますよっ!
あ、でも買い物が楽しいって久々に思えたのでよかったかな。

3:もやしが物を買う『衝動買い』

そんな節約生活(してる気はないけど)を営むもやしであっても抗えない魅惑の行為。悪名高き衝動買い。さすがです。
などと煽ってみたものの、もやしの場合は衝動買いをかなり好意的に見ています。
だって三段構えの物欲殺しをスルーして財布にダイレクトアタックしてくるとかすごくないですか?
つまり【直感的に】自分に必要なものなんですよ。ここ、とても重要です。

実際に衝動買いで手に入れた物は、たった一度きりしか使わなかったものでさえ後悔したことがほとんどありません。
まさに物より思い出との言葉通り、『得難い経験をした』と感じるのでしょうね。
もちろん、消耗品でない限りは何度でも使用可能なので再現性まであり、実にお得な買い物であったわけです。

たとえば社会人になって一目惚れした長財布は、今まで購入したこのとない金額で、しかも手持ちでは足りませんでした。
そこでもやしはわざわざATMに足を運んでお金を下し、店に戻ってお買い上げしました。
財布より中身の方が少ないって現実にあるんだな、って実感した瞬間です。
この場合は移動で時間が開けているので衝動買いとは言い難いかもしれませんね。

他にも勢いで買ったスロージューサーは、半年くらい継続使用した辺りで「あ、これフルーツ食えばよくない?」などと天啓が下りて使わなくなりました。
ここだけ見るととても間抜けなお話ですが、今までフルーツを食べる習慣がなかったもやしの意識改革がされたと思えば安いものです。
ちなみに生野菜も一緒に入れて飲んでいたからか、そちらも食べるようになりました。

このように、直感が『必要である』と囁く物は極力買うようにしています。
まぁ、これらの経験のせいで購入する許容額が切り上がっている気がするのは困りものですが。

4:生きるのに必要なものは?

持ち込んだ物で言うとパソコンと椅子です。どちらもないと困る。
当然デスクも……と思いきや、そちらは持ち込んでいません。解体・組み立てが大変なのと、ずっと不満があったからです。
このように、使用していない。使い勝手が悪い。気に入らない。
理由はさておき、結果的にもやしが持ち出す物ってほとんどありませんでした。
もやしにとって不要な物に囲まれていたのだと痛感させられる事件です。

結果、ほぼゼロの状態から必要な物を買い揃えていっています。
そこで感じたのは想像していたよりも必要な物、使っている物はとても少ないということです。

また、それらの不要品が視界から消えるだけで精神的にも物理的にも余裕ができるみたいです。
空いたスペースで何をしようか。アレやるには少し足りないかな。こんなものを置いてみるのもアリだな。
そんな風に枯れていた期待感が疼くのを感じます。

もやしのように一掃できる機会はそう多くありませんが、定期的な断捨離は本当にオススメですね。
まずは部屋の中にあるシーズン物を除いて、一ヵ月以上使わない物ってありませんか?
一ヵ月が短すぎるなら半年でも……いえいえ、何なら一年にしても構いません。
それだけの期間置物になっていると、思い出すことすら難しそうですよね。
大丈夫です。みんなもいっぱい不要品を抱えていますから、まずは怖がらずに吐き出しましょう。

――いつか使うかもしれないから
――捨てるなんてもったいない

そんな想いが聞こえてきそうですが、想像上での『いつか』はほとんど来ません。
むしろ必要になったときに改めて買った方が得策です。知らぬ間にガラクタになっている可能性も否定できませんからね。
捨てるのが嫌なら売ったりあげたりすればいいのです。自分にとって『優先度が低い物』が他人にとっても同じだとは限りません。
欲しがる人がいるのならば値段が付きますし、むしろ誰も必要ない物ならば自分が持っていても意味はありませんよね。

これでもまだもったいない精神が疼くのならば、こう考えてみてはいかがでしょうか。

『その置物スペースをトランクルームの使用料に換算すると……?』

もちろん、実際にスペースを貸したり借りたりするわけではありません。
ですが、家に不要品を置いておくだけで、毎月数千円以上掛かる『スペース』を無駄にしていることになります。
少しはもったいない精神の疼きは収まったでしょうか?(笑

究極的なことを言えば衣食住があれば生きられます。
部屋に何とか詰め込む生活は終わりにして、一度整理をしてみましょう。
不要品がなくなったスペースで、純粋に利便性や楽しみを得られる物で満たしましょう!
もしかすると新たに費用が掛かるかもしれません。けれどそれも十分な楽しみだと思いませんか?
もやしは今持ち込んだ服の処分を目論んでおりますよ!

#もやしいため #日常エッセイ #引っ越し #断捨離

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?