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No.214 建礼門院右京大夫集の七夕歌

 今日は、七夕。戯れに「七夕川柳」をネットで検索したらヒットしたのが次の句です。要らん世話ながら、短い感想を書きました。
▼「ちゃっかりもホロリもあって願い事」
書くのも楽し、読むのもこれまた愉し。
▼「背泳ぎでおよいでみたい天の川」
小学生の可愛い感性に、してやられます。
▼「織姫はいくつなのかとふと思う」
もう何千歳?実は魔女だったりして…。
▼「七夕の孫の短冊サンタ宛て」
織姫・彦星も、あきれて目を交わす?
▼「今年から七夕のカレ正社員」
彼女の安堵の笑顔につられそうです。
▼「織姫にメールアドレス変えられる」
彦星の座から転落?非情な織姫ですな。
▼「天の川きれいにしてから逢わせたい」
天上界でも環境問題は深刻ですか?
▼「遅刻でも逢えないよりはと笑う人」
年一回の逢瀬に比べれば遅刻くらいねえ。
▼「三世代願いの多さに笹しなる」
さもあらん、短冊の多さも願いの重さも。

 本家本元の中国の「七夕節」は旧暦で、2021年の今年は8月14日だそうです。「七夕情人節(バレンタインデー)」の趣きがあり、笹飾りなどは無いといいます。

 その中国の物語、織女と牽牛の伝説は『文選』の中の漢の時代に編纂された「古詩十九首」が文献での初出とされているそうです。後漢(25年~220年)の後期には特定の意味を持った祝祭日として定着していたのだとか。日本へは、遣唐使などによって奈良時代にもたらされたといい、『懐風藻』や『万葉集』に既に見られます。一方で、「棚機津女:たなばたつめ」という日本の風習(『古事記』『日本書紀』など)が由来ともありました。

 日本の古典作品の中、「七夕歌」で異彩を放っているのが『建礼門院右京大夫集』です。平安時代末期から鎌倉時代前期に生きた建礼門院右京大夫(1150年代?~1230年代?)という女房は、平清盛の孫で平重盛の次男資盛と恋に落ちますが、資盛は壇ノ浦での源平の合戦に敗れ、25歳前後で入水します。その後、右京大夫は宮中への再出仕も経験しますが、資盛が西国に下る前に、
 「たとひ何とも思はずとも、かやうに聞こえなれても、とし月といふばかりになりぬるなさけに、道の光もかならず思ひやれ」
 (たとえ私の事を不憫と思わないとしても、このように親しくなってからも、長い年月というほどになった二人の情愛なのだから、後世の供養も必ず考えてください)
と言い残した亡き恋人の菩提を弔う約束を守り、年に一度の七夕の逢瀬に自らの人生をかこちたり、両星に想いを訴えたりしながら生き続けた人物として知られます。

271番「七夕のけふやうれしさ包むらんあすの袖こそかねて知らるれ」
277番「聞かばやなふたつの星の物語りたらひの水にうつらましかば」
281番「彦星の行き合ひの空をながめても待つこともなきわれぞかなしき」
292番「なにごともかはりはてぬる世の中に契りたがはぬ星合の空」
297番「うらやまし恋にたへたる星なれやとしに一夜と契る心は」
313番「かたばかり書きて手向くるうたかたをふたつの星のいかが見るらん」
321番「いつまでか七つのうたを書きつけむ知らばやつげよ天の彦星」

 また、資盛の命日に一心に菩提を弔いながら、こんな孤独な思いも激白するのです。
 「わが亡からむのち、たれかこれほども思ひやらむ。かく思ひしこととて、思ひ出づべき人もなきが、たへがたくかなしくて、しくしくと泣くよりほかのことぞなき。」
 (私が死んでしまったら、誰がこれほどに資盛様のことを気遣ってくれるだろうか。こう私が思っていたからと言って資盛様の命日を思い出してくれそうな人もいないのが、耐えがたく悲しくて、しくしくと泣く以外にありません。)
そう言って、悲運の恋人に誠の心を捧げ続けたのでした。独り身を通して生き抜いた背景には、過酷な運命に身をゆだねた恋人への無償の愛があったからだと思います。

 2020年12月に『建礼門院右京大夫集』の発信と影響』(日記文学会中世分科会編 新典社)が発刊されました。中村文は「交響する虚構と実状-『建礼門院右京大夫集』「題詠歌群」の機能-」の論で『右京大夫集』には前半部に40首の題詠歌、後半部に51首の七夕歌が塊となって並んでいる構成を解き明かし、経験と虚構とを客観的に組み立て直す「編集」作業によって悲嘆を相対化し乗り越えていく営為だと作品を読み取ります。
 「我々はもうそろそろ、『右京大夫集』という作品を、「愛と追憶の書」という亡霊から解放してもよいのでは」
という結論を導きました。戦乱の世に生き「ためしなき身」と自らを評した女性が、近現代的視座に立って作品理解や作品評価されることを、果たして「是」とするか否か?寧ろ、経験と虚構を編集し直したのは、「資盛への愛と追憶」というテーマを、より一層明確化するための再構成だったからではないかと私は思うのです。

 『建礼門院右京大夫集』が誕生して800年前後が経ちます。日本人の心を打つ作品として、今も命を保ち続けています。

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