台湾のジェンダー平等について

 なぜ、台湾はアジアの中でも突出したジェンダー先進国となることができたのか? 
 台湾は複雑を極める国際政治の世界で、かなり特異な地位にある。現在、台湾を主権国家として承認している国は13カ国しかない。国連や世界保健機関(WHO)などからも締め出されている。台湾海峡を挟んだ中国との関係は常に緊張を孕んでいる。そんな複雑な状況に74年間も置かされてきた。
 1987年まで戒厳令が敷かれ、同性愛はタブーとされ、同性愛者であるということで逮捕される時代だった。戒厳令解除後の90年代になると、民主化や女性権利拡大を求める運動とともに性的マイノリティの人々の権利を求める運動も盛んになった。
 97年、教育部(日本の文科省に相当)が開始した両性平等教育政策の取り組みの過程で、同性愛やトランスジェンダーへの関心が徐々に蓄積された。特に女性運動を代表する婦女新知基金会がジェンダー平等教育を促す立役者となった。同年、教育部は傘下に両性平等教育委員会を設置し、台湾における両性・ジェンダー平等教育を推進する主な組織となった。99年には教育領域における男女平等を実現するための立法が検討された。
 LGBT問題は2000年初頭の国際政治で、先進的な人権課題として関心が集まった。台湾は「同性愛・LGBT」に抑圧的な政策で知られる中国と差異化するため、04年には「ジェンダー平等教育法」を制定・施行。「各小中学校は毎学期に少なくとも4時間以上の両性平等教育カリキュラムを実施すること」を定めた。04年とは、まさに陳水扁民進党政権が解決すべき人権課題にLGBTの包摂を模索し始めた時期でもあった。政治の台湾化や人権立国がジェンダー平等教育法の推進要因となり、東アジアで初めて性的指向や性自認を理由とする差別の解消を規定した立法となった。05年には憲法改正によって、比例区の議員当選者の男女比を同数とすることが定められた、クォータ制を導入し、女性の政治参画が進んだ。
 16年、蔡英文氏は「同性婚の合法化を支持し、性的マイノリティの支援」をマニフェストに入れて当選した、台湾初の女性総統である。19年5月にアジア初の同性婚姻合法化を実現し、半年間で約2500組の同性カップルが正式に結婚した。22年には国会議員の女性がアジアで最高となる5割を突破。ジェンダー平等はアジアでトップとなる。
 台湾が日本よりジェンダー平等が進んでいるのは、女性議員の比率の顕著な上昇にジェンダー格差が解消され、ジェンダーを推進した女性運動家や女性官僚らが重要な役割を果たしてきたからだ。(辺野喜 陳 宝来)

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