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大雪山・永山岳

日程:2001年6月1〜3日
メンバー:高体連北見支部


 高体連山岳競技・地区大会の審査で大雪山へと行ってきました。
普段の山行の自由さとはまた違った、若さと元気溢れる高校生と山好きな先生たちとの楽しい山行であり、また普段仕事や日常生活で接しない高校生たちと過ごす時間はとても刺激になり、元気をもらえます。

 天候には恵まれず、非常に難儀した状況下の登山でありました。6月の大雪山ではやはり降雪による寒冷、まだ冬山の牙を向く世界であるということをつくづく体感しました。
 そのような中、この神奈川県全体の大きさもある大雪山国立公園のこの広大さ(約23万ha)、山麓の深さ、渓谷景観の美しさ、森林の年代の重さというものに包まれてきました。まだ積雪多いこの時期、少しばかりの林床に咲く高山植物たちとも出逢えました。

 登山口である愛山渓温泉も、永山岳も高校の頃の想い出と、なぜか空間的に一致しませんでしたが、それは12年もの年を重ねたせいからなのでしょう。
愛山渓・永山岳は、高校時代、仲間と最も多くの山行や合宿をした想い出の地です。古のヒュッテや裸電球の外風呂、眩しい春山、感動した星空などたくさんの想い出があります。そして、故H先生、後輩の故G君を追悼しているケルンが頂上にあるぼくたち当時の山岳部員にとっては特別な山なのです。

 大会前夜に掲示板に匿名で書き込みしていただいた生徒さんの言われるように、また新しく赴任された顧問先生のお話と共に「山岳部」という
ものの存在というものを考えさせられた山行でもありました。
 一部の意欲ある生徒の立場を考えたとき、大会では4名で1パーティですから、人数が揃わないと競技として審査されませんし、全道、全国大会へも行けません。生徒ひとり個人が体感する「心に残る山」と、山岳部としてみんなで楽しく心に残る山というその違いは、本当に仲間に恵まれるか否かという縁みたいな要素があるのかも知れません。

 こうした審査基準による大会では、山岳部としての普段の活動が反映されるパーティとしての審査を対象とするため、生徒一人ひとりが感じる素晴らしい瞬間的な感性や主観、想いといった部分を観ることができないのが残念です。
ただ、それが可能だとするならば、知識としてのペーパーテストや行動テストを除き、配点は100点の中5点しかありませんが「計画・記録」によるその山を知る姿勢や探究心、想い入れ、山行中の感性の表記といった部分で計り知ることが大切なような気がします。個人的には、この部分をとても大切に観たいと思っています。いかに心に残る山行にしたいのか、という精神的な姿勢はバテない、がんばるといった部分とは、また別のところに存在しているような気がするからです。

 なぜか?と問われれば、体力、技術(歩行、バランス)は、これは顧問先生との山行回数が個人の体力や資質を素に、絶対的に伸ばせるものであります。
しかし、これだけでは行った、登ったというより連れていっていただいた、といった方が適切でしょう。まして、自主的な主体性ある動機で登山を例え一人になってもしたい、という強い意志と行動力を持つ生徒さんは稀でしょうし・・・。

 そこまで深い動機や想い、行動意志はなくとも、山行を安全に楽しむためには、仲間と何を協調し、役割分担し、その中で個人の興味や好奇心、感受性を持っているのか、特に後者の感性の部分の姿勢が今後の人間形成や山岳部での時間を過ごす上での本人への貴重な財産になってくるはずなのです。
また、それらがパーティや部としての全体の力量、チームワークや和の雰囲気としても表れてくるはずなのだと思うのです。
きっとそのことが自然や山といった部分との関わりを持つ、他部活や競技にはない高校山岳部としては唯一の大切な一部分であるのだと思います。
若い生徒さんたちには、求めすぎな話なのでしょうか。

 いずれにしても、そういう素晴らしい山岳部を率いる先生たちがこうして活動されている北海道北見支部というのは本当に全国的にもレベルが高いものだと痛感しました。
生徒さんたちは、幸せですよね。先生に甘んじることなく、どんどん先生や自然、山からたくさんのものを吸収していってほしいものです。

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