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『熱波』01. 既に世界に声は存在しなかった

*特設サイトのアーカイブです

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チャプター1 既に世界に声は存在しなかった


僕が生まれた時、すでに僕の声はなかった。それは世界も同じだった。僕が生まれた時代は人類が声を失くし始めた時代なのだから。
その時代は、世界中の空が赤色に染まり、雷光と雷鳴がやまず、まるで天空が戦場に変わったようだった。科学者はそれを説明できず、ある者は宇宙人の再来だといい、あるものは宇宙の膨張が過去にないレベルで増幅しているからだと説明したものもいた。巷は終末論に溢れ、私はベッドで震えた。
この世界を覆う大気はすでに熱照射による物資の化合反応により放射能が蔓延しており、声帯気管を維持することは不可能に近かった。常に外は五十度以上の熱波に覆われていて室内に留まることが強制された。道端は干からびた人で溢れかえり、政府は対応を余儀なくされた。それは世界の共通問題として浮かび上がり、WHOが物資支援や薬の投与などによる策を講じたが時はすでに遅く、すでに世界は別のものになってしまった。開発されたワクチンは熱照射による高温の状態をも耐えられるよう人間の平均体温を上げる人体改良が行われた。打ったものは熱波にも耐えられるようになったが、大きな副作用があった。それは声を失うことだった。
多くの科学者たちは声を失っても、音声コミュニケーションが取れるような仕組みが開発できないかと開発を始めた。もちろん当時の記憶は僕にはない。その日に生まれたのだから。それから数年後のこともあまり覚えていない。
だが私は一縷の望みを抱いている。これを読んだあなたが想像力を巡らしこの世界を良い方向へ変えてくれるかもしれない。だから私はここに説明を記すことにした。願わくば、これを読んでいるあなたが探検家であることを願う。

everything’s a metaphor / 世界の万物はメタファーである
(ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ)


霧が濃くなりはじめた。まもなく陽が射してくるだろう。浮世絵のように輪郭のはっきりとした雲が上部に群れをなし、墨の如く濃淡のはっきりとしたどす黒い煙のような見た目で空をたなびいている。やがて、黒い雲の細い隙間から射しこむ陽の光がさまざまな高さにある通路や回路、暗い部屋のカーテン、階段、橋のような踊り場をぼんやりと浮かび上がらせ、あちこちに光を拡散させている。やがて光は残酷にも神々しく光り始め、物体が吸収できる光の容量を超えるような光量を持ち始める。余った光は乱反射し、周り一帯が白く霧がかりはじめる。光霧と呼ばれていて、陽が射すとこの現象が起こる。そのため雲が覆った状態でないと僕らは活動できない。そして生き延びるために、霧がかりはじめると同時に人間は眠り始めるのだ。雲がかかった時は光を遮断するため全てのものが反射せず暗闇に包まれる。すべての物質が光を吸収しすぎているため暗黒のような黒さだ。私たちが熱波にさらされず生きていけるのは雲のおかげなのだ。暗闇の中で僕らは生きている。曇りの日はある程度予想できるため、僕らはその日程に合わせて物事を決定している。働き、遊び、飯を食べる全ての行為は暗闇で行われる。とはいえ、無情にもネオン灯がこの世界を照らしているため、完全に闇が包み込むことはあまりない。

「素敵な旅にしてください。霧の世界を私は冒険したことはありません。ただきっと素敵な世界に違いないはずです。多分きっといい音や声が埋まっているのでしょう。あまり無理せず、でも楽しむことを忘れず、旅してきてください。幸運を祈っています。」と必要なものをカバンに詰め込んでいたときに、ダイレクトメッセージの通知が鳴った。 メッセージに気を配りながら、僕は支度を早く終わらせようと心がける。灼熱適応のチョッキをいくつかバックに入れる。できるだけ手ぶらでいきたいけれどどうしてもこういう旅の時は荷物がかさばる。なぜ荷物が必要なのか?熱いところに行かなけばいい話なのだが、僕はあいにく熱波に覆われた世界を旅する。車での移動だが万が一の時を考えて何枚か持っていこう。きっと1週間もうろつかないだろう。持っていくことに越したことはない。だが死ぬときは手ぶらがベスト。金貨や時計、いくつか暇潰しの文庫本など持っていこうか迷ったけれど、迷った末にやめた。その高価で煌びやかな立ち振る舞いや、先達たちの聡明な知見も少しは魅力的だったけれど、今回はそれ以上にもっと実用的で本質的なものが求められている。僕が本来持っていながら十分に発揮できていない感覚や機能を引き出し、想像もしなかった自分を見つけるには、そういうものはいらない。今僕に必要なのは記録用のこの端末だけなのだ。(いやそれすらもいらないかもしれないが)


この世界では暗記して覚えていても知ってることにはならない。それは教わったことを記憶に保存しているだけ。書物に頼った学識は単なる装飾であり、自分の土台にはならない。自分を映す鏡は世界。自分を正しく知るために、我が生徒は世界を教科書にしてほしい。
モンテーニュは『エセー』でこう述べた。知識は蓄えるものではない。実際に学校で習った知識が社会で役に立ったことはあるかい?現実世界ではあまり役に立たないことばかりだ。ただ重要なのはその中で何が嫌いかをしっかり知るということ。いろんな観賞をして何が自分の世界観と合わないのかを知る必要がある。好きなものは後から選べばいいのだから。

僕は大体の物事の見方をモンテーニュのこの言葉の中に見出している。大体は従っているし、ずっと胸の奥にしまってあるものだ。だからこそ僕はこの世界を飛び出すことに必然性を感じているし、闇の中ではない世界を見る必要があると思う。
ロマン主義運動では暗闇の中で眠り闇へ潜り込むことはリラックスをもたらし、脳科学的にも良い効果があると証明された。それは世間も周知の通りだ。霧が出るまで人々は暗闇の建物の中に入り遮光性のあるボックスの中で眠るため、眠りに向かうそのシーズンは食糧を買い込みエネルギーを蓄える。眠りに向かうシーズンが過ぎ、人々が静まり返る頃、商業施設はもちろんの事、全ての都市の機能が失われる。ネオンは全て消え(陽が射すと発光しているのかすらも判断できないため)、信号機、街の自動販売機、公共交通機関、ダムなどの設備は全て止まってしまう。そのため、熱波の中を彷徨う行為は自殺行為に等しい。熱波時の世界には多く規制があり、多くの活動に制限がかかる。僕らの地区は熱波時には眠りにつくため、熱波時の世界を知ることはない。ネットワークは全て分断されており、その地区のものしか聞けないようになっている。
ただ、目指す港がないような航海をしていたら、どんな風が吹いても助けにならない。僕は闇雲に旅に出るのではない。一つ大きな事実があるのだ。それは今僕は自分の弱さを知らなければならないと思っているということだ。その弱さとは、「暗闇しか知らない弱さ」。僕は物事の分別がつくようになるまでに、この弱さを知っておく必要があると思う。そして多かれ少なかれこの弱さを知ることは二十歳目前の僕にとってとても重要なことだと思う。
そして探すべき声がある。探すべき音がある。声が出せなくなった世界で消え去った僕自身のノンパラレル音声データを探さなければいけない。本物の声でないと意味がないからだ。
僕の声にまつわる一番古い記憶は、祖父からノンパラレル声質をもらった時だ。市場にある声質データは手が届かないほど高価となっていて、世界における3%の富裕層のみが手に入れることができる幻の存在だ。とはいえ裏市場で粗悪な声質データが出回っているという話もあるが、僕はそこの込み入った話はあまり知らない。「ごめんねえ、あんまりいい声を残してやれんくて」と祖父が私に喋り続けていたのは覚えている。当時の僕は何がそんなに悲しいことなのかわからなかったし、声も出なかったので理解できていたことは一つもない。ただ必死に祖父の涙を拭おうとしていたのは覚えている。

拙い声だが、僕は発信することをやめなかった。歌うことは好きだったし、学生の頃はいろんなチャンネルで色んな人の声をきいて、憧れ自分も真似て作品を作ったりしたものだ。そんなこともあってか今は小さなプラットフォームで音楽家として活動をしている。僕は僕の声が嫌いだ。自分の声を聞くとなんだか恥ずかしくなるし、ガサツいた太くパッとしない雰囲気にげんなりする。とにかく歌が上手いわけでもない。そんなコンプレックスはノンパラレルデータを交換すれば声の性質を変えることはできるけれど、意外と自分の声は捨てる気にはなれない。受け継いだものであるし、遺伝のようなもので、どれだけ叫んだところで、どれだけ細く声を出したところで性質は変わらないわけで、今更悩んでも仕方がないという諦念の感があった。長年のこの嫌な声と付き合ってきたおかげで交換することはできない。それに代替可能な自分の声の存在を認めてしまうことになってしまう気がして、それ自体はいいことなのだが、歴史的な考え方でなんだか受け付けることができない。
僕は、声のdb数を最小限に設定しながら、外に出ることにした。自分の指定のボックスまで足を運ぶが、そこでスタッフとのコミュニケーションがあるかもしれない。いくつかdbを確保しておいた方がいいと思ったが、スタッフと話すことはなかった。基本的に眠りに入る前の人々はdbを使い切ってることが多く、その過程においてあまり声を発することはない。
暗闇の中で皆各々のボックスに入っていく。僕も自分のボックスへついたが、内部で操作をすることはなかった。僕だけはその暗闇の中で虎視眈々と外へ出る機会を伺っていた。眠りへと向かうスイッチを押した人々の空気圧が響いている。空気の音が抜ける音で、時間が経つたびその音が増えていく。まるでポップコーンのように。なだらかに鳴り始め、ピークが訪れる。ピークが去った後は僅かな音しか残らない。そんなことを考えていると、すでにピークは過ぎており空気圧の音も二分間隔になっていた。
やがて太陽の屈折率が大きく変わり始めた。世界が暗闇のベールを剥がされる時が来た。熱波で多くの時間熱にさらされ溶け始めた岩肌を従え、溶けたコンクリートを峰々とそびえ立たせた、頂上の小屋のような人工物が姿を表した。普段慣れない光の量だった。いろんな物質や建物の反射した光が屈折し空中に漂い始めた。やがてその光は僕のボックスまで届くようだった。ボックスの内部の空調を管理するマザーボードに繋がれた幾重ものケーブルが光にさらされ光線のようになってこちらに向かってくる。場内には警報が鳴り始めている。耳鳴りのするような高音波とパターン化されたリズムが永遠とするループされている。やがてそのループの速度は上がり、僕の脳内の中まで侵入してくる。「ボタンを押し、早急に眠りへ向かってください。」というメッセージが僕の網膜を覆っている。恐ろしいプレッシャーと切迫感に襲われた。光はあらゆる生命を無常に消し去り、破壊していく。全ての有機物が蒸発していく。水や花や草木や食器や絵や椅子やベッドや帽子、目に見える全てのものが蒸発していく。僕の体はサイレンのはち切れそうなループの轟音と目の前のボックスのケーブルの光線、そして蒸発する全てのものを全て吸収するかのように体感した。やがてループの警告音はハープに、ケーブルの光線は星に、物体の蒸発は自分自身を焚く煙に。眠りへ向かうこの世界が明るく輝いて僕を照らす。これはおそらく僕の世界の始まりの時。僕の網膜には涙が覆っていた。なるほど、死は生の末端に違いないけれど、はじまりを告げる扉でもあるのだ。生の終末ではあるけれど決して終わりではない。自身のうちへと入り、未知の部分と対峙するための重要な扉なのだ。
日が射しはじめ、静寂が訪れた。太陽の屈折率が大きく変わり世界は真っ白になっている。僕は涙を拭って、となりにある遮光性メガネをかける。目の前の景色に目が馴染んできた頃、思わず息を止めた。色はまだはっきりとは分からない。けれどもコントラストがはっきりとしている。輪郭がある。溶けた建物の峰々としたこの風景がはっきりと見える。そんな目の前の光景に理解が追いつかなかった。地平線がしっかりとある。判然としないながらも僕はここから進んでこの世界を確かめなければいけないとそう思った。
静かに車両のエンジンの音だけが鳴った。「さぁ、行こう」とぼくはつぶやいた。ここから僕だけの世界が始まる。きっとまだ見ぬ希望と感覚を見つけて必ず戻ってくるから。そう何度も唱えた。僕はハンドルを握り真っ白な世界でエンジンを駆動させた。


続く


他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。