#教師のバトン ① 自分で決める
3月末に突如沸き起こった教師のバトンプロジェクト。その後の展開を見ても色々あるな・・と思う。私も教師の一人なので、一般の人よりも思うことの密度は濃いし、熱量も高く、想いも深い。
「教職の道をリタイアします」
Facebookに流れてきた担任だった教え子の記事。社会科教員になりたくて必死に受験勉強に取り組み、某教育系国立大学に現役合格。
すごい!夢に向かって一歩前進だ!そして将来「同僚」になるのを楽しみにしていた。
ところが大学3年生の春の記事に、教職の道を断念したことが語られた。
ものすごく残念だった。でもその記事を読んでいて納得した。その子が目指していたのは中学校の教員。2018年当時(いや今もだが)、中学校は部活動指導を中心に職場環境は困難を極めていた。初任者がどのような職場環境に置かれるか、十分想像がついた。いきなり担任はないにせよ、授業に副担任、給食指導、部活動、行事も担当するかもしれない、生活指導も厳しいかもしれない
「諦めないほうがいいよ」なんて言えなかった。
決めるのは自分
最終的に決めるのは本人だ。幼い頃からの夢だった教員。大学に入り免許も取った。けれども、一般企業に就職した。
「教員とは違った形で、教育に関わる仕事ができたら・・・」
これ、実は多くの学生から聞く言葉なのだ。
教職課程の学生の約半数は教職ではなく一般企業を希望している。
教育実習生もほとんどが、大学院進学か企業に行く。
今は「教育に関わる仕事」は学校以外にもたくさんある。
選択肢はいくつもある。
学校教育を外から支援し、課題を解決する人になるのだって、実は夢の延長線上なのだ。
「登り切った先の景色は見たか?」
この1ヶ月全く新聞に目を通す時間がなかった(そう、これが教師が迎える年度末年度始めだ)。GW中にようやく手にした日経新聞4月22日付夕刊、ミライロの垣内俊哉社長の言葉だ。彼は高校時代死を想った時に、隣の病床の方から問われたのだそうだ。
「登り切った先の景色は見たのか」「今は辛いだろうけど、縮んだものはいつかは伸びる」
教師は辛い。決して無理強いできない。
でも登り切った先の景色を見てほしいとも思うのだ。
教員の道は、中上級者向けの登山のようだ。一人では無理だ。先達が必要。色々な景色に出会う。それは美しいものだけではない、暗く過酷な時間もある。けれどもふと、何気ない瞬間に全ての疲れが洗われる。また頑張ろうって思う。登っていてよかったなとも。きっとどの職業も同じだろうと思う。
教員21年目。山頂にはまだつかない。けれどいくつもの景色を見た。
まだこれからも登っていく。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?