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【はじまりはここから⑦】天上の楽園

(カバー写真は、北沼)

クワウンナイ沢の源頭でゆっくり大休憩した一行は、地下足袋から背負ってきたキャラバンシューズに履きかえ、そのまま東へ縦走路に向かう。
乾いたニットの靴下が心地よい。
右に、つまり南へ折れ、トムラウシ山へのロックガーデン地帯に突入する。
体力がバテバテで、隊列もバラバラに長くなりはじめる。荷物の軽い先輩たちはぴょんぴょん先に行くのが癪だ。
この大きな岩が堆積するロックガーデン地帯は、黄色いペンキで時折進路が示されているものの、これでもかこれでもかと幾重にも迫り続いてくる。
ピチッピチッと金属音がする。ナキウサギの声だと言う。氷河期の生き残りで、特別天然記念物だとか、そんな貴重なものを初めて見た。
せわしないが、じっとしている姿は、山の哲学者とも呼ばれているらしい。

天気は安定した晴れのままだ。
北沼のほとりまで来た。
山の上にひっそりとした蒼い沼があるのだ。
水面は空を映している。
時期は真夏なのに北沼には大きな残雪がある。
雪渓と呼ぶのだろうか。
どこかの大学パーティが岸でキャンプをしていて、女子大生が裸で水浴びをしているのを、先頭の集団は見たとか見なかったとか…それで誰かさんが鼻血を出したとか出さなかったとか…


沼岸に降りた道を、山裾を西側からぐるりと周って、南沼キャンプ指定地へ着く。
チングルマやエゾノツガザクラ、エゾコザクラたち(名前は後で知った)が咲き、庭石のような岩が点々とある天上の楽園のようだ。
近くの雪渓からは水がチロチロ流れ出している。
大雪山はカムイミンタラ、神々の遊ぶ庭だと教わったが、まさにその一部のようだ。
どんな庭師でも作れはしまい。
地面が表れているところにテントを張る。
ほかに数パーティがテントを張っている。

天候の良いうちにトムラウシ山の頂上へ行こうということになり、みんな空身でゴロゴロした岩の上を南面から目指す。
標高2141m、太い丸太に長方形の金属板で山名と標高が縦書きで記されている。
後に百名山ブームで「遥かなる山」と呼ばれるトムラウシ山だが、山岳部に入部してわずか4ケ月で登頂させていただいたことになる。
誰もカメラは持っていなかったような気がする。
(使い捨てカメラが登場しだした時代だが…)
あまり感慨はなく、早くテントに帰って横になりたいとばかり思った。
夕食は、レトルトカレーだった。
一日を長く感じた。
こんなに長い一日は、生まれて初めてだ。
クワウンナイ沢の朝から、南沼の今夜まで長く濃密な時間だった。精力一杯、身体一杯、頑張ったのだ。
滝から落ちたO君も無事だったし、みんなケガなく、脱落者もなく一日を終えられた。
先輩たちはテントの中で、トランプを興じているようだ。

棒になった足をようやく横にして、眠ることができた。夜はひんやりとした。


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