知床・遠音別岳
日程:1991年12月31日〜1992年1月3日
メンバー:A班 Fさん、ぼく
B班 Kさん、Eさん、ミツルさん
知床山系・遠音別岳(おんねべつだけ 1331m)は主稜の中堅的存在で、網走からは知西別岳と並んで端正な稜線を描いて半島のシルエットをつくっているが、羅臼側は切れ落ちた断崖となっている。
知床自然センターから望めば、その姿は尖った槍を天に突き刺すように聳えている。
環境も原生自然環境保全地域に指定されており、夏になれば無数の湿地帯に強烈なハイマツであり、たくさんの動物や野鳥たちの生息が確認されている。もちろん夏季に人の訪れる道はなく、積雪期に遠音別川ロの沢、知床峠から知西別岳を経由してのルートが一般的である。
厳冬期・正月に今回選んだルートは、遠音別川から一つウトロ寄りのオペケプ川沿いの林道を使い、北北東に伸びる広い尾根から稜線をめざす我が会による初トレースのものだった。
今回から我が山岳会の正月山行の若きリーダーとなったFさんが以前より計画していたし、昭和62年にも一度偵察していた。
12月28日より二つ玉低気圧で北海道全域が大荒れになる前日にぼくが林道の限界(標高280m)まで偵察した。
今回の山行の特徴は、何と言っても正月の前、12月31日から先発隊(A班)が入山したということだ。このことは今回の厳冬期・遠音別岳登頂に大きな効果があったことだと思う。
12月31日(火)風雪強し
年末の総決算のごとく吹き荒れた吹雪もようやく止んだ31日の朝7時、ぼくはEさん宅でFさんを待っていた。まだ夜が明けたばかりの晴れ渡った早朝はとても冷えていて、手持ち無沙汰のぼくはEさんと雪かきをしていた。
Eさんに見送られ、Fさんとぼくの2人は先発隊として一路、斜里へと向かう。警察署に計画書を提出する頃には吹雪になっていて、こんな天気の中に山へ行くぼくたちに署員の方々は難色を示した。ちょうどその頃、利尻岳ではM大学のメンバー2人が行方不明になっていたせいもあった。
今回の山行に使う林道は国道からオペケプ川沿いにあって、2キロほどで右岸の標高242mにある無線中継所へと続いているため、そこまでは除雪が入っているはずだった。しかし、国道からの入り口に施錠されたチェーンが張ってある。無理に楽しても仕方ないし、吹雪になると車が埋まって帰られなくなるので、そこに駐車した。出発の準備を始めるも、怒涛のオホーツク海からの風雪は強く、また、正月山行のぼくの恒例となってしまった後発隊の分も含めたビール(昨年の正月山行のようにワイン瓶ごとよりはマシ…)としばらく歩行のために山スキーを背負って歩きだす。除雪された林道を雪に吹かれながら歩く。登り下りが多い。橋を渡ると、送電線の下を通過するが、ここで林道を右に分ける。(左は無線中継所へと続いている)ここからは山スキーをはいてラッセルしながら進む。先の吹雪で膝までのつらいラッセルになる。道の横の木に「熊のワナあり・2キロ先・注意」の標識を見つけ、自分がワナにかかってしまわないかと少し緊張する。次の橋aは落ちているが川が雪でかぶっているため大丈夫。やや真っ直ぐに伸びる林道をさらに進むと、橋bに着く。ここも落ちているが渡れる。右岸に渡った林道を進み、左からの崩落地を慎重にトラバースする。左からくる沢にかかる橋cに着くが、またも落ちている。ここも大丈夫。相変わらず天気は悪く、風雪強い。
林道は右へカーブする。ここで最後の橋d。やっぱり落ちているし、でも雪で埋まっていて大丈夫。
シカの足跡が横切る林道をさらに進むと広場に出る。右側は崖となっていて、遥か下に30mはあろうか氷瀑になりかかっている地図上にはない滝が望める。
ここから林道はややわかりにくくなるが忠実に辿ってゆくと、目の前が小高い樹林帯で、左にちょっとした沢状、右は河川敷の方へとなった地点(標高285m)に着く。ここで林道を見失うが、右の河川敷の方へ少し行くと、その小高い樹林帯を巻くように、また林道が現れる。
右に見える沢をはさんだ標高417mの尾根に取り付きたいために、林道が左に直角にカーブしたあたりから沢へ下りると良い。ここは沢の出合いとなっていて、かなりの平坦な凹地になっており、風が当たらなく、また沢も開いていて水も確保できる絶好のテント場になる。
尾根への取り付き点は、この出合いの場所の約50m下流で沢を渡り、取り付くと良い。また、先ほどの林道は標高285mの等高線に沿って、左沢を渡ってから、さらに右沢にぶつかっている。
この日、ぼくたちはエスパースゴアテックステント2〜3人用を張り、天気図をひいてから、ビールで乾杯の後、ぜいたくかな、かなしいかな2人で年越しそばを食べた。ラジオからは年末大晦日のせいか、1991年の出来事やヒット曲、そしてレコード大賞が流れてきて、山の寝る時間になってきた。遠い尾根に吹きつけているのだろう強い寒風とFさんのいびきがゴォーと聞こえてくる中、ぼくは今年一年を振り返り、そして新しい年を山で迎えることに信じきれない自分を感じて眼を閉じた。
コースタイム
国道ゲート入り口915〜林道分岐(送電線下)955〜橋c1100〜橋d1155〜滝よこ広場1240〜B.C1415
定時交信1800 JR8GKH
1月1日(水)快晴
5時起床、新しい年の朝を迎える。昨夜吹き続けていた風も止んで、穏やかな正月の素晴らしい快晴の朝だ。早速、2人でお正月気分で雑煮を作って、準備する。
7時10分、B.Cをアタック装備で出発。快晴無風の天気だ。初めてのルートだけれど、頂上まで行けるかも知れない。雪の被っている場所を見つけ、沢を渡って尾根に取り付く。すぐに細いハンノキの生える林道にぶつかり、これを左に進む。少し落ち込んだ沢状の地形にぶつかり行き止まりの感となり、右上の樹林帯に入ってゆく。まわりはだんだん明るくなり、目の前の尾根の方から初日の出がでてきた。まっすぐな光は心に安らぎを与えてくれて洗われるようです。雪は昨日よりもややしまってきてはいるものの、ラッセルは大変。ぼくは165cm、Fさんは130cmのショートスキー。交替、交替で2人でがんばる。左にさっきの沢状の地形を見て登ってゆくと、また林道に出る。この林道はかなりしっかりした明確なものである。左に進む。やはり途中より右上の樹林帯に入り、雪の被ったトドマツや小さな池を避けながら進んでゆくと、標高417mあたりの広い湿原らしい中に、大きなヤチダモがポツンポツンと生えている所に出る。
8時40分。ここから尾根に向かうのだが、小さな沢を渡って、ササの出ている厄介な斜面を乗り越えると、また平坦な樹林帯となる。樹林帯の中の小さな沢を超えたり、ルートをとるのは大変だが、南に見える急斜面の尾根を目指してゆく。3mくらいのハンノキがうるさいところを通り、標高470〜550mの急斜面に取り付いてゆく。トドマツなどのこの斜面をジグザグにルートをとってゆく中、斜面には大きな岩に大きなトドマツの生えた日本庭園的な光景もある。上の方へ来ると、右側にラサの岩峰、海別岳が望まれる。この斜面をやっとのことで越すと、また平坦な尾根になり、ここからは大木のトドマツの世界。雪の被った大きなトドマツは、まるでお化けのようにも、メルヘンの国の砂糖菓子のようにも見える。Fさんと10本持ってきた標識のための紙テープを20〜30mおきにつけていく。このトドマツの世界をようやく抜けたのは、11時40分。樹林帯の中に空き地のように広がった標高650m、ハイマツの地点。眩しい雪の乱反射の中、かなたに遠音別岳の稜線が確認できる。
無線でB班に交信を試みると、すでにB.C入りしているとのこと。やはり速い。自分たちのこれからの行動を伝え、Kさんがこちらに出発するとの連絡を受ける。
このハイマツ広場?を抜け、また樹林帯に入ってゆくが、やがてダケカンバとハンノキがうるさくなってきて、その瞬間にスパっと森林限界。広大な台地と続く稜線が広がった。右の方は海別岳までの主稜もきれいに分水嶺となって確認できる。広大な真っ白なハイマツ帯にルートをつけてゆき、標高850mまで行動して、13時30分、快晴無風、下山にはいる。
途中、ぼくはトレースに沿って滑っているときに、いつの間にかスキーのシールを片方、失ってしまうという、とんでもないアクシデントを起こす。幸いにして雪の中から発見したが、明日のアタックができないのでは?と不安と焦り、そしてシールが外れたことにすぐ気付かなかった、鈍臭い自分が悲しく思えた。
15時15分、ツェルトで紅茶を沸かしてくれていたKさんと合流。標高450mくらいのところ。陽も陰ってきた。この時期は陽が短い。B.Cが近くなって、3人でウヒョーとかホッなどと声を出して、元気にB.Cに15時55分到着。Eさん、ミツルさんと新年のご挨拶。すぐに天気図をひき、明日の天候に期待を持つ。
冷えたビールで乾杯!うまいです。正月恒例のだて巻きや焼き豚などでテントで宴たけなわとなり、牛丼などで夕食。少し酔って、みんなで外へ出て見上げた星の大きいこと。ミツルさんが教えてくれた昴がことのほか美しく輝いていました。
コースタイム
A班)B.C710〜標高417m840〜ハイマツ広場1140〜森林限界1225〜標高850m1330
B班)国道入り口650〜B.C940
定時交信 1800 JR8GKH
1月2日(木)快晴
4時に起床のところを、Fさんとぼく以外はもうすでに3時過ぎには起きていたとのこと…お茶漬けなどでさっと朝食をとる。
まだ暗い6時に出発。冷え切った空気と、空には星がまだ輝いている。ヘッドランプに照らされた闇の中にキラキラとダイヤモンドダストがきらめいていて、ショーを見ているようだ。昨日のラッセルした見覚えのあるトレースをたどってゆきながら、7時過ぎ、今日もご来光を見ることができた。快晴の朝が訪れる。
ミツルさんがテントキーパーとしてB.Cに残り、一行4人は昨日のトレースをぐんぐん進み、すぐに昨日Kさんが待っていてくれた地点に着く。ここでKさんより元気の素アリナミンをみんなでいただき、飲む。さあ、いよいよ急斜面。クライミングサポートをおこして、ワッセワッセと登ってゆく。木のうるさい斜面ではショートスキーは効率が良い。ラッセルはより沈んで大変だが、トレースを進むのは軽くて楽らしい。右側に朝の光を浴びた海別岳、凛としたラサの岩峰が明るく見える。いろんな山行を続けてくるたびに、そんな行ったことのある山が見えると、何か懐かしい友人に会えたような気がする。朝のピーンと緊張した空気と光の中、真っ白なトドマツの塔の間を進む。すぐに標高650mのハイマツ広場に所要2時間弱、昨日の半分以下で到着する。そこから森林限界へも20分。速い、速い。見渡せる稜線は昨日よりもガスと風があるのが確認できる。広大なこの稜線まで台地にところどころ露出しているダケカンバやハイマツにしっかり標識をつけてゆく。昨日の最高地点には9時前に通過。稜線に取り付いて行くが、相変わらずハイマツがしっかり雪に埋まっていないために苦労する。稜線の標高1074mあたりを目指して北斜面をジグザグに登り、高度をかせぐ。ガスの中へ入ってゆく。稜線からの風も強まり、視界も悪くなってくる。真っ白。
標高1074mを乗り越して稜線上にでると、視界は20〜30mとなり、左からの寒風が顔に吹きつける。慎重にルート旗をつけてゆくも、クラストした斜面は固くなかなか刺さらない。まつげやウェアの表面に雪がつく。視界が悪く、頂上までの距離がわからない。Kさんがトップで進む。真っ白な雪と風の世界。雪面が割れ、空洞になっている地点につくと、いよいよ稜線がさらに細くなり、じきに「あれっ」というように頂上につく。11時。−12℃。風強し。知西別岳までの稜線は確認できない。結局、頂上まで山スキーで来ることができた。アイゼンもおそらく使えないことはないだろうが、そこまでクラストしていないし、足が埋まるような雪面もあった。
すぐに下山。スキーで慎重にルート旗を回収しながら、トレースを確認しながら下りてゆく。標高1074mを右に見て下りて、風あたりのない斜面でツェルトを張り、登頂を喜びあい、昼食。この辺りから下は晴れ。斜里から網走までの弓状の海岸線が望める。ちょうど12時にミツルさんと無線交信する予定だったが、なかなか声が聞こえない。網走のSさんことJR8GKHに登頂、無事を伝える。Eさんは今日中に下山しなくてはいけないため、登頂は難しいと考えていたので、今回の遠音別岳の登頂をとても喜んでいた。ぼくもずっと憧れの山だったので、うれしい。下りのトレースは冬山の高速道路のようで、シカ道よりもしっかりしている。そのためよく滑る。穏やかな午後の13時過ぎに標高650mのハイマツ広場に着く。ゆっくりくつろぐ。
「やったよ!」という気分で、ミルクを沸かして待っていてくれたB.Cのミツルさんに会ったのは、15時前でした。Eさんは先に30分前に発ったとのこと。それから夕焼け、テントの中、それぞれの行動食を出し合って酒宴となり、ウイスキーやワインを飲んで(最近はワインがブームなのだ)新春の山行を心から楽しんだ。定時交信はなかなかつながらず、144.82でQSOしていた方に網走局へ無事を連絡を依頼した。今日の夜空もとても美しい。明日は冷えそうだ。登頂バンザイ!
コースタイム
B.C600〜標高650m〜森林限界820m〜標高1074m〜山頂1100〜標高650m1320〜B.C1440
定時交信 JG8FFV JG8WJI
1月3日(金)くもり
7時出発。テントを撤収して、3晩過ごした懐かしの場所を後にした。最後の除雪された坂のみシールを外した。10時20分、到着。斜里駅前でKさんのおごりで飯を食べる。お寿司をとって待っていてくれたEさん宅に13時到着。登頂祝い。おやっさん、S水さん、S口さん、宴はたけなわ。カラオケまで行った。ぼくは松山千春の恋を熱唱した。
遠音別岳の登頂で始まった1992年が、我が山岳会のみなさんにとって良い一年となりますようにーみなさん、ありがとうございました!
参考 天気図
強い冬型の西高東低から、小さな低気圧が通過した。
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