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No.225 土俵に咲く大輪の花

 7月に入って鳴き始めた蝉も、大相撲名古屋場所も、「夏」の到来を告げる風物詩のように思えます。

 その名古屋場所は、「東京オリンピックの開催日を考慮して、例年よりも1週間ほど早く始められた」と、昨日、大相撲のTV解説の中で尾車親方が話していました。

 今場所の二つの焦点は色鮮やかです。幕内最高優勝44回もの偉業を達成しながら6回の連続休業で進退が取り沙汰され復帰戦に賭ける横綱と、大怪我により大関から一気に序二段まで陥落したけれども破竹の勢いで勝ち上がり「綱取り」に賭ける新大関の存在です。その二人が、14勝全勝で今日の日を迎えました。しかし、相撲ファンとしては、どんな勝ち方、どんな負け方をするかも大きな関心事です。ただ勝てば良いというものでもないところが、大相撲の魅力であり醍醐味だろうと思います。

 「心技体」の三拍子がそろった、他の力士の範となるべき「風格の綱」をいただいた者なら、余計にその試合は注目され、後々の語り草にもなるのでしょう。勝つことだけにこだわって、外連味のある立ち合いをしたり、正々堂々とした横綱相撲をないがしろにしたりしたのでは、ファンの心は離れても致し方ないと思われます。魅力に乏しいからです。

 昨日の打ち止めの一番は、審判席からも観客席からも「物言い」のつくことはありませんでしたが、後味の悪い相撲でした。何か物議を醸さないではおられないトラブラー力士が改めてその存在を浮き彫りにしたかたちです。堂々たる横綱相撲だからこそ、勝ちに胸を誇れ、負けて悔いなしの心境になれるのではないかと、私などは思ってしまいます。
 
 1939年(昭和14年)、横綱双葉山が70連勝のかかった大一番で敗れた時、
「ワレイマダモッケイタリエズ(我、未だ木鶏たりえず)」
と知人に打電したという有名なエピソードがあります。威風堂々とした横綱の貫録は、その言葉にも表れるようです。言行一致してこそ、真の大横綱であることを先人が示しています。

 昨日は、TV観戦の後、今一つ晴れない気持ちで、相棒と散歩に出ました。大通りの反対側の大きな団地内には、幹線道路の中央分離帯が花壇になっており、様々な花が咲いています。その中に「浜木綿」の白い花が何本か見られました。ハマユウは、奈良時代後期に成立した『万葉集』にも見られる日本人には馴染みのある植物のようです。

 この「ハマユウ」は、7月17日の誕生花でもありました。その花言葉の一つは、「汚れのない」というものです。ハマユウの白い花が「木綿(ユウ)」(=神事で利用される楮の木の皮を原料とした白い布)を垂らしたようであることからの命名だそうです。潔い意味でした。なにか、不思議な出合いだったように思います。

 「明日の決勝戦は、このハマユウのように汚れのない堂々たる激しい戦いで、横綱の見事な復帰戦、あるいは、序二段から見事に返り咲いた新大関の雪辱戦として、モンゴル出身の両雄をたたえられるような大一番であって欲しい」と心から願いました。

 あと11時間後には、9年ぶりとなる全勝同士の命運をかけた直接対決が行われます。良い意味で記録にも記憶にも残る土俵上に咲く大輪の花の姿を見せてくれることを期待しています。