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愛がなければ私は鳴るドラ、響くシンバル

“たとえ、預言の賜があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、愛がなければ、私は何者でもない”と言い聞かせた。自分の心臓に反射したその煌めきを捉えて、この楽曲を書き上げた。

あらゆる知識や文化に通暁していても僕は僕であることの意味を歌わなければ何者でもない。これは本当の話で、決してお伽話なんかじゃない。

Lyric
都合のいい時にだけ話したがる君は
すばやく駆けていく都会みたい
「私はもううんざりだ」と話す君は
僕の知らない深い未来

ふさぎ込まないで
深い眠りに落ちる前に
何にもかもやめて今おいでよ
友達よりもふさぎ込まないで
新しい場所を探しに行くのさ
 
「無限に続くリアルと、物語の世界とは違うの。私が存在すら知らないあなたの本の中の世界では。」
心から愛してるわ
なんて言葉は今は言えないな
自分騙すためのフィルター
はすでにここでは正しいことなのかい?

ぼくは悲しい鳴るドラ、響くシンバル
ねぇほら切なくて悲しいキスは
もういらないの

ふさぎ込まないで
深い眠りに落ちる前に
何にもかもやめて今おいでよ
友達なんかじゃなくてさ…
うまく言葉にできないけど

深い話はよしてわがままな
子供のように今電話して
無邪気なeyeその奥に秘める
アイデンティティーを
手放さないで君の話を
聞きにいくのさ

もう過ぎさった日々に恋焦がれていて
君がいれば何一つもいらないって
何にも屈しないよと今誓って
僕は今振り出しに戻る

僕には地についた身体的な言葉が必要だった。音楽も映画もそうだけど、その瞬間の消費のためのインプットの姿勢にはなりたくない。体系的に僕の中に入れておきたい知識として、人生の大事な時にちょくちょく出てくる作品を愛したいし、自分もそういう作品を作りたいと思っている。今まで、作品として批評性を落とし込み、人間と自然の関係を熟考しメタファーを宿してきた。ただ、時々それは"地"についた言葉じゃないと思いを悩ませた。批評性を作品に埋め込むだけだったらいくらでもできるし、批評性とアートの間に自分が入り込める余地はなさそうだった。ただその批評性とアートの間を考えたとき、あえて批評性を削ぎ落とすことで未知なる自分へ出会えるのではないかと感じた。それがimsodigitalという曲だ。

今回はimsodigitalを聴きながらエッセイ的に過去の感情を紐解いていくことにする。近未来的な思考に心を踊らせ、思弁する僕の脳は、過去を振り返ることは少ない。(ましてやエッセイ的に書き起こすこともない)ただ、あの時感じたセリフが脳内でリフレインする感情や、歌詞を瞑想的に綴りながら思いを馳せた、あの記憶が色あせていくのを傍目で見ているのはなんだか切ない。(それも刹那的な運命を見守るという面では有意義だが)だから、ここでその感情を書き起こすことを許してほしい。


二人の関係の中にある記憶を経験値的にお互いの心の中で反射させる

日が傾き、夕闇に周りが包まれた頃ひっそり歌詞を書き始めた。静けさだけが僕を取り巻く。ただその雰囲気に身をまかせ瞑想的に感情を紐解いていく作業を始める。仲の良い友達は時間を忘れさせてくれる存在というが、僕にとって歌詞を書く作業は同じように時間を忘れさせてくれる。歌詞とは親友なのだろうか。厳密に言えば、親友ではないが、親友と深夜、静かに対話する感覚に近い。多くを語りすぎず二人の関係の中にある記憶を経験値的に心の中で意識を反射させる。会話の中にさまざなニュアンスを含ませながら二人だけで言葉を心の中で反響させる感じに近い。


深い話はよして、わがままな子供のように電話して

たいていの記憶は淡く爽やかだ。月夜に照らされながらスマートフォンから聞こえる恋人の声に包まれるのは嫌いではなかった。他愛もない話から始まった痴話喧嘩もたいていは良い思い出だ。ただ見えない相手に対して言葉を紡ぎ、対話するのは虚無感に襲われた。人工衛生を介したデジタル的な信号の声はなんだか切ない。だからそういう時は他愛もない子供の会話のようなものの方が具合が良いのだ。"深い話はよして、わがままな子供のように電話して"


輪郭のないフォギーレンズのような脳内

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他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。