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No.804 何とも楽しい感動でした

『山月記』は、中島敦(1909年5月~1942年12月)の短編小説です。中島が33歳で亡くなる1942年(昭和17年)2月に、「古譚」の名で「山月記」と「文字禍」の2篇が雑誌『文学界』に発表されたのがデビュー作となりました。
 
中国は唐の時代のお話です。駿才李徴は、平凡な地方官吏では満足できず、詩人として名を成したいという高い志を持ったのでしたが、夢叶わず、今度は膝を屈して復職すると、昔、歯牙にもかけなかった同輩は出世しており、使われる身の上となり、甚だしく自尊心を傷つけられてしまいます。ある日の夜、泊まった宿で発狂して行方知れずになりますが、声に従って駆けめぐるうちに李徴は虎というおぞましい姿になっていました。その虎となった李徴が、自分の数奇な運命を友人の袁傪に語って聞かせるという内容です。
 
清朝の説話集『唐人説薈』にある「人虎伝」の話が下敷きの題材になっているそうです。しかし、実際に読んでみると「人虎伝」では、
「南陽の郊外で一人の寡婦と密通したが、その家の者が私を探知し、常に私を殺害しようとして、その寡婦とはその後、二度と会えなかった。だから、私は風を利用して火を放ち、一家の人すべてを焼き殺して逃げた。このことを恨むばかりだ。」
と述べています。因果応報というべきか、非道の所業の報いとして虎になったのでした。
 
これに対して「山月記」は、各人の「性情」という人間の心の内側に迫ります。李徴は「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」の為に人と交わる事が出来ません。そんな自分に苦しみ、自分の心を痛めつけ、羞恥心のあまりに虎になってしまったという点で、原作とは大きくちがう創作意図を感じます。自尊心のゆえに才能を浪費し、社会から孤立していく李徴には、高校生はもちろん、社会人にも共感を得た方が多いのではないでしょうか。
 
「山月記」では、最後に、親友の袁傪に「自分の詩を都の人々に伝えて欲しい」そして「妻子が路頭に迷わぬようにサポートしてやって欲しい」との願いを託します。この時になって初めて、李徴は、自分を優先し、愛する者達のことを後回しにしてしまうような男だからこそ虎になぞなってしまうのだと理会するのです。彼の魂が、ようやく救われた気分になりました。彼は二声三声咆哮して、二度と姿を見せることはありませんでした。
 
次の様なユニークな視点で感想文を書いてくれた女子高生がいました。
「山月記の李徴は、なぜ虎になってしまったのでしょうか?話では、自分のプライドの高さや恥ずかしい気持ちで虎になってしまったと表現がありますが、いろんな見方をすれば、他にも虎になった理由があるのではないでしょうか。
 私は、月の神が李徴を虎にしたのではないかと考えました。神話にあるイザナミとイザナギの間から生まれたツクヨミの性格を調べると、繊細な人だったと書かれていました。李徴が自尊心がボロボロになって山中に駆けだした様子を見ていたツクヨミは、李徴に自分を見つめ直して心変わりをして欲しくて(思いやりの心、人との交流の大切さ)虎にしたのではないか。もしかすると、人間に戻る方法もあったのではないかと私は考えました。
 あくまで私の考えですが、いろんな視点から見ると深い話になって、人によってとらえ方がちがう話になるんだ!!という発見がありました。」
 
中国の物語の解釈に日本神話のツクヨミノミコトを登場させてその核心に迫ろうとする大胆な推理は、今まで出合ったことのない視点でした。確かに「山月記」中の月は、李徴の人間としての心を象徴しているようです。月の色が白くなり朝が来るように李徴も人としての心を失い、虎の心へと変わってしまいます。残念ながら、ツクヨミノミコトが李徴に憑依することはありませんでしたが、映像化したら意欲的な作品になれるかも?
 
日中合作の「大地の子」ならぬ「山月記」という壮大なスケールなのですが、ここだけのお話とさせていただく事にしましょう。私には、何とも楽しい感動がありました。


※画像は、クリエイター・肉森さんの、タイトル「みんなのフォトギャラリー」をかたじけなくしました。ここにも、李徴の面影を見ます。お礼申します。