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No.1216 初めての後悔

小さな団地の、ひな壇の土地の一角に家を建てました。

17段の階段を上り降りしなければなりません。30代の頃だったので、足腰の運動にもなるしいいだろうと思っての事でしたが、カミさんの友達のお母さんから、
「年を取ったら、苦になるよ!」
と言われました。
「そんなもんかな?」
と思っておりましたが、
「本当にそうだった!」
と思い当たる齢になってしまいました。

団地の100mほど上手に、9階建ての大きなマンションがあります。高台に建っており、道路から35段の階段を上がらねばなりません。一昨日、散歩の途中に、買い物をリュックに背負い、左手にトイレットペーパーの入ったビニール袋を下げ、右手で手すりにつかまりながら「どっこいしょ!」と声が聞こえそうに一歩一歩階段を上っている80代の老女の後ろ姿を見かけました。

マンションにはエレベーターの設備があるからいいようなものの、そこに辿りつくまでのあの階段には辟易しているように見えました。
「行きはよいよい、帰りは恐い♪」
の「通りゃんせ」の歌が思い浮かびました。

母は、11年前に85歳で病没しました。その前年に、大分の我が家に来てくれたことがあります。
「気分転換に団地内を歩きませんか?」
と散歩に誘いました。農村には見られない家々の形や、庭の植え込みや草花などの風情に癒されたのか、何度か立ち止まって見入っていました。

私は、すっかり足取りの鈍くなった母と手をつなぎ、案内しながらゆっくり歩きました。母の手を握ったのは何十年ぶりでしょう?背も小さくなりましたが、しわだらけの手も細くなったように感じました。

「叱った子に 今は優しく 手を引かれ」
大原美枝子(神奈川県、90歳)
2014年「第14回有老協シルバー川柳」入選句

私は次男坊で「悪がね」で鳴らしており、母の眉毛を吊り上げさせることを得意としておりました。しかし、母はそんな悪ガキの私を上から組み伏せて「お灸」を据え、私の眉を吊り上げさせることを得意としていました。やられたら、やり返す、そんな親子の仁義なき戦いが繰り返された子供時代の思い出が、昨日のことのようによみがえります。

しかし、目の前の母は、もう、私を追いかけることも組み伏せることも出来なくなっていました。母は、小さな老女になりました。散歩から帰ってきて、17段の階段を上ります。母は、両手で手すりを持ちながら、神官さんが階段を一歩ずつ上がるように、ゆっくりゆっくり上がりました。私は、後ろから母の腰をそっと押して支えました。後になって分かったのですが、きつそうだったその体は、病魔に体力を奪われていたためでした。

ひな壇の土地に家を建てたことを、私は初めて後悔しました。


※画像は、クリエイター・chamlandさんの、「リス園遊び」の1葉をかたじけなくしました。わが母にも、こんな時代があったでしょう。お礼を申し上げます。