パプアと寒いビールと、日本語-我的読後感2021の2
2月10日、言語社会学者の鈴木孝夫先生が亡くなられました。
鈴木先生のお名前は、学部時代の社会学ゼミで、課題図書の一つとして指導教官から紹介されたときに知りました。
それ以来、鈴木先生のファンに勝手になっていまして、大学院(修士)進学にあたり、鈴木先生がいらっしゃった大学を選んだこともあります(その大学院には進学できたのですが、私が入った時に鈴木先生はその大学を退職されてしまったので残念ながら講義を受けることができませんでしたが)。
最近では、都内の日本語学校の講演会やある団体設立パーティーでお会いした感じです。日本語学校での講演会では、「今日の講演を記念に・・・」ということで、鈴木先生の著作がいくつか場内販売されていまして、一冊ほど購入しました。その本はせっかく購入したのに、しばらく積読状態でしたが、このたび先生の訃報に触れ、哀悼の念を込めて読みました。
鈴木孝夫著『日本の感性が世界を変える』新潮選書(2014年)
副題に「言語生態学的文明論」とあります。
今まで鈴木先生の著作を多く読んできましたが、それらの集大成的な、かつよりエッジのきいた(やや毒づきが強い!?)内容でした。ですので、鈴木孝夫先生の世界観に初めて触れるという方には・・・ちょっと強すぎてお奨めできないかもしれません。できれば、
『ことばの社会学』(新潮文庫)、『ことばと文化』(岩波新書)から読んでからの方がいいかと思います。
『ことばの社会学』にある「寒いビールを飲みましょう」は、日本国内で日本語教師の仕事に就くために、受講した日本語教育養成コースの中にあった「対照言語学」という授業で、課題レポートのヒントにもなりました。日本語ですと、「冷たいビール」ですよね。でも、英語のcoldは日本語で言うところの「寒い」と「冷たい」を区別せずに両方の表現で使えるため、英語母語話者の日本語学習者で、最初に「さむい」という形容詞を覚えてしまったら(それがcoldの意味だと教わったら)、cold beerも「寒いビール」になってしまうということです。世界が異なれば、言語の区別感覚も異なるということで面白い比較です。
『ことばの社会学』と『ことばと文化』で免疫がついたと思ったら、『日本語は国際語になり得るか』(講談社学術文庫)を読んでみてください。これでもしアレルギー反応が出なければ、冒頭の本に手を出しても大丈夫かと思います^^
本書でしばしば出てくる「日本文明」ということばに、違和を感じる方も多くいると思います。「日本らしさ」を説く鈴木先生の論も、私も実のところ、ちょっと行き過ぎというか、いや、ロジカルにわかるけど、人とことばはそう簡単には割り切れないのでは?と畏れ多くも疑念を抱く部分もあります。そういうのも含めて、すんなりと読みごたえありと思わせるのは、鈴木孝夫ワールドの魅力なのではないかと思うのです。
人間は自分たちの愚かさややっと気づき始めたという意味を込めたいのならば、種小名はせめてstupido-sapiens、つまり「愚かでもあり賢くもある」とでもしたらどうしょうか。(p.255)
種として生きようか、忖度で利権に貪って生活しようとしているのか、このご時世を鈴木先生が改めて観察してくれたら、どんな痛烈なことばを投げかけるのか、そんなことをふと思いました。
日本語教師、語学教師を目指す方にぜひおすすめの一冊です。