3月中旬~下旬にかけて使う春の季語が「山笑う」だそうですが、春が来ると彼女のこの詩のページを開きたくなります。
喜怒哀楽、どれも生きているからこその人間の感情です。「笑い」は、心にゆとりがあるからこそ生まれるものでしょうか。しかし、五木寛之『大河の一滴』の中で紹介されたように、シベリア抑留で精神の崩れそうな極限状態にありながら、絶望の淵にありながらも、人は美しい夕日に魂を揺さぶられ、にやりと笑みをこぼしたという話を読み、人間の尊厳を思いました。美しい世界が生み出した小さな笑みに、心の灯のような希望を感じました。
「笑う能力」のお話に思わず口角を上げたのは、茨木さんだけではないでしょう。膝までが笑うようになったのも、のり子さんだけではないでしょう。「笑い」の中に社会を見つめ、半生を見つめ、我が足元を見つめています。それこそ震えるような心の感動と寄り添いながら…。
「故郷や どちらを見ても 山笑う」
正岡子規(1867年~1902年)
※画像は、クリエイター・りりかるさんの「春の小川」の1葉をかたじけなくしました。この季節の風情あるシーンです。お礼申します。