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沖縄戦から75年。10年前のドラマから。

10年前、突然、取り憑かれたように一気に書いた沖縄戦の物語「ニイナとオジィの戦世」。

同じタイトルでラジオドラマと舞台の両方作って、FM沖縄や東京FM、コミュニティFMでも放送してもらい、10年前の6月23日、パレット市民劇場で公演も行なった。

なぜ、沖縄生まれでもない私が沖縄戦を書かなきゃと思ったのか。それは、当時、芸能活動をはじめたばかりの前堂ニイナさんの存在が大きい。(歌っているのが前堂ニイナさん)

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忘れもしない2009年、戦後65年を迎えようとする年の暮れ。ニイナさんとの会話の中で、「おじいちゃんが沖縄戦で死んでいたら、ニイナは生まれていなかった」と知った時、「ああ、今を生きる沖縄の若者たちは皆、あの戦争を生き抜いたおじいちゃん・おばあちゃんから命をつなげてもらったんだ」と、ハッとなったことが物語のはじまりだ。次の瞬間、どうしてそんな当たり前のことに今まで気づかなかったんだろうと、真の平和教育を受けていないことを残念に思った。沖縄の、才能あふれる素晴らしい若者を私はたくさん知っている。その彼らの命が沖縄戦と深く関わっていたことを、はじめて認識した瞬間だった。

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そして自分自身の命も、戦争と深く関わっていることをあらためて認識した。

私の父は今年81歳になるが、彼は戦時中、兄姉妹弟を餓死で亡くし、彼もまた餓死寸前だったと言う。そんな彼は北九州八幡というところに生まれた。長崎に原爆が投下された日、小倉が晴れていたら、私の父は死んでいたかもしれない。当初、原爆投下予定地は八幡製鉄所のある小倉だったそうだ。

父の兄弟4人は餓死したが、父は生きた。そして小倉が「曇っていた」ことも彼を生かした。父が戦争を生き抜いてくれたおかげで、私は生まれることができたのだ。私に限らず、今を生きる人はみな、75年前の戦争と無関係ではない。

特に沖縄戦は、24万人もの人が亡くなり、住民の4人に1人が殺されている。そんな熾烈な戦禍を生き抜いた人から命をつなげてもらった沖縄の人々は、生まれて来たこと、それだけで<奇跡>!すごいことなんだ!

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今を生きる若者に伝えなきゃ、あなたの命はすごい命なんだよ、お願いだから命を無駄にしないでと伝えたくて(当時、日本の自殺者は約3万人)、それまでずっと避けてきた、見たくないと逃げてきた沖縄戦と向き合うことを決めた。

あれからちょうど10年。

10年前に書いた鉄血勤皇隊の物語「ニイナとオジィの戦世」が、10年後の私に教えてくれるもの、語りかけてくるメッセージを、何回かに分けて共有してゆきたいと思います。

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*「ニイナとオジィの戦世」は2010年〜2012年の3年間、毎年6月23日慰霊の日にパレット市民劇場にて公演。

https://ameblo.jp/niinatoojii/


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