『なんのために歴史を学ぶのか』を教えてもらった話
子供の時の話。
ことの始まりは父と父の友人が歴史について話しているのを聞いていたときだった。
前後の話はあまり覚えていない。確か、南京大虐殺についての話で、教科書に載ってないと言うことを私が父とその友人にたまたま話したときだった。私はその時、南京大虐殺について本当は実施されてないのではないか?と考えてた。だから戦後のでっち上げじゃないのか?だから教科書には載ってないんだ。(今思えばなんとも傲慢な考えだが)と父の友人に言った。そうすると彼は少し黙ってこう言った。
「南京大虐殺が実際に日本軍がしたのかは問題じゃないんだよ。誰がやったのかは問題じゃない。重要なのはそこ(南京)で大虐殺が実際に起こっていたと言う記録がある事実は知っておくべきなんだよ。」
頭を殴られたような衝撃だった。
自分に都合の良い事実しか見ていないと言われた気がした。
私は気づかないうちに、感情でモノを判断していた。
そして、日本は悪くないんだって思いたかったのかもしれない。それを正当化するためにあえて目を瞑って見ないようにしたものがあると突きつけられた。
そして続け様にこう言った。
「感情で否定する前に一度調べ尽くしてからもう一度考えるべきで、それをしないままにどうこう言うのは良くない。だからいろんな本をたくさん読んだ方がいい。そうしてまた考えるんだよ。」
そして最後に
「とても難しいことだけれど、自分をしっかりと持って生きていくためには必要なことだよ。歴史は国によって同じ出来事でも書かれ方が違うからね。コレが歴史を勉強する意味なのかもしれないね。」
10年以上経った今も覚えてる。
まぁ、実践できてるのかはあまり自信がない。すっごく難しい。
物事には様々な見方があるけど、人は自分に都合のいい事実しか見ない。
最近はいろんなことが起きた。今も起き続けてる。
だから今一度、父の友人が言ったことを噛み締めて生きていきたいと思う。
自分が得た情報に感情が混ざってないか。
それは本当に事実なのか。他の見方はないのか。
めちゃくちゃ面倒で大変だけど今の時代、自分を守るためには、他人に無意識のうちに操られないようにするには、いちばん手っ取り早い方法だなぁと思う。
なんでいまさらこんなこと書いてるのかって言われたら、最近のニュースを見ててふと思い出した。ただ、それだけ。
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