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先生の仕事はしていても、先生になったことは、ナイ!

先生の仕事、つまりは教職?それをすること、それを生業として生きてゆくことと、先生になることとは、似てるけど自分の中では違うと思っているし、実際、自分が先生になったなんてことを感じたことは、この25年間、一度だってナイ!

自分が以前から書いているように、自分は芸術家なので、先生ではないと思っている。先生の仕事はやっていても、先生として見られ、思われていても、自分としては「自分は先生ではない、先生になったわけではない、先生と言われている人とは違う」と思っている。

自分は自分であって、先生の服を着ているか、サラリーマンの服をまとっているかのような違いであって、自分は自分であるけど芸術家であって、それは本体であり、先生というのは自分にとって服である。

意識してそう思おうとしているのではなく、自然とそう思わざるを得ないというか、明らかに先生と言われている人たちとは、異質である、つまりその範疇に馴染んでないという感触があって、それは今でもそう。

無意識に自分は染まらないんだと思い込んでいるだけかもしれないけど、いずれにしても、先生になったというような意識はナイ。

先生の仕事をしている、させてもらっているんだという意識は、これはかなり強いし、そのためには自分の行動やふるまい、身なりについて、これはすべきでないとか、こうしたほうがいいとか、相応しい人を演出しようとは常に考えている。ちょっと、他の誰かになったような気分を楽しんでいるのかも?

だって、もし先生になりましたと思ってしまったら、その先生を辞めるってことは、もう自分自身が終わってしまうというふうに捉えがちだから、いつでも逃げ道は作っておこうという無意識から、「先生になった」と思わないようにしているのかもね。

環境がどんなに変わっても、自分自身は変わらない、自分という価値は変わらないというそれが「アイデンティティ」というものなんじゃないの?
よく知らないけど。
他者に認められなくても、自分自身で意識することでしょ?
だって、もし無人島一人きりだったら、誰からも認められるということはないんだから、そのアイデンティティという言葉は消滅してしまう。
いや、社会という環境においてのみ、アイデンティティという言葉は存在し、意味を成すものなのか?
まあ、そんなことはどうでもいいや。
とりあえずは、地球という星、地球という社会で生きていることは間違いないのだから。