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大雪山 黒岳〜北鎮岳

日程:1991年1月1〜2日
メンバー:Kさん、Fさん、Eさん、M田さん、ぼく

 年の瀬も押しせまり、新春恒例の正月山行のシーズンとなりました。
しかし、この冬は昨年の暖冬よりも暖かく、網走の街にも、知床の山々にも雪がない!という「やっぱり年々、雪は少なくなっているんだなあ」と思わざるを得ない状況の気候でした。
 この正月山行は当初、斜里岳か摩周岳を計画していたのですが、やはり雪不足のため断念せざるを得ませんでした。
 こうして、雪を求めて北海道の屋根・大雪山での正月山行をKさんをリーダーに計画、実行したのです。

1月1日(火)
大晦日を過ぎ、とても新年になったとは思えないほど寒く静寂な、まだ夜も明けきらない朝4時30分。もうすでにE豆腐店の灯りはついていて、山に向かう最後の準備をぼくたちはしていた。
 5時、網走をEさんの車で、Kさん、M田さん、ぼくの4人で一路大雪山の玄関口・層雲峡へと向かい、途中、北見でFさんの車と合流した。
この頃から空も少し白みだし、1991年の始まりを演出してきていた。石北峠を越える頃には、もう朝になってきていて空は薄く晴れていた。
 7時50分、層雲峡に到着して、ロープウェイの始発を確認したところ、9時とのこと。早速、登る支度をそれぞれ始める。
9時、ゲレンデスキー客5〜6人、登山客7〜8人と始発のロープウェイに乗り込み、7分。そして、そこから9時30分始発のリフトで10分。もうそこは7合目・標高1520mである。このような文明の利器のすごさを一番驚き、嘆いていたのはEさんだったように思う。
 9時45分出発。スキーにシールをつけて、リフト終点の右側の斜面をジグザグに登ってゆく。雪質は粉で、結構しまっているので登高も楽だ。しかし、背中のザックには今回来られなかったS口さんの分を含めた缶ビール500mlが6本があり、ぼくはこれらのビールを早く飲んで欲しいと思っていた。
ダケカンバが混じってくると、少し左にトラバースする。右側稜線は頂上まで断崖となっている。それにしても高度を上げるにつれ、振り返ると形の良いニセイカウシュッペ山が眼に飛び込んできて、とても良い眺めである。
斜度が急になってくる頃には、めざす黒岳のピークも見えてきて、スキーも効かなくなってきたので背負い、ツボ足で最後の斜面をつめる。
頂上直下は部分的に固雪、氷になっている。
12時20分、強風で雪が吹き飛ばされて一面氷の黒岳1984mに立った。
天気はかなり雲も出てきていて西風が強い。視界は期待していたほどなく、烏帽子岳くらいしか見えない。
正月山行の登頂の喜びもそこそこに、すぐに夏道をたどって西へ石室めざして降りてゆく。ここからはFさんだけがアイゼンをつけて下降したが、かなりの氷化と斜度だったので、全員着用すべきだったと思う。ところどころ岩や高山植物も出ている。
 14時過ぎ、桂月岳と黒岳のコル台地にある黒岳石室に着き、今日の行動を終わりにして、ここにテントを張る。石室の中には写真撮影のために入山していた2人パーティがテントを張っていた。しかし、雪に埋まって2階の窓からしか出入りできない石室の中は雪が入り込んでひどく、また2階入り口付近はキジ場と化していて、とても気持ちの良いところではなかった。そこで、雪に埋まって屋根しか出ていない石室を利用して、風除けとして、東側にエスパース4〜5人用、そして今回の主役ゴアテックスのエスパース2〜3人用を張った。
14時45分、テントの中でぼくの背中の背後霊のごときだったビールで乾杯!ぼくは格別に美味しかった。
16時から気象通報(NHK第2・747Mz)で天気図をひく。本州南岸の2つの低気圧の進路が心配だ。
夕食は、な、なんと!しゃぶしゃぶだった。さすがFさんだ!と、ぼくはほんとうに感謝した。とてもおいしくて、明日へのスタミナになった。それにしてもFさんは、いつも新しい装備や食当のときの工夫はすごいなあ!と、つくづく思う。
18時から網走のSさん(J E8DWQ)と無線連絡を試みるが何度してもダメだった。C Qをかけてもダメで、どのチャンネルでも交信は聞かれず、おそらく場所と気象によるものだと思う。
20時、就寝。
外はバタバタと風が強く、明日のアタックが心配だ。

1月2日(水)
朝は任せておけ!という Eさんの言葉を信じて、4時30分起床のところを1時間遅れで眠たい眼をこすった。
外は強風ではないが、視界は100mくらいである。アタックと決めて、これまた、おいしく炊き上がったマツタケご飯をかきこんで、準備をする。
7時30分出発、の予定が、ぼくが借りてきたアイゼンのバンド調節をしてきていない!というミスで10分遅れた。今回の反省点の一つだ。
スキーは置いて、アイゼンで出発する。慎重にルート旗をつけてゆく。迷うと危険な広大な雪原、空と雪原の区別のつかない視界、ぼくはとても緊張してリーダーのKさんについていった。前方に先行している岩手県からの6人パーティがかすかに見える。
8時15分、雲の平で、M田さんは不調のためアタックを諦めてテントに戻る。2020mの岩を右にまいて夏道をたどる。積雪量はハイマツが埋まるくらいだ。だいたい、夏道のあたりは風で雪がなく氷化していて、夏道ロープも見える。右に羅臼岳の南西ルンゼを小さくしたような凌雲岳(2115m)が風雪の谷の間にかすかに見える。お鉢平から硫黄の匂いが風雪に乗って、ときどき流れてくる。
斜面が急になってくると、風が当たらないのか雪が柔らかくなってくる。この斜面を登りきると北鎮岳の肩である。
9時15分、視界が20〜30mになった風雪の中、ぼくたち4人は肩(2140m)に着いた。
先行のパーティと会った。彼らは北鎮岳はめざさずにお鉢平を一周するという。
そして、ぼくたちはルートを北にとり、最後の登りをめざした。固く締まった雪にアイゼンを効かせて、急登をジグザグにつめる。頂上はもうすぐのはずだ。
斜度が緩やかになった行き止まりが、今回、ぼくたちの狙った北鎮岳だ!風雪で視界がますます悪くなる。
9時45分、ついに北海道第2位の高さを誇る北鎮岳(2244m)のピークに、今、立った。
すぐにみんなで握手を交わし、ツェルトをみんなでかぶる。
今日中に下山しなくてはならなく、本人も登頂できると思っていなかったというEさんが一番、顔をくしゃくしゃにして、喜んでいる。
ぼくたちは温かいミルクティーを回し飲みして昼食をとった。無線を出すと、145.740以外のチャンネルはすべて使われていて、メインチャンネルも使えないほどだった。さすが高いところのことだけはあるナと思った。ここでもSさんと交信できない。心配されていなければ良いが…
10時、名残惜しいピークを背にして下山開始。途中つけてきたルート旗19本を回収しながら、黒岳石室のテントをめざした。もう足跡のトレースは風雪に消されていて、ルート旗を頼りに下山した。
10時55分、テントの中で寝袋を広げたばかりだ、というM田さんのもとへ幸か不幸かスピードアタックで帰ってきた。
今日中に層雲峡へみんなで下山することになった。早速、テントの撤収、パッキング。慌しい。
12時、3日行程が2日になったため、なんと!背負ってきたビールが2本余り、そしてFさんが背負ってきた350ml、6本がプラスされて、ぼくはザックだけでなくて気分も重くなり、アイゼンでまた黒岳へ登り返す。
ピークで一息入れて、層雲峡ロープウェイへ向けて下山。かなりの急斜面で雪崩れそうである。しかし、この後、雪崩れたのは雪ではなく、途中からスキーに変えたぼくだった。12回、転んだ。
そんな、登るよりも下山する方に労力を使うぼくがヘナヘナになって、ロープウェイ駅に先に着いているみんなに迎えられたのは、14時だった。
そのあと、Eさんのおごりで鍋焼きうどん、黒岳そば、ビールを駅2階の食堂でごちそうになった。
14時40分のロープウェイで降り、17時30分過ぎに網走へ着いた。
 ほんとうにみなさん、ありがとうございました。今年もうちの会にとって良い年になると思います。
自分の体力のためにも、今年は山スキーを上達させようと思います。


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