風と共に去りぬ と 寺子屋

小さなお子さんを連れた母親どうしが、歌舞伎の「寺子屋」を見たあとのロビーで、後味の嫌な話ねぇ、と顔をしかめながら会話しているのを見かけたことがある。「寺子屋」は大好きな芝居だし名作だとぼくは確信しているけれど、このママ友たちのこういう率直な感想は、ものすごく尊いし大切にしていかなければいけない視点だと思う。自分たちの母親としての気持ち、現実の育児体験にもとづく言葉は、 力のこもりかたが違う。

作品に愛着や思い入れがある人が、アメリカでの「風と共に去りぬ」の映像配信停止を、臭いものにふただ、本質的な解決にはならない、と批判するのは、簡単だと思う。だが、いま一番肝心なのは、昨今のアメリカの状況下で、黒人の方々があの映画を見たとき、どんな感情がうずまくか、に思いをはせることじゃないだろうか。そして昨夜もFacebookのライブ動画で話したのだが、アカデミーの受賞式での、この作品に出たことでオスカーを授与された黒人女優への、会場、協会、はては作品チームまでからも受けた、冷たい仕打ち。トータルにそれらを考えたとき、一定期間の配信停止、というか国をあげての「自粛」は、ぼくは、やむを得ないと思う。 

最後にもう一つ。根深い人種差別の問題を「臭いもの」と言った時点で、その人はすでに人種差別に加担している。それを指摘できない報道の多さに、やりきれなさを感じる。

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