見出し画像

No.246 もの羨みは、せぬことじゃ。

 午前7時前だというのに、もう公園の木々からウォンウォンと蝉のかしがましい鳴き声が耳に響いてきます。「ジィジィ…」が「爺、爺…」に聞こえるだけでなく、集団での大合唱による、あちこちからの「爺、爺」包囲網に、閉口、辟易、不快な私です。

 「セミの幼虫は、土の中で7年を過ごし、地上に出てくると、わずか1週間で死ぬ」
などと教えられた記憶がありますが、実際に土の中で7年も過ごすセミは日本にはおらず、ツクツクボウシで1〜2年、アブラゼミで3〜4年、クマゼミで4〜5年くらいだと知って、ちょっと目を丸くしましたが、1週間~10日で死んでしまうという常識も、環境さえ整えば1カ月くらいは生きられると知って、驚きはMAXに…。ただし、人間をはじめ、カラス、猫、鳥、肉食の蜂・蟻などの外敵や天敵が多いために、外で長期間生きることは、セミにとってかなり難しいことなのだそうです。

 昨日、早朝散歩に出かけ、件の公園の道を歩いていたら、
 「ジッ、ジジーッ、ジッ!」
と声を上げて雑木林の方からアブラゼミが飛び出してきました。目ざとく見つけた2羽の烏がほんの数秒の空中戦のあと、アブラゼミを餌食にしてしまいました。自然界のおきてとはいえ、小舟に襲い掛かる戦艦のように見え、一たまりもなかろうと思われました。一見平和な団地の中で、生きるか死ぬかの命のせめぎ合いを繰り返す自然界の生き物たちの厳しい現実、非情な世界を垣間見たのでした。

 「今は昔、春つ方日うららかなりけるに六十ばかりの女のありけるが、虫打取りて居たりけるに、庭に雀のしありきけるを、童石を取りて打ちたれば、当りて腰を打折られにけり。羽をふためかして惑ふほどに烏のかけり歩きければ、『あな心う。烏取りてん』とて、この女急ぎ取りて息しかけなどして物食はす。小桶に入れて夜はをさむ。明くれば米食はせ、銅薬にこそげて食はせなどすれば、子ども孫など『あはれ、女刀自は老いて雀飼はるる』とて憎み笑ふ。」
 (昔々、春のとても穏やかなある日、60歳くらいのお婆さんがシラミをとっていました。すると、庭を歩いていた雀が、こどもたちに石をぶつけられて腰が折れてしまいました。羽をバタバタさせて倒れているところに、カラスが近くを走り回っていたので、『おやまあ、かわいそうに。カラスが捕まえてしまうかも…』と思って、お婆さんは急いで雀を手に取ると、息を吹きかけて介抱し、ものを食べさせてやりました。夜は、この雀を小さな桶に入れておくことにしました。朝になれば米を食べさせたり、銅を削って薬にして与えたりしていたので、子や孫たちは、『なんだ、婆さんは耄碌して雀を飼っておられるよ』と、笑ってばかにしていました。)

 これは、鎌倉時代初期の説話集『宇治拾遺物語』「腰折れ雀」の冒頭部で、雀の舌を切る悪いお婆さんは出て来ません。『舌切り雀』は、後の時代となってさらに面白おかしく潤色し脚色された物語のようです。

 さて、子どもたちから石を投げつけられ、腰を折ってしまった雀を、烏から守ってやろうと優しいお婆さんは甲斐甲斐しく世話をします。銅を削って飲ませるという民間療法の薬により、すっかり治癒した雀は、瓢の種を一粒もって恩返しにやって来ます。その一粒は、大きな瓢箪を作り、その中には尽きせぬ白米が入っていました。お婆さんは大変裕福になりました。その隣のお婆さんは、お約束のように欲の皮が張っていて、悲しい結末を迎えてしまうのは、先刻ご承知のとおりです。

 さて、その「腰折れ雀」の末文には、
 「されば物羨(ものうらや)みは、すまじき事なり。」
と書かれています。

 そういえば、「福沢諭吉心訓七則」に、そんな一文もあったことを思い出しました。調べてみたら、次のような七か条でした。
 一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
 一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
 一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
 一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
 一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
 一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
 一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

 ところが、後の研究者により、これは福沢諭吉の文言ではないと結論付けられました。                                                  ①文体が明らかに現代文であり、福沢の明治時代の文章とはハッキリ違っていること。
②福沢の文章の中から拾い出したという形跡も見当たらないこと。
③誰かの創作であろうが、惜しいことにその作者は自分の名の代りに福沢諭吉の名を借りて来たばかりに、自分の創作した訓えの一つにそむく結果となってしまったこと。その訓えとは「一、世の中で一番悲しいことは嘘をつくことである」
これは、富田正文という人物が『福澤諭吉全集』第20巻の「附録」の中で述べているそうです。何とも皮肉な結末ですが、福沢諭吉の名を借りた「物羨み」が招いた浅ましい行為だったということでしょうか。

 げに、ものうらやみは、せぬことであります。

この記事が参加している募集

#古典がすき

4,049件