見出し画像

No.1145 父よ母よ

「父は第二次大戦が酷くなったので、そろそろ結婚でもして身の回りの世話をして貰ったら良い、あのぐらい気が強いのが君には合っていると勧められたから、仕方なく結婚したんだと言う。
 母は第二次大戦で、婚約者が戦死したので、余りしつこく結婚してくれと言うから、もう誰でも良いやとやけっぱちで結婚したと言う。
これは明治大正生まれの父母の照れでもあるし、ある意味ノロケ話なのだと大人になって気付いた」

(PHP「こころに残る 父のこと、母のこと」平成23年7月号、通巻758号、P28より)

娘さんによる父母の言い分を読むと、
「来てやった貰ってやったで五十年」
第4回「シルバー川柳」2004年の入賞句(群馬県、75歳、男性)の句は、嘘でもオーバーでもなかったのだなと気付かされます。このご老人も妻を愛し、照れ、惚気ています。
 
その娘さんは、次の言葉で文章を結んでいます。
「晩年の母は世界のクロサワと言われた父を支えた自負を持ち、高齢でも脇目も振らずに映画を撮り続ける父に、心身共に支えられ朗らかで少女の様でありました。
 晩年の父は、常に映画の仲間に思いをは馳せ、世界の明日を憂いながらも希望を捨てずに人間の力を信じて、これからの人間にこそ哲学が必要だと繰り返し、孫を溺愛して穏やかな好々爺でありました。」

(PHP「こころに残る 父のこと、母のこと」平成23年7月号、通巻758号、P30より)

互いが心の杖となりながら生きた老後でしたが、1945年(昭和20年)に結婚した奥さんの喜代さんは、40年後の1985年(昭和60年)、65歳で亡くなりました。そして、黒澤明は、1998年(平成10年)に88歳で病没しました。
 
映画衣装デザイナーとして活躍中の娘の黒澤和子さんが「力を合わせて生きた二人」のタイトルでこの文章を書いたのは、2011年(平成23年)のことで、父の没後13年、母の死後26年目のことでした。
 
「五十年かかって鍋と蓋が合う」
第9回「シルバー川柳」2009年の入賞句(秋田県、76歳、男性)ですが、金婚を迎えることの難しさゆえに、今二人が、こうしてあることの幸せを見つめ、感じていたいと思います。
 
「わしとお前は羽織の紐よ かたく結んで胸に置く」
作者未詳の「都都逸」(どどいつ)です。江戸時代末期から明治時代ごろの作かなと思っていますが、粋で真摯な老夫婦の世界が思われます。夫婦の固い絆がうかがわれる好きな句です。


※画像は、クリエイター・Tome館長さんの「横浜 人形の家」の操り人形の老夫婦の1葉です。「仲良きことは美しき哉」を思わせる二人の姿にゾッコンです。お礼申し上げます。