見出し画像

No.947 コンチネンスアドバイザー

この言葉を知ったのは、今から30年近く前のことです。
クラスの生徒のお母さんが、大人の失禁に関するアドバイザー(排泄ケアのスペシャリスト)の資格を取られ、「何かお役に立てることがあれば」と筆を執って下さったので知ることが出来ました。コンチネンス(continence)とは、失禁の反対語だそうで、排泄がコントロールされている状態を表す英語の日本語表記だといいます。
 
ユニ・チャームの「ライフリー」のページに、
「排泄ケアとは、それぞれの高齢者の残存能力に適した排泄のスタイルを見つけ出し、それを実現するための実践的な活動のことをいいます。」
とありましたが、大変ありがたい視点であり活動であると思います。
 
今から半世紀以上も前になりますが、私が中学生の頃に、祖母は尿失禁症でした。膝に水が溜まり、立ち上がって歩くことが不自由になりました。四つん這いになったり、廊下を雑巾がけするような姿勢になったりしながらトイレに行き来します。しかし、5mほどしか離れていない廊下の先のトイレに間に合わずに、途中で失禁してしまうのです。
 
何せ優しい心根の祖母です。私は、祖父からどれだけ叱られたか、クラス中の人の指の数を借りても足りませんが、祖母から怒られたという記憶は1度もありません。その祖母の、お尻を高く上げてトイレに急ぐ姿を見るたびに、気づかれないように廊下に落ちた尿をサッと雑巾で拭いました。祖母に尿漏れの感覚があったのか、何とか間に合ったと思っていたのか、本人が口にしたことがないので分かりません。
 
しかし、一日に何度もそれは繰り返されます。ポトポトと水滴のように落ちている時もあれば、水をこぼしたように濡れている時も、引きずった足が線のように尿の跡をつけている時もあります。
 
ある日、私は、愚かな自分を思いっきり知ることになりました。祖母が、ちゃぶ台の前からトイレへと動き始めた時に、もう廊下が濡れ始めていました。私は気づいていましたが、知らぬふりして茶の間のテレビを見ていました。何だか、うんざりするような気分に襲われていたのだと思います。
 
少しして、這いながら戻ってきた祖母は、廊下に垂れている尿に気づいて止まりました。その瞬間、ハッとした顔をして茶の間にいる我々の顔を見ました。その時の表情を私は文字にできません。それよりも、何て悲しい思いをさせたのかと自分の愚かさを悔いました。二度とあの表情を見ないで済むようにしようと思いました。
 
あの祖母が失禁していた頃に、コンチネンスアドバイザーに出会い、適切なアドバイスを受けられていたら、祖母も私も穏やかな気持ちでいられたかもしれないと思うと、少し複雑な気持ちになりました。時計の針を巻き戻すことは出来ません。私の苦い思い出は消えませんが、排泄に悩む人々にとって、アドバイザーの貴重な意見は希望をもたらしてくれるのではないかと思います。
 
その祖母は、1975年(昭和50年)9月に息子(私の父)に先立たれ、そのショックのために寝込み、4年後に他界しました。
 
十七回忌の時に、祖母の思い出話に花が咲きました。私の父母は、勉強のことは何一つ言いませんでしたが、躾については大変厳しい人たちでした。軍隊上がりの父は、言うよりも早く鉄拳を飛ばしました。母は、悪さばかりする次男坊を心配してか、組み伏せてまで灸を据えました。しかし、祖母は、そんな不出来の孫でも優しくかばってくれました。
 
信心深い祖母でした。毎日神仏に供物を捧げ、家内安全・健康長寿を祈り続けました。父母ではかなわない慈愛に満ちた温かさが、祖母にはありました。私が神仏を敬うのは、そんな祖母の影響大だと思います。そんなことも失禁の思い出と共に懐かしみました。御神酒を口に運びながら。


※画像は、クリエイター・星の汀 / ほしのみぎわさんの、タイトル「七夕|短歌 &朝顔」の1葉をかたじけなくしました。「葉陰の紅い朝顔」という説明にも心惹かれました。お礼を申し上げます。