No.1341 かこの人

20代の頃だったと思います。作家と批評家が同席する講演会がありました。
批評家が先に紹介され、某作家の人生や作品を紹介しながら、印象批評をおこないました。
その後、作家が登壇したのですが、彼の放った言葉は衝撃でした。
「私は、今、彼が言ったような者ではありません。」
その冒頭、笑いを誘いながら、穏やかではありましたが、真っ向から否定したのです。
 
ひょっとしたら図星だったから、作家のそのような物言いになったのでしょうか?
それとも、作家自身の思いに批評家が至っていないことを批判したのでしょうか。
作家自身の今後の作品の可能性まで批評された様な違和感を覚えたのでしょうか。
 
こんな私でさえ、
「あいつは、こんなやつ!」
と言われたとしたら、言下に否定すると思います。
「まだまだ、やれるはず!」
と、ぺんぺん草のような田舎のジジイでも、この先の可能性に期待しているのです。
 
8月22日の新聞で、松岡正剛氏(まつおか・せいごう=著述家、編集工学研究所所長)が、12日午後1時53分、肺炎のために傘寿をもって幽明境を異にされたことを知りました。
 
2000年(平成12年)2月から始まった松岡正剛「千夜千冊」は、第1夜「中谷宇吉郎の『雪』」に始まり、2024年7月18日の1850夜「三浦國夫『中国人のポトス』」に至るまで四半世紀近く書き続けられました。
 
古今東西の作品への並々ならぬ愛着と、恐るべき批評精神の熱量と、圧倒的な筆力でもって縦横無尽に作品世界を分析し、紡ぎ、構築してゆく手法は、余人の追随を許さぬと言って良いと思います。「知の巨人」と言うに相応しい一人ではないかとひそかに思い、尊敬していました。
 
その彼の文芸活動が、ついに終わりました。今日からは「過去」の人として、その著作や活動のすべてを批評家たちによって総括される時代もあるのでしょう。動かぬ事実として。
 
その意味で「かこ」の人となったわけですが、こんな「かこ」もあります。
奈良時代後期の『万葉集』第15巻・3622番に、次の歌が載っています。
「月読(つくよみ)の光を清み夕なぎに水手(かこ)の声呼び浦廻(うらみ)漕ぐかも」
(月の光が清らかなので、夕べの凪いだ海の上に、水夫たちは声を合わせて、入江伝いに漕いで行くことだよ。)

「か」は梶 (舵) 、「こ」は人の意で「舟をこぐ人」「船頭」のことだといいます。松岡正剛氏は、正に古今東西の書籍の「読書」「批評」の水先案内人のような「かこ」の人でもあると思われます。「過去」の人でありながら、私を読書の魅力ある世界に誘ってくれる「水夫」(かこ)のような存在です。「水夫」と違って、正剛氏に「酔夫」の私は、その遺徳をしのびながら「千夜千冊」のページをめくるだけです。
 
2004年1月28日の925夜「建礼門院右京大夫集」では、じっくり人物関係と作品分析を織り交ぜながら、その魅力に迫りました。結びでは、
紫式部→建礼門院右京大夫→与謝野晶子
という「源氏」の系譜を指摘されました。その炯眼に恐れ入りました。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。


※画像は、クリエイター・にゃこぱんさんの「川下り」の1葉です。お礼申し上げます。その川下りの、にゃこぱんさんの説明に笑わせられました。ご紹介します。
「暑い夏は川下り 大人だって川遊びはしたいんだ 澄んだ水面に水しぶきがかかるよ 大人の粋な季節の楽しみ イベント アトラクションだよ 大波小波が押し寄せるけど舵さばきはさすがのいぶし銀の親方だね 顔色一つ変えちゃいないよ 音頭を唄う声に聴き惚れてると 船首は急流の滝に向かっていくよ え?」