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No.554 古希にして 克己の顔や さりながら

「40歳過ぎたら男は自分の顔に責任を持て」
(Every man over forty is responsible for his face)
と、かのリンカーン大統領は言ったそうです。40歳と言えば、様々な責任ある経験を通して、社会から鍛えられ、自らを砥石で研いで、知恵が生まれ、他人を受け入れる気持ちにも余裕が生まれ、自分に対する自信のようなものが顔に現れてくる頃だということでしょうか。そうしてでき上がった自分の顔に、責任を持たなければならない。それは、生き方が顔に現れるたとえであり、自分への矜持でもあるようにも思います。私などは、
「40歳過ぎたら男は自分の顔に責任を取れ」
と言われなくてよかった!なんて、ホッとしてしまいます。
 
「『先生の顔を見ると、うちの父さんの顔が美男子に見えるのよね』って、昨日、母ちゃんが言ってました!」
などという慰め(?)の言葉を、PTAの翌日に、嘘もつけない正直者に育ってしまった我がクラスの子から聞かされると、圧倒的な引き立て役として高い評価を得ている我がお顔が、何とも愛おしく思えて来るのです。

イギリスの作家、ジョージ・オーウェルは、
「50歳になると、誰でもその人の人格にふさわしい顔になる」
という言葉を残しているそうです。「それなりのお顔」と言われているようで、樹木希林さんの某カメラのCMが思い浮かび、思わず苦笑してしまうのです。
 
「20歳の顔は自然からの贈り物、30歳の顔はあなたの人生、50歳の顔はあなたの功績。」
そう言ったのは、映画「ココ・アヴァン・シャネル」(「シャネルになる前のココ」の意だとか)の中での言葉のようです。人生が深く皺に刻まれた写真を見ることがあります。縦ジワよりも横ジワを刻みたいものですが、人生は、苦難に満ちたものだということをシワは語っているようです。功績にも陰と陽があるのでしょう。
 
56歳で亡くなったリンカーンですが、70歳間近になった老人の顔は、何と評したでしょうか?古希なだけに克己したいお年頃ではあるのですが…。