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No.1020 ミラクルマン

初めて家庭訪問に伺った時の生徒のお母さんの言葉が、忘れられません。
「私ね、子どもが学校から帰って来た時、弁当箱を振ってみて、『カラカラカラ』って音を聴くのが一番幸せなんです。ああ、今日も元気で食べてくれたんだなって。」
 
生後間もなく発見された先天性の病気に、生涯悩まされ続けた彼でした。長期の入院生活のうちに、幼い頃は、病院が自宅だと信じていたと言います。小・中学校時代にも長欠を繰り返して学習に不安を抱えていた彼が、一念発起して高校に入学し、クラスの仲間入りをしました。我々の心配をよそに、
「なっちゃったもんは、仕方ねえもん!」
と受け容れていました。そのカラリとした表情に、こちらが救われます。
 
入院生活が長かったからか、まあ、口が賢しい!頭の回転が速い!ジョークが大好き!負けん気が強い!いろんな細かい事によく気が付く!明るいので皆から好かれる!
 
少し運動しただけでチアノーゼ症状を起こす男でしたが、不退転の決意で入学し、成長するに及んで体力がついて来たからか、大方の予想に反して三年間を皆勤するという奇跡、そして、成績優秀者として表彰されるというおまけ付きでした。まさに、ミラクルマンでした。
 
他県の大学を志望し、面接諮問で得意の話術を披露し、みごとに動機や意欲を開陳し、教授方から褒められたそうです。
「是非、うちで学ばせてほしい。」
と入試担当者が直接会いにやってきてくれたのには驚きました。子供の頃には誰も想像できなかった夢を現実のものにした彼は、自信と希望を胸に進学して行きました。
 
入学後は、寮での初めての一人暮らしがスタートし、勉強にサークル活動にとご多忙です。自動車教習所に通い、まさかの運転免許を取得し、まだ取り立てほやほやの夏休みにやって来て、
「乗っけてあげましょう!」
と嫌と言わせぬ押し売りで、人体実験さながらの恐怖体験をさせた憎いヤツでもあります。
 
しかし、環境の変化、大学での生活、身体への過重な負担に、いつしか忘れかけていた病魔が目を覚ましたのでしょう。身体のポンプは、彼を支えきれなくなりました。
「何か体調がおかしいから、田舎に帰りたい。」
と、優しい友人に伴われ自宅に帰って来た数日後に、突然帰らぬ人となりました。2001年の晩秋のことでした。

多くの人々に愛された男は、神様にも、病魔にも愛されてしまいました。2010年7月17日「改正臓器移植法」が全面施行され、臓器提供ができることとなりましたが、彼には間に合いませんでした。今年41歳のはずでした。