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知床・ペレケ

日程:2003年1月1日
メンバー:Eさん、Nさん、Fさん、ぼく

 ペレケというのは、知床の羅臼岳(1,661m)と遠音別岳(1,331m)の間に位置する羅臼湖を抱えた山で、正式には「知西別岳(ちにしべつだけ)1,317m」といいます。

 冬季にこのペレケへと向かうルートのひとつに、斜里町ウトロから羅臼町を結ぶ知床横断道路(知床半島を横断する"知床峠":国道334号線:11月~4月の冬期間は閉鎖)を辿ってゆきます。
この山に冬季、ぼくは何回、向かったのだろう。気になって、過去の山行記録を数えてみますと、5回でした。
でも、もっとこの峠までの約9kmの道路を、重荷を背負って、山スキーで歩いたような気がします。記憶なんて、そんなものなのかも知れません。
そうだ、冬季羅臼岳をめざす際にも、その道路を同じく、ただもくもくと道路が埋まった雪面を歩くのだった。
だから、それらまで加えてみると、現時点で10回のようです。
(現時点で冬季に一番通っているのは、斜里岳で14回のようです)

 冬季のこのルートは(他の多くの知床山系同様に夏季にも登山道はないのです)、峠の手前でぼくたちが「大曲」と呼ぶカーブ地点にたいてい風を除けてベースキャンプを張り、厳寒の夜には星たちが果てなく瞬き、ウトロの街の灯を、漆黒のオホーツク海を見下ろし、遠く尾根を渡っている厳風の音を聴き、雪上で小さな宇宙空間のテント内で過ごします。
そして翌日、手に届きそうな天頂山を望みつつ、ぼくたちが「飛行場」と呼ぶ真っ平らな何もない雪原を渡り、ペレケへの尾根へと取り付くのですが、ぼくは、実は頂上には立てていないのです。
5戦5敗です。
 ただ一度だけ、4月の積雪期に羅臼側からのルートで立てたことがあった程度であります。ですから、羅臼岳の頂上から見下ろした、あのペレケの頂上へと誘ってくれる魅力的な、あのペレケの白い雪のはっきりした尾根と稜線を、未だに辿っていないことになるのです。

 さて、前置きがたいへん長くなりました。

予定通り、1月1日早朝より"知床"へと山岳会のメンバー総勢4名で行ってきました。

Eさん、Nさん、そしていつものFさんです。

 網走の朝6時の気温は、-13度。(気象台発表)シバれる朝だなあ・・・こんなに例年シバれていただろうか・・・
知床へと向かう国道244号沿いには初日の出のシャッターチャンスを狙う人たちが、まばらに車を停車しております。

 上弦のするどい琥珀色の月が、鋭角の斜里岳の右肩、黎明の紫空にと浮かんでいます。 

今年の斜里岳は、ずいぶんと積雪が少なく、まだハイマツなども埋まっていないのでしょう、黒々としています。
たぶん使えても北西尾根がギリギリだろう・・・斜里岳も2月の山になったのだなあ・・・
(オホーツクでの降雪、流氷共に年々少なくなってきている感じが、つくづくします) 

 8時前、斜里町ウトロにある知床自然センターに到着。
天候晴れ、気温-6度、風弱し、意外にも温かい。
だけれど、上部は雪と風が吹いているようで、羅臼岳などの主稜線は望めません。
準備をさっと済ませ、山岳会の大先輩であるS夫妻に見送られて、いざ出発。

 冬季閉鎖になっている知床横断道路こと国道334号線には、前日か前々日と思われるトレース(スキーの跡)があり、ふわふわの新雪が15~20cmの心地よいラッセル。 
久しぶりに背負う重荷にも次第に身体が合わせてくれてきて、新調したスキーも軽く快適であります。

 冬山とはいえ、頭から汗をかくほどの運動になります。
道路脇のガードロープはそのタイトな張りをゆるめられ、反射標識と共に白い雪に埋もれ、道路を囲む知床の森たちは梢に雪をのせて、日光と影づくりに遊んでいます。
「よいっしょオ」
「ほいっさア」
と、齢60を越えるEさんは多忙で重労働な豆腐の製造販売のお仕事を「山へのトレーニング」にしているように、まさに元気そのものでラッセル(雪をこぐこと)のトップをゆきます。
「おつかれさん、替わるよ」
約15分ごとにトップを交替してゆきます。

 1時間ほど歩くごとに休憩します。
新雪の上にザックをドサリと下ろし、汗をタオルで拭き、そして紫煙をくゆらせます。 

何とも心地よい汗であります。
一年ほどの雑踏生活での垢が落ちてゆくような、そんな洗われる体感であります。

 そして、めざす知床峠や稜線の方角を、乱反射する雪面から眼を細めて眺めてみるのです。

 2回目の休憩後、再び行動を開始したとき、突然、Eさんは胸が苦しそうになり、立ち止まり、トレースから外れました。

「大丈夫だあ、先へ行け!」
両腕のストックにもたれ、息づかいも荒く、顔色もすぐれません。
ひどく胸が締め付けられるようになり、指先が冷えると云うのです。
Eさんにかつてこんなことはありませんでしたから、気になります。
それでも、Nさんとぼくは先へと進みました。その後にFさんが続いてきました。

 ぼくたちは、そのまま再出発して間もなく、しばらくとEさんを待ちました。
そこは、ゲートから約5kmほども進み、もうすぐで「愛山荘」と呼ばれる小屋がある長い直線の手前まで来た頃でしょうか。
やはり、Eさんは、体調がすぐれないようなのです。

 4人が揃ったところで、大休憩としました。すでに風も冷たくなってきました。
Eさんの息づかいも顔色も変わらず、苦しそうでありました。
「オレは下りるから、おまえたちは行け!」
と、云います。
「パーティなんだから、そんなことにはならないでしょ?Eさん」
と、Nさんが云います。
「Eさんバ、独りで下山させるなんて、できないでしょ」
と、ぼくも云います。
 しばらく、雪煙のたなびく尾根などを眺めて、時間をやり過ごしました。

『下りよう』
と、リーダーであるFさんの即断の声が、力強くもあり、いつものようでもあり、発せられました。 

「下りていて調子が戻ったら、ゲートにテントを張って正月をしようやあ」
と、Fさんは、Eさんのスキーのシール(登るため必要な装備)を陽気に外してしまいました。
今思えば、そうでもしなければ、Eさんも未練が残っていたのかも知れません。
 
「札幌や岩見沢から来ているのに、すまないなあ…」
Eさんは、ポツンと申し訳なさそうに云います。
「なんも、なんもっしょ」
と、ぼくたちは明るく振る舞います。

 そして、ぼくたちは、正月山行"ペレケ"を下山したのでした。
遠くオンネの切り立った三角形の頂が陽光に雪煙をたなびかせ、知床のオホーツク海は 優しい緑色をしている元旦の午後の時間でありました。 

(カバー写真は、羅臼岳)

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