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No.614 贈りたい「あっぱれ!」コール

20世紀末から21世紀初めにかけての1999年(平成11年)~2001年(平成13年)、夏の高校野球を応援する企画として朝日新聞社主催で高校野球を題材とした俳句コンクール「俳句甲子園」が行われました。選者は有馬朗人、黛まどかさんです。ちなみに、1998年より松山市で毎年8月に開催されている「全国高等学校俳句選手権大会」(通称、俳句甲子園)は、これとは別の大会です。
 
その第1回「俳句甲子園」(1999年)の一般の部で朝日新聞社賞を受賞した句を読み、胸に熱いものがこみあげて来ました。
「伝令で立ったマウンド君の夏」
(日角 毅、千葉県松戸市)
 
控えの選手として臨んだ夏の甲子園大会。しかし、何年間も厳しい野球の練習に明け暮れた結果、息子の掴んだ甲子園出場の機会は「伝令」でした。それでも、息子は伝令としてきびきびとマウンドに立ち、監督からのアドバイスを仲間に告げ、仲間を鼓舞してダッグアウトに消えてゆきました。スタンドから声援を送る父親は、大役を果たした息子が誇らしくもあり、選手として出られなかったことが残念でもあり、その複雑な親心を17音に籠めました。一切の感情を廃して、淡々と事実だけを述べた句ですが、「君の夏」で私の涙腺は崩壊してしまいました。素敵なお父さんに「あっぱれ!」コールを贈りたい気分です。
 
第2回「俳句甲子園」には、こんな句もありました。
「九回裏代走に出て夏終わる」
(俳人・菅原鬨也)
 
たった一度のチャンスでさえ与えられなかったサブのメンバーもいるでしょうし、スタンド席からの応援しか叶わない同学年の選手もいます。「自分に与えられた仕事を怠りなく全うする」ことこそ、全員野球を標榜するチームにとって一番大事なことなのかも知れません。「代走」は「みんなの代表」なのだと。
 
しかし、それはそうだと頭で理解は出来ていても、もっと出番を与えてやりたかったなというのが本心でしょう。選手起用で辛いのは、監督だけではありません。ある意味、監督のわがままをグッと飲み込んで滅私奉公する子どもや親たちのお陰であることも指導者は深く心に刻んでおいて欲しいと思います。
 
「ひたすらなものの美し一夏過ぐ」
俳人・金子兜太の句です。その「ひたすらなもの」たちがマウンドで、ピッチで、ダッグアウトで、スタンドで「美しく」輝く第104回・夏の甲子園大会は、今日は休養日で、明日12日目、準々決勝を迎えます。
 
104回の夏の甲子園の歴史の中で1918年(大正7年)の「米騒動」、1941年(昭和16年)の日中戦争、その後の、第2次世界大戦、さらに、2020年(令和2年)の新型コロナウイルス禍により大会が中止されました。
 
甲子園大会は、「平和」「平穏」な状態でなければ行うことの出来ない大会です。甲子園は、そのバロメータです。日本の平和が象徴された世界に誇れる大会だと思っています。甲子園で若者の夢がはじけ、日本中が歓喜する時代が続いて欲しい。
 
「逆転の大夕焼けとなりにけり」
「敗れたる土の熱さよ甲子園」
共に俳人・黛まどかの句ですが、甲子園の暑い夏は、灼く熱い夏であり、惇い夏でもあります。感動の名シーンは、まだまだ続きます。