見出し画像

Leica M11 monochromeを買ったので所感等自分語りとちょっと作例

最近全くnoteにカメラ機材のこととか書いてなかったのですが、タイトルの通りにございます
どんなカメラなのか、なんで買ったのか、今後の展望について語ってみたいと思います

箱がカッコいい

1.Leica M11 monochromeってなんすか(概要)

一言で言えばモノクロしか撮れないカメラです。
カメラが写真を撮る仕組みとしてすげぇ雑に言うとレンズが取り込んだ光を浴びせるセンサーというものがあるのですが、本来センサーは光がある・無いという0・1しか捉えられません
そこでカラーフィルターという色を司る感じのやつも被せて色も認識する、というなんかそんな感じの仕組みです
すいませんこの辺の仕組みのことはうろ覚えで言ってて正しくない可能性激高なので厳密な部分に興味があればググってみてください
とにかく、このカメラはセンサーには上述の「カラーフィルター」というものが取っ払われてるのでモノクロしか撮れないという仕組みです


2.なんでそんなモノクロしか撮れないカメラ買ったの?

①モノクロセンサー由来のスペックが魅力だった(詳細後述)
②個人的に、カラー写真とモノクロ写真の価値は等価だと思ってる
③未知なる撮影体験を経験したかった
という感じでしょうか


①モノクロセンサー由来のスペックが魅力だった

詳しい仕組みは割愛しますが、モノクロセンサーってのは高感度耐性が尋常じゃないです
ショップで何度かテスト撮影をさせてもらいデータを持ち帰りましたがこれはもうあっからさまに段違いだと思いました
よくyoutubeで「ISO100000が普通に使える」という評を見かけますがあれガチです
無論レタッチ耐性とかは低感度時より下がってるでしょうが、他のカメラならディテールが完全に崩れるような高感度なのに「普通の写真」が撮れてしまうんですよ
おっそろしいなと思ったと同時に、撮影スタイルの幅が大きく広がるなと思いました
高感度耐性すごいということは必然的にSS上げまくったり、夜間でも昼みたいな撮り方をしたりできるということ
すなわち単純なスペック的に今までなら失敗していたようなシチュエーションでも撮影できるという期待、および今までなら撮れなかったものも撮れるようになるという点に大きく惹かれました
参考までに高感度域での作例を何枚か

ISO100000
ISO100000
ISO100000
ISO100000

②個人的に、カラー写真とモノクロ写真の価値は等価だと思ってる

上述①で書いた通り始まりはモノクロセンサー由来のスペックが大きかったのですが、それとは別で最近写真に対して「自分の中でカラー写真とモノクロ写真の価値が等価だな」と、写真というものの価値を考えた時にカラーとモノクロに対し区別していないとこがあります
正直なところ自分は特段モノクロ表現が好きとか、モノクロ撮影が得意だからとかっていう感覚はあまり感じておらず、単純に性格的に大雑把なのでカラーもモノクロも同じ「写真」で一括りしてるんじゃないかと思います
そのため、たとえモノクロしか撮れないとなっても特段どっちでもいいかな、だったらセンサー由来の強さがあるモノクロセンサーっていいな、と思った次第です

③未知なる撮影体験を経験したかった

ここまでの内容をまとめると、「センサーのスペックがめっちゃ強い」「自分はカラー写真でもモノクロ写真でもどっちでもいいと思ってるからモノクロオンリーになっても問題ない」という感じですが
今まで使ってきたカメラはCanonのEOS R6とLeica Q2とGRIIIxという感じなのですが、今回のM11 Monochromeは現代のモノクロセンサーカメラでたぶん色々と最強(この辺はふんわり捉えていただけると)で、モノクロしか撮れないという特異な状況も体験できて、ついでにレンジファインダーでの撮影という未知の経験もできて、と色々未知なるものを体験できるのは素晴らしい!投資しよう!となりました

3.他にもモノクロセンサー機あるのになんで?

モノクロセンサー機は他にもLeicaで言えばM10モノクローム・Q2モノクローム・Mモノクローム、そして今後出るであろうQ3モノクロームとあります
ペンタックスにも名前忘れましたがありますよね
上記のうち、Q2モノクロームは実際にショップで体験・データを持ち帰ることができて確かにこちらも素晴らしかったのですが、やっぱりM11モノクロームの方がISO50000までのノイズ処理や100000まで行った時の自然な粒子感が一枚上手だなと思いました
Q2であればAFも使えるという利点はあるのですが、最近AFの有無にこだわりが無くそこはどっちでもいいなぁという気持ちだったためやはり写真表現的部分でのスペックが高いM11モノクロームに惹かれました
Q3モノクロームを待てばM11モノクロームに並ぶ・あるいはそれより高いモノクロ表現ができるスペックが搭載される可能性もありますが、Q系は無印Q2で満足してるしいつ出るかわからないもの待つのはちょっと無いなぁ…となりQ3を待つという選択肢は排除となりました
M10モノクロームもけっこう悩みましたが、ディスコンになっておりそもそもショップでお試しが全くできずデータを確認できなかった点、M11系より120g重い点、裏蓋取らないと充電ができなくて面倒な点(そのお作法が良いというお声があるのも認識してます)など自分とは合わない点が複数あったのでこれも除外となりました

4.モノクロしか撮れないカメラに対して思うこと

このようなモノクロしか撮れないカメラを扱うということは、撮影に対してより写真作品に志向できるんじゃないか?と考えてます
前提として、自分は写真を撮る時「作品を撮ろう」と考えて撮ったことがほぼ無く、それは「写真作品」とはなんなのか今だによくわからないためです
この自分の中で整理できていない「写真作品」という概念についてなんなのかというのは一旦置いておきますが、しかしモノクロしか撮れないカメラを使うというのは「作品」に向かおうとする心、作品志向の気持ちをより強く持てると考えています

最初にモノクロセンサーについて雑に書きましたが、要するに現代の大体のカメラは機構的な意味では絶対にカラー写真を撮るものとして作られています
そんな普通のカメラと比較すると、カラーを一切撮れないカメラというのは記録性という面では大きく劣ると考えます
あくまでぼく個人の気持ちですが、写真を撮る時にカラーで撮っておけば、もし多少失敗しても情報が多いから「作品志向としては失敗だが、記録としてはアリ」となりうると思ってます
というかぼくは実際そのように扱い、基本的に写真データを削除しません
そして数年後記録としてラベル付した写真を振り返り、個人として楽しんでいます
つまり誤解を恐れず言えば、カラーで作品志向で写真を撮るというのはたとえ作品として成立しなかったとしても「記録」という別の役割を持たせることで失敗を失敗としないことが可能ではないのか?と考えます(あくまでそういうことも可能なのではないか?、という話です)
けど最初からモノクロしか撮れない場合、そもそも記録性が薄い(無くはないが)、ほんとに記録を取ろうとするなら絶対的にカラーが撮れるカメラを使うはずなのです
カラー写真がスタンダードである現代において、あえてモノクロしか撮れないカメラを使うというのはつまりある種記録性を捨てるという面があるのではないか?
「作品」か、「作品でない」かの、二択性がより強まるだろうとここは確信していて、「記録」が撮れないカメラ、覚悟が必要になるカメラだなと思います

作品ってなんだろうと思いながら撮った①
作品ってなんだろうと思いながら撮った②
作品ってなんだろうと思いながら撮った③

5.今後の手持ち機材について(何を売ったか等)

機材について書くの久々で最後に手持ち機材語りみたいなのしたの2年以上前なので大分様変わりしちゃいました
いや普通2年でそんな手持ち機材様変わりしないと思いますが…
とりあえずこの2年の間にLeica Q2というコンデジを買いました
1年ちょいくらい前だったかと思いますが、小さくて写りの良いカメラが欲しいということで買いました
概ね目論見通り小さくて素晴らしい写りだったのですが、自分の撮影スタイルだとけっこう手ブレしてしまって(かなり雑に撮るスタイルです)何かもう少し雑に撮りまくれるカメラ無いかなと思っていました
そんな時モノクロセンサーは高感度にめちゃくちゃ強くて…という話を聞き実際に試したら異次元すぎてもう虜になっちゃった感じです

次に、実は7月にCanonから出たRF35mm f1.4というレンズを買っていたのですがこれを売りました
ほんとはファーストインプレッション記事とか書こうと思ってたんですがダラダラしてるうちに2ヶ月も経ってしまい、果ては売ってしまうという(笑)
ちゃんと使ってはいたし性能もそこそこ満足していたのですが、ある日この35mmとQ2を交互に使っていて「あれ、この35mmという画角って28mmのQ2をトリミングすれば同じような絵になるんじゃない??」と思ってしまったのです(笑)
勿論夜景はボディがR6なのもありQ2のAF精度など知れているのでフォーカス精度含め35mmf1.4にめちゃくちゃ分があります
けど個人的に夜景はあんまり重視してないためなんならこのレンズ売ってM11モノクロームの原資にしちゃえばいいじゃん、というとんでもないことを思いついてしました(笑)

更にQ2まで売れば経済的にかなり楽になるというのはあり相当に悩みましたが、Q2は一旦残すこととしました
理由としてCanon機で残ったレンズが24-240mmというデカいレンズと、50mmf1.8という軽いけど撒き餌レンズという手持ちになりちょっと重かったり繊細な表現に向かないラインナップになったためです
つまりカラー写真で繊細な表現をしようとした場合はとりあえずQ2という役割で今は考えてます

6.終わりに、モノクロで写真を撮るという行為について思うこと

カラー写真がスタンダードな現代において、モノクロ写真を撮るというのはまずカラー写真を撮り、それを後処理でモノクロにするという流れです
つまり撮影後に"あえて"モノクロにしているという作為があると考えてます
たまにこの作為について「なんでいちいちモノクロにしちゃうの?」と自分を問い詰めたくなることがあります
その作為は、なんなのでしょうか?と
もちろん「画面内の線を強調したかった」とか「配列を見せたかった」とか「光自体を見せたかった」とか説明しようとすればできるのですが、微妙に自分の中でしっくりこない感じ
そこで少し考えたのですが、もっとふんわりした概念として「その写真の最適解がモノクロだった」みたいなことを考えているのかなという気がします
分解すれば上述のような理由ではあるんですがその複合というか
一方でモノクロにするというのは作為性が強いという考えもあるので、せめぎあいだなぁと思います

またモノクロ写真の特徴としてもう1つ大きな特徴だと思うのが、より自分の心情を投影できるような気がするということです
情報が少ないため想像の余地が生まれる、その余地に自分が考えていたこと、あるいは今考えていることを投影するという行為
無論自分の心情が伝わるかというのは写真のクオリティ・アウトプット方法・鑑賞者のその時の心情やリテラシーなど様々な要因により伝わるかなどわかりませんが、情報が無い分撮影者も鑑賞者も心情を投影しやすいってとこはあると思います
もっとこうした特徴を活かしてモノクロ写真というものに向き合えればいいのかな、と思います
せっかくアホみたいに高いモノクロ専用機を買ったのだから、モノクロ写真という表現と、そしてそれに打ち込む自身の心情にももっと深く向き合えればな、というのが今の気持ちです

余談ですが、去年Q2を買いましたが本当は去年5月に出るQ3を買うつもりでした
本気でQ3を買うつもりで予約開始日の争奪戦に参加しましたが、ちょっとした操作ミスで数ヶ月待ちになってしまい諦めてQ2にしたという経緯があります
Q2は去年段階で中古美品が60万円程度で買えたため(いや高いですけど)、当初の想定より若干だけ財布に余裕ができました
もしQ3を買っていれば90万円コースであり普通にCanon機ほぼ全部売っぱらって買うつもりだったので、M11モノクロームを買おうなどとは全く検討の余地にも入らなかったと思います
去年あの時操作ミスでQ3を買えなかったのが、使用機材の分かれ目になったなぁと思います
なんの因果かこんな風変わりなカメラを買うことになってしまった、そして本当に購入できてしまった(お金無いからけっこう色々投げ打ちましたが)からには心の底から楽しみたいなぁと思います


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?