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No.994 書かずにおられるか…。

2年前に書いたコラムの再録ですが、必要に応じて手直ししてみました。古いヤツとはお思いでしょうが、どうか読んでやって下さい。
 
『若き詩人への手紙』は、オーストリアの詩人リルケ(1875年~1926年)が詩を志す青年に数年間にわたって書き送った手紙で構成された本です。リルケ自身の経験にもとづいたアドバイスや、労りと励ましのこもった文章が胸に響きます。自らの内なるものの声を聴くこと、自らを深く掘り下げることの大切さを説くのです。

「あなたは御自分の詩がいいかどうかをお尋ねになる。ほかの詩と比べてごらんになる、そしてどこかの編集部があなたの御詩作を返してきたからといって、自信をぐらつかせる。それは(私に忠言をお許し下さったわけですから)私がお願いしましょう、そんなことは一切おやめなさい。あなたは外へ眼を向けていらっしゃる、だが何よりも今、あなたのなさってはいけないことがそれなのです。誰もあなたに助言したり手助けしたりすることはできません、誰も。ただ一つの手段があるかぎりです。自らの内へおはいりなさい。あなたが書かずにいられない根拠を深くさぐって下さい。もしもあなたが書くことを止められたら、死ななければならないかどうか、自分自身に告白して下さい。」

『若き詩人への手紙』より

高校生時代に読んだ本の中で強く印象に残った理由は、自分のことをこんなにも思ってくれる人がいるという幸せな思いからでした。青年に語っているのにも関わらず、私の抱える悩みや不平不満に対しても、時空を超えて真剣に向き合ってくれているような魂の詩人リルケの言葉に感動したからです。

数年前の夜、BS2で「天使にラブソングを2」(1993年のアメリカ映画で、聖歌隊のサクセスストーリー)を放映していたので観ました。

歌って踊れる美魔女シスターであるメアリー・クレランス(主演ウーピー・ゴールドバーグ、1955年~)が、歌手を夢見ながらも母親と意見が合わずに思い悩む音楽クラスの生徒リタに説得する際に用いたのが、『若き詩人への手紙』の一節です。きっと、脚本家か、演出家か、監督が若い頃、私と同じような感動体験をしたんだろうなと思いながら見入ってしまいました。彼女は、リタを見つめながらこう言うのです。

「詩人を目指していた人が、ある日リルケに手紙を出したの。『詩人になりたいから、自分の作品を読んで欲しい』って。その手紙にリルケはこう答えたの。『そんなことを私に聞くな。もし、朝目が覚めて、あなたが詩を書くことしか考えられないなら、あなたは詩人だ。』あなたにも同じ言葉を贈るわ。朝目が覚めて、歌うことしか考えられないなら、あなたはすでに歌手なのよ。」

映画「天使にラブソングを2」より

美魔女シスターの言葉も雄弁ですが、説得力のある比喩的引用だと思いました。主人公のリタは、その言葉に背中を押され、高校生の聖歌隊合唱大会で圧倒的な歌唱力を披露して大喝采を浴びます。魂の言葉の力は、人の心の琴線に触れると、内なる力を呼び覚ますのですね、きっと。

さて、私は今、そうせずにおられるものがあるのか、否か?「○○は、私の体の一部」と憚らずに言えるものがあるのかどうか?正直に言って、答えることが出来ません。

この映画をTVで見たのは、これで2度目ですが、観るたびに、歌声を聴くたびに、心が揺さぶられるのです。「お前は何をしているのか」と。

『若き詩人への手紙』の序文には、
「今日また明日の、成長途上にある多くの人々にとって重要なもの」
とありますが、いまだに私は成長途上にあるということなのでしょう。

この本は、1952年(昭和27年)~1953年(昭和28年)の頃に日本語に翻訳され数社から初版発行されています。アメリカ映画『ローマの休日』(1953年)が公開された年であり、私が生まれた年でもあるので、この本も映画も私にとってはとても大事なものに思えるのです。

これから先、どんな自分に出逢えるのか、どんな自分に変われるのか。願わくば、笑顔で迎え入れ、受け容れられる姿でありたい。そんなことを楽しみにしながら生きています。


※画像は、クリエイター・じょさのん@語学屋さんの、「ドイツの南西部の街・ハイデルベルクの景色」の1葉をかたじけなくしました。お礼申し上げます。