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No.782 忘れられない偉丈夫

もう半世紀近くさかのぼりますが、都内にある国公立と私立の6大学の国文学科・中国文学科の院生たちが年一回、伝統の野球の交流試合をしました。指導をしてくださっている大学の教授や助教授たちの横のつながりのご縁で、続けられてきた大会です。
 
中にはスポーツを得意とする文学研究者もいましたが、運動音痴が少なくなく、草野球チームにもだんぜん劣る「白熱した試合」です。スリーアウトが、これだけ遠い存在であることを知るのに時間はかかりませんでした。世界一短いトンネルがあちこちで見られました。
 
さて、この交流試合のもう一つの伝統は、その夜に行われる懇親会です。各大学の代表者や先生方が十八番の余興を演じたり、得意の喉を披露したり、人生訓を語って下さったりと、尊敬する他大学の先生方とひざを交えてお話しする機会を得られたこともあり、今も懐かしく思い出すのです。
 
ある年の懇親会で、立教大学中国文学科の教授だった野口定男先生が、こんな面白いお話をしてくださいました。さすがに、中国文学とお酒は切り離すことが出来ません。
 「自分は、大変酒が好きなために、泥酔していろんなところで寝てしまいます。公園だったり、路上だったりすることもあるし、電車の中などしょっちゅうです。
 ところが、どっかこっかで卒業生や知人に出逢うものらしく、『先生、乗り換えの駅ですよ!』と起こしてくれたり、タクシーを拾ってくれたり、時には、家まで送り届けてくれたりするのです。私はたいそう酒好きですが、たいそう幸せ者でもあります。」
 
野口先生は、立教大学で中国文学の教鞭をとるかたわら、いくつかの運動部の部長も兼務されたといいます。又、全日本大学野球連盟の専務理事を務めたり、日米大学野球選手権大会組織委員会の事務局長をなさったりもされた方です。学生に心と体のバランスを求めたのでしょうが、苦労も多かった分、多くの知友や学生たちに恵まれ敬愛されたことがよくわかりました。
 
野口先生の、しわが刻まれた優しく人好きのするお顔や人を惹きつける温かい語り口調は、人柄を良く表しており、われわれは一夜にしてファンになりました。

しかし、その懇親会の2年後、先生は62歳という年齢ながら病没されました。野口先生というと「大きな景色の偉丈夫」の言葉が思い浮かぶのです。
 
「一読して、『これは野口先生のあの授業だ!』と嬉しくなった。野口流の“菜根譚”は現代人の人生の教科書だ。」
立教大学文学部日本文学科を卒業した小説家の伊集院静氏は、野口定男著『世俗の価値を超えて―菜根譚』 (鉄筆文庫)の推薦文に、そのように綴っていました。


※画像は、クリエイター・はずれスライムさんの、タイトル「論語をちゃんと読んだことはありますか?」をかたじけなくしました。私は、齧ったくらいです…。お礼申します。