中曽根直子

那覇でオーガニック・ヴィーガン・レストランを営む五穀料理研究家/劇作家。沖縄が神に捧げ…

中曽根直子

那覇でオーガニック・ヴィーガン・レストランを営む五穀料理研究家/劇作家。沖縄が神に捧げてきた在来の五穀を探して宮古・八重山を旅し、沖縄の食と農業に深く関わって10年。食と芸能の深い結びつき、神歌に歌われる「赤椀の世直し」の意味、首里城、そして沖縄戦について語ってゆきます。

最近の記事

「ニイナとオジィの戦世」

今日は戦後75年の敗戦記念日。 観光地沖縄にとってはありえない、怖いほどひっそりとした8月15日を迎えている。 コロナで75年前と似た非常時を、今、私たちは体験させられているようだ。 友人ともなかなか会えず、行きたい場所にも行けず、当たり前の日常はとっくに消え、マスクをつけていなければ非国民扱い。戦時中はもっともっと生き苦しかったに違いないが、それに似た空気をコロナが運んできている。 そして、今年は75年前と同じ。私たちも首里城のない夏を過ごしている!! しんと静ま

    • 首里城。光の世界遺産と負の世界遺産

      沖縄戦で首里城がなぜ破壊されたのか。 それは首里城の下に日本軍司令部壕があったから。だから首里の町は徹底的に攻撃され、焼き尽くされた。(写真は琉球新報より) 首里城の下にある1キロに及ぶ長く巨大な壕。第32軍司令部壕。 この壕はいったいどうやって作られたのか? 信じられないことだが、中学生や師範学校の生徒、住民などが勤労奉仕に駆り出され、手作業で掘らされたという。1944年の12月頃から来る日も来る日も掘り続け、掘り出した土を外へと運んだそうだ。手もそうとう痛かっただ

      • 首里城の下に在る

        24万人もの人が殺され、住民の4人に1人が命を奪われた沖縄戦。あれから75年経った今も沖縄では、ほぼ毎日のようにどこかで不発弾処理が行われ、完全に不発弾が処理されるのに、あと70年かかると言われている。沖縄に降った鉄の雨は、畳1枚に1つの計算になるそうだ。 そんな沖縄戦を生き抜いたおじいちゃん・おばあちゃんから命をつなげてもらった君たちはまさに「奇跡の存在」なんだよと沖縄の若者たちに伝えたくて、今から10年前・戦後65年の年に私は「ニイナとオジィの戦世」(ラジオドラマ&舞台

        • 沖縄戦から75年。10年前のドラマから。

          10年前、突然、取り憑かれたように一気に書いた沖縄戦の物語「ニイナとオジィの戦世」。 同じタイトルでラジオドラマと舞台の両方作って、FM沖縄や東京FM、コミュニティFMでも放送してもらい、10年前の6月23日、パレット市民劇場で公演も行なった。 なぜ、沖縄生まれでもない私が沖縄戦を書かなきゃと思ったのか。それは、当時、芸能活動をはじめたばかりの前堂ニイナさんの存在が大きい。(歌っているのが前堂ニイナさん) 忘れもしない2009年、戦後65年を迎えようとする年の暮れ。ニイ

        「ニイナとオジィの戦世」