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私だけの『幸せ』

貴方は、貴女は何に『幸せ』を見出だしますか?
家族、生活、仕事、夢、そして幻想。。。

街はクリスマスの賑わいが終わり年末、年明けの準備に忙しい。慌ただしく過ぎていくと、いつの間にか年を跨ぎ、知らぬ間に新年を迎えていた。私はアトリエに閉じ籠り、いつもの様に作品に向き合っている。
私は作品に没頭するタイプらしく、一度没入するとなかなか現実へは戻らない。戻らないとは言え、ある程度の完成が見えた時、どうしても止めなければならない時は現実へ戻る。ご飯も食べるし睡眠だってとる。トイレも行くしお風呂にだって勿論入る。
ただ、俗世間との繋がりは完全に切る。情報を入れない。


この様な私だから、親しい友人等は無く 勿論、恋人などは居ない。『今は』ではあるのだけれど。


私は向き合っている作品が、一応の終わりを迎えた事で、久しぶりにアトリエを出て、街を歩いている。アトリエに籠っていたのはどのくらいだったか。まだクリスマスまで何日とか言っていた気がするのだか。。。
ちょっとだけ大袈裟な作りの店に私は入ると、いつもの席。『御予約席』に座る。
「いらっしゃい。」
店のマスターはそれだけ言うとパンとコーヒー、サラダにゆで玉子を私の目の前に置く。喫茶店のモーニングのようなメニュー。この店では、お酒以外は自分で注文したことがない。いつも勝手に出てくるのだ。
腹が満たされると、私はマスターを呼ぶ。
「ちょっといいかな?」
マスターは皿を片付けると周囲のホール担当に近付くなとだけサインをだし、二人の空間を用意する。

「なんだ?珍しいな。」
「私だって人間だよ。ずっとひとりでいると喋り方を忘れてしまう。」
「そうか?」
「そうよ。本来の私はお喋りなの。だけど、ね。」
「お前の作品に向かう想いは常人には理解出来ないだろうよ。」
「やっぱりそう思う?」
「俺、以外は、な。」
「あなたには感謝してる。ありがとう。」
「完成、近いのか?」
「うん、もう少し。」
「次は、その時、、、だな。席はいつも通り。」
「うん、ありがとう。それじゃあ。」

この店のマスターは私の専属ブローカー。私は自分が生きていく為に絵を描き、マスターは私の絵の価値を見出だし、世の中に知ってもらう為に、絵を売る。相互理解のもとでの関係。私が食うのに困らない様にあの場所に店を開き、いつでも来いと言ってくれる。私のあの席は私の専用席。いつ行ってもあの席だけは私だけの予約席なのだ。
マスターは私の絵を売る事でそこそこの収入が得られるらしく、私はあの店で金を支払った事がない。まぁそれはいい。そうじゃない。私の性格の特殊性から、私はいつも『ひとり』だった。

生家は別にあったが、アトリエにいられれば足りる生活をわざわざ生家に見出だす事が出来ずに売ってしまった。残しておけば良かった等と思った事も無い。これまた『ひとり』でいる理由のひとつなのただろう。街での買い物を一通り済ませるとアトリエへ帰る。アトリエで待っているのは未完成の絵。
モチーフや象徴など何もない『絵』だ。こんなものが売れるなんて今の世の中がどうなっているのか。。。私にはまるで興味が無い。

それから一週間が過ぎた頃、私は再び街へ出る。いつもの『御予約席』。私の隣の席には完成した絵を置き、マスターを呼んでもらう。

「おう。出来たか。」
「ええ。納得した。」
「それなら上出来だ。取り敢えず食って行け。」

いつものパンとコーヒー、サラダにゆで玉子が私の前に運ばれてくる。隣の席の絵の前には少量のスープを置いてくれる。マスターにとって私の絵はそう言う存在なのだ。

私は店を出ると一人、街を歩く。皆一様に忙しそうで、私に構って来る者などいない。たまに街に顔を出す自称画家の人。アトリエに籠りっきりで、その生活全てが謎の人物。それが私。

私はいつも『ひとり』だ。寂しくも悲しくも哀しくも無い。街の情景を、この目に映る景色を、夢に見る幻想を『絵』にする。
『ひとり』は心地いい。
他者に惑わされる事も、騙される事も無ければ、気を遣う必要も無い。
私の目に映るこの街は何故にこんなにも輝いて見えるのか。
私は『絵』と『この街』と生きていく。この街に暮らす生活の営み全てが私の、創作意欲の源なのだ。

多くは望まない。
街に暮らす人々の笑みを
私は生涯見ていたいのだ。
それが私の『幸せ』なのかも知れない。

~私だけの『幸せ』 終わり~

ーーーーーそして最後にーーーーー

コツコツと私の足音だけが聞こえる。
街をひとりで歩いていると不意に全ての音が消え、自分の足音だけが聞こえる瞬間がある。
『ひとり』と『孤独』を抱えながら、
私はまた『ひとり』アトリエへ帰って行く。

ーーーーーあとがきーーーー

ある場所、ある方の、『幸せ』のひとつの形をイメージしたこの作品。よく知る方は解ってしまうかも知れない。



アトリエ
そして『私』

それぞれにイメージするものがあり、大袈裟に誰が見てものハッピーエンドには『敢えて』していない。それは何故か?
『私』に訪れる『幸せ』は『街』と共にあり、
『店』との関係性を『絵』と言う表現のひとつで表させていただいた。
全ての関係性は『これから』であり、『私』に訪れるであろう『幸せ』も、『街』と『店』と『私』とで作って行くものだと思う。『これから』の物語には無限の可能性があり、『幸せ』の形はひとつではない。

『私』である『彼女』に『多くの幸せ』が訪れる事を筆者である私は願っている。

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