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普通と特別の分かれ目

今日は、映画「正欲」をレイトショーで見てきた。

私は今までフェチというものを
軽く見ていたのかもしれない。

手フェチとか、筋肉フェチとか
自然に言えるし
ちょっとした趣味程度に
思っていた。

だけど、この映画を見て
もしかして
もっと深刻に悩んでいる人がいるのかも。と
考えさせられた。

自分は、他の人と同じように
生きられないという
恐怖というか絶望というか。


この映画で
頻繁に出てきた言葉が
普通 
という言葉。

確かに
当たり前に
使ってしまいがちではあるけれど

そもそも
普通ってなんだろうか?と
考えると
答えがうまく見つからない。

ただ考えるのが
めんどくさいから
一括りにしているだけなのかも
しれない。

本当は
同じものを見ていても
一人一人の感じ方が違うし。

同じ言葉を見ていても
感じているニュアンスは
一人一人違う。

だけど
一人一人が違うものだと
してしまうと
コミュニケーションが
とてつもなく
難しくなってしまう。


もしかして
理解し合わなくていい人とは
普通という言葉で
片付けてしまっているのかも。

普通と言ってしまえば
それ以上考えなくていいから。


共振し合えるということは
特別な存在だということ。

本当は
私たちが生きていること自体が
普通なんかじゃない。

特別なことなんだ。

普通に生きていることが
特別な毎日であること。

そう感じられる人が
幸せに生きられるんだと思う。






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