見出し画像

No.577 言葉の力、言霊の奇しき縁

こんな間違いをされた方は、いらっしゃいませんか?
 
実家が高校から遠かったので、下宿生活をしていたその女生徒Mは、市の弁論大会で優勝し、県高校中央弁論大会に臨むことになりました。大会前日の夜に、私は必要があって携帯電話でMに連絡を入れようとしました。意外にも、電話に出たのは五十代(?)の男性の声でした。
 
「こりゃいかん、Mの実家の方の電話番号を押してしまい、お父さんが出ちゃったか?」
と思いましたが、相手のMさんも、いきなりの電話に若干不審そうな雰囲気です。そこで、
①     さきほど、二人で真剣に弁論練習をしたこと。
②     明日の大会の発表予定時間は〇〇のこと。
③     よろしければ応援においで願いたいこと。
等々、早口で話して電話を切りました。

「あれ?Mの実家の携帯番号なんて入れてたかな?」
とふと思い、よくよく番号を見直したら、な・な・何と、Mと同姓だったM学年長の携帯電話でした。あの日の間違い電話の主は、私です。M先生、ゴメンナサイ!私のそそっかしさは、筋金入りです。学校に帰ってからの、きまりの悪さと言ったらありません。M学年長は、わがことのように喜んで下さり、大人の対応をしてくださいましたが…。

さて、その女生徒Mから感動させられた後日談があります。先の中央弁論大会で準優勝したMと後日の放課後、学校で弁論発表の反省会をしました。その時に、
「ある小学校の先生と生徒さんから、こんなに嬉しいプレゼントをいただいたんです。」
と手紙を30通ほど見せてくれました。

なんでも、Mの発表原稿をお母さんがコピーしていたらしいのですが、お母さんの知り合いの小学校の先生がその原稿を読んだとかで、いたく感動したのだそうです。先生は、わざわざ生徒さんたちに読んで聞かせたそうで、
「お姉さんに、今の気持ちを手紙で伝えよう!」
ということになり、Mに送ってくれたのだそうです。

Mの発表原稿は、脳外科医の伯父と患者の少女との悲しい話です。献身的な伯父さんの治療の甲斐あって一旦は退院するまでになった少女が、急な訃を迎えてしまった話や、その伯父も、後に過労死と言う不慮の死を若くして受け入れねばならなかった無念さから、二人の遺志を継げるような自分の将来に立ち向かいたいとする宣言でもありました。

小学校の先生はMの心に打たれ、生徒に思いを伝えたかったのでしょう。
「少女の苦しみや、医者の大変さ」
「良いお医者さんなのに、若くして亡くなった悲しさ」
「二人の心に感動」
「お姉さんも頑張って」
等々、素直で温かい言葉が綴られていました。めったにできない体験だったと思います。

私たちの知らない所(水面下)で、人の心が動いていたということを、私もその手紙によって知りました。Mは受賞の喜びに涙し、先生や子供たちからの優しい心に涙しました。心が響きあい、奏で合いました。不思議な縁でしたが、そんな不思議を呼ぶ弁論の力というものに気づかされました。

迂闊で粗忽で不調法な指導者には過ぎた教え子でした。