人生を狂わせたアフィリエイトの失敗談をすべて打ち明けます
これはあくまでぼく自身の体験談として書きます。
他人の失敗談は多くの気づきをもたらしてくれるものです。
アフィリエイトに関わらず、これから何かに挑戦しようと思っているひとにぜひ読んでもらいたいです。
懇親会で知り合った人は皆ライバル
アフィリエイトで稼げるやり方というのは意外と柔軟性がないです。
だいたいはすでに方法が確立されていて、それに沿ったやり方をしないといけません。
なので自分の興味のある商品や広告で稼ぎたいと思っても、興味のない、あるいはつまらない商材の宣伝をしなきゃならないのか、ということが起こってきます。
(あとで述べますが、「これからは水素水が稼げますよ!」と言われて、それを面白いと思えるかどうか、ですね)
そして、特に大きく稼ごうと思ったら、参入するべきジャンルというのはだいたい決まっているのです。
一件あたりの報酬が高く、それでいて旬の広告というのは、それだけ多くのアフィリエイターが群がります(単価が高くてもまったく流行っていない商材はアフィリエイターは群がりません。稼げないから)。
競合が多いジャンルというのは、参入を躊躇するアフィリエイターも多いのですが、他のニッチなジャンルで挑戦しても大して稼げないことがわかってくると、みなが同じような広告に集中することになります。
今がどうなっているのかはよく知りませんが、僕がアフィリエイトをやっていたころというのは、アフィリエイター同士でよく懇親会をやっていました。そのとき何をやっていたのかというと、「情報交換」と称していま稼げる方法を教え合っていました。
みんな口々に「情報交換しましょう、情報交換しましょう」と言います。しかしこれは要するに「稼げる方法を教えてくれ」と言い合っているわけですね。
その後どうなるかというと、その教えあった、稼げる方法を、皆が実践し、検索エンジンの上位を、その懇親会に参加していた者同士で競い合うことになるわけです。
もちろん全員が同じやり方をするわけでもなく、それぞれにニッチなところを狙おうとしますが、ニッチすぎるとほとんど検索もされず、「これでは稼げない」と気が付きます。
それで結局は皆が稼げそうな同じ方法に収斂していくわけです。
アフィリエイトの広告代理店(ASP)にとってアフィリエイターは兵士である
アフィリエイトの広告代理店(ASP)も慈善事業でやっているわけではありませんから、代理店自身も稼ぎたいと思っているわけです。
代理店の側の戦略としては、より大きく稼ぐためには、たくさん稼いでいるアフィリエイターに「これから稼げそうな広告」や「ジャンル」などを先に教えていくことになります。
代理店の生存戦略としては、稼げていないアフィリエイターに教えて時間を無駄にするより、いますでに稼げているアフィリエイターに教えるのが効率が良いということです。
そして、アフィリエイトの広告代理店が定期的に開催しているセミナーというのは、これからより稼いでくれるアフィリエイターを発掘するための、餌まきなわけです。
セミナーを開いてより多くの人にアフィリエイトの方法を教えるというのは、それだけ稼げる方法をたくさんの人にばら撒いているということになります。
そうすると当然に競合が増えるわけです。
アフィリエイターにとっては競合が増えるのは嫌なことですが、代理店にとっては稼いでくれる人が増えるわけなのでお得なわけですね。
逆に言えば、代理店にとって個々のアフィリエイターが稼げるかどうかはどうでもいいことなのです。
どれだけアフィリエイターが増えたとしても、代理店の売り上げに激甚なダメージを与えることはほとんどないからです。
しかしアフィリエイターにとっては競合が増えて嬉しいわけはない。
ここがアフィリエイトの一番辛いところではないかと思います。
ぼくはある時点でこのことに気が付いたのですが、それまでの成功体験から結局長くそこに留まることになってしまいました。
アフィリエイトはそもそも楽しくない
アフィリエイトは検索エンジンの対策だけで成り立つわけではありません。
例えばSNSを駆使したやり方などもあります。
でもこれも似たようなもので、例えばツイッターがまだスパム対策が甘かった頃というのは、自動でアカウントを作成できるツールを駆使して稼いでいた人がいました。
そのツールで一気に1000とかアカウントを作って、自動で投稿しまくるなんて具合です。
そしてその作ったアカウント同士でリツイートしまくる。
でもこの段階ではほとんど広告を混ぜた投稿はしません。
複数のアカウントのフォロワーが増えた段階で、たまに広告を載せます。
フォロワーも多いから広告のクリック数はとんでもないことになります。
「無料会員登録」だけで報酬がもらえる広告を載せているので、こんなくだらない方法で月に300万円とか稼げたりしていたようです(あまりに馬鹿馬鹿しいのでぼくはこの方法はやっていませんでした)。
それでいて、この方法を採用している人が、別の同じやり方をしている人同士でつながって、それでフォローしている関係同士でリツイートしたりする。
ぼくはこういう話を聞くたびにうんざりしていて、結局独自のやり方に固執していきました。
他にもこんな話があります。
皆さんは何年か前にネットで笑いのネタになっていた、あの、「水素水」というものを覚えているでしょうか。
「水素水」もかなりアフィリエイトで話題になった広告プログラムです。
考えてみてもらいたいのですが、あなたが広告代理店から「これからは水素水が熱いですよ!今のうちに水素水のサイトを作っておきましょう!」と言われて、「よし!水素水で稼ごう!」と思えるでしょうか。
ぼくは結局、水素水のアフィリエイトはやらなかったのですが、ここでなんの躊躇もせず水素水の宣伝ができるような人は、アフィリエイトには向いているのかもしれません。
ちなみにですが、アフィリエイトで大きく稼ごうと思ったら、そのアフィリエイトの広告が話題になる前、何ヶ月も前からサイトを仕込んでいることが理想となります。
そしてこれから話題になりそうな広告プログラムは、広告代理店が教えてくれるのですが、それは先にも言ったように、稼げているアフィリエイターから順に情報が回っていきます。
そうして、ある程度、稼げているアフィリエイターだけでは頭打ちになった段階で、広告代理店はセミナーを開き、新規参入してくるアフィリエイターたちを兵士に仕立て上げるわけです。
どうでしょう?ここまで聞いて、楽しいと思えるかでしょうか。
馬鹿馬鹿しいと思ったあなたは、ぼくと同じように、たぶんこの手のアフィリエイトには向いていないでしょう。
簡単に情報商材に騙されてしまった
2011年の10月ごろだったと思います。
アフィリエイトがうまくいっていなかったぼくは、一発逆転を狙おうと、ある情報商材に騙されてしまいます。
正確には騙されたのかどうかすらわからないのですが。
これはもう見事に口車に乗ってしまったわけです。
追い詰められていた自分は、いかにも稼げそうなことを声高に言う動画の主に説得力を感じ、10万円ほどする商材を買ってしまいました。
ここでそもそも商材の内容を実践せずに辞めてしまうひとが圧倒的多数らしいのですが、地味に行動力のあるぼくは必要な機材を整えてしまいました。
そして実際にネット上でサイトを作って実行に移します。
結果的にはうまくいかなかったのですが、もしも本気でやっていればうまくいったのかもしれない。
しかし、そもそも自分が熱中できるやり方ではなかったので、数ヶ月後には心が折れてしまいました。
「人間って追い詰められるとこんなに簡単に騙されるもんかー」と、今ではとてもいい教訓になっています。
情報商材って、お金がなくて追い詰められているひとから搾取するものなんですね。
もちろん情報商材にも良いものもあるのですが、そのほとんどが詐欺、というか詐欺であることを確認すらできない曖昧なものが多いです。
これは書店で自己啓発書を買うのと大差ないと思います。
「著者はそのやり方で成功したけど、万人には当てはまらない」で終わっちゃう本を買うのと情報商材を買うのは意味的には地続きなわけですね。
売れている情報商材は、情報商材を売るアフィリエイターたちがこぞって紹介していきます。
そのアフィリエイターたちが握っているのが、「ネットで稼ぎたい」と考えている人たちのメールアドレスです。
普段からそのメーリングリストにメルマガを送り、稼ぎたい意欲を煽っておきます。
そこで頃合いを見て、情報商材を紹介します。
この情報商材は、そのアフィリエイター自身の商材である場合もあります。
そうして売れ始めると、多くの情報商材アフィリエイターがその広告を紹介しまくります。
ひとりの稼いでいるひとの商材をほかの多くの人が紹介しまくってバズを起こす。
これって、いまのSNSのバズマーケティングと何も変わらないのではないでしょうか。
稼いでいる他のアフィリエイターへの嫉妬が判断を狂わせた
ぼくは24歳のときに本格的にアフィリエイトを始めたのですが、当初は独自のやり方で創造性も豊かに楽しくアフィリエイトに取り組んでいました。
あとで詳しく述べますが、ぼくは型にはめられると極端にやる気をなくすという、独特のこだわりがある人間です。
アフィリエイトを始めた当初はそんな自分の特徴にも気が付いていなかったのですが、最初は自分の創造性を発揮でき、どんどん収入は増えるし、他の趣味や人間関係も充実していてとても幸福な時を送ることができました。
それが2007年〜2010年の頃のことです。
しかし、このときすでに、アフィリエイトの界隈では成果報酬型のアフィリエイトの定石とも言える方法がすでに確立されており、世の中にはアフィリエイトの塾が誕生していました。
ぼくは独特のやり方をしていたので、そんなことも知らず、それでいて「アフィリエイトで月に3000円以上稼いでいる人は全体のわずか2%ほど」というような、当時よく出回っていたネット上の記事を見て、「俺はすごい!」とか思っていました。
しかも不況の世の中にあっては20代半ばにしてはお金を持っていました。それもアフィリエイトで稼いでいたお金です。
なので貧困に喘いでいるとかいったこともなく、ちょっと優越感にも浸っているところがありました。
しかし2010年ごろからアフィリエイトがいまいちうまくいかなくなります。
窮地に立たされたぼくは、いろいろと打開策を模索するうちにアフィリエイトの塾の存在にようやく気がつきます。
ここから6年もの長きに渡ってぼくはアフィリエイトの呪縛に苦しめられることになります。
そのときアフィリエイトの塾経由で知り合ったひとに、月200万円をコンスタントに稼いでいる人がいました。
ぼくは初めて「自分がいかに井の中の蛙」であるかを思い知り、激しい衝撃を受けました。
これでぼくは完全に冷静さを失いました。
「なぜ俺はそれだけ稼げていないのか」「俺にだってできるはずだ」という思い込みに支配されます。
この成果報酬型のアフィリエイトの方法を教える塾が2006年ごろには存在していたことを知り、「なぜもっと俺は早くこの塾の存在に気づかなかったのか」などと毎日のように後悔するようになります。
毎日アフィリエイトに夢中になり、趣味も人間関係も充実していた数年前のことが、まるで否定されたようなものです。
この感じ方自体が後に大きな勘違いであることがわかるのですが、このときのぼくにはそんな冷静さなどまるでありませんでした。
アフィリエイトを始めた2007年の後半は当然に最初だから収入も少なかったのですが、それでもどんどん上昇していっているという思いが強かったため、収入のない最初の頃は貧乏だったとしても、かなり幸福な状態でした。
「上昇感」があれば幸福を感じやすく、「下降感」があればたとえお金持ちでも不幸を感じやすいものです。
しかし2011年後半から2013年夏前までの約2年間は、どんどん収入も落ち込んでいったし、なによりアフィリエイトがつまらなかったので、現実逃避をする毎日でした。
とにかくこの確立されたアフィリエイトのやり方というものが絶望的につまらなかったのです。
収入が下がっていくのも辛かったですが、なによりも辛かったのは、仕事が、アフィリエイトがつまらなかったことです。
アフィリエイトの塾で知り合った人の出席する懇親会に行ったときのことですが、そこで交わされている会話がまた絶望的でした。
「あのアフィリエイトのサイトを自動で作るツール知ってますか」
「有名なアフィリエイターのあの人知ってますか」
「いまって稼げる広告はなんですか」
こいつら、頭大丈夫か?とぼくは思いました。
それでいて、そのときに見せてもらったアフィリエイターの人たちのサイトを見て愕然としました。
皆同じような、なんの内容もないつまらないサイトだったのです。
今ではありえないことですが、2011年ごろのアフィリエイトは中身がほとんどないサイトでも普通に稼げていたのです。
その後、急速に中身重視に変わっていったのですが、2011年ごろまではまだ無料のホームページのアカウントを自動で何個も取って、おまけにサイトの内容まで文字を自動で入れ替えただけサイトを何個もネット上にアップする、なんてツールが普通に出回っていたし、それが通用していた時代でした。
(余談ですが、このとき特に使用されていたホームページというのが、昔アクセスカウンターで有名だった「ninja」の無料ホームページでした。「ninja」は1アカウントで10個までホームページを作ることができたのです。
ある日、このアフィリエイターたちのサイトが大量に削除されて大騒ぎになったことがあります。
そんな大量に自動でサイトを作られたため、「ninja」の側のサーバーがついに負荷で耐えられなくなったのでしょう。
このとき、懇親会で知り合ったあるアフィリエイターさんは、毎日200個も「ninja」のページを量産し、それでようやく月に60万円ほど稼いでいたらしいのですが、全部削除されて「明日からどうやって生きていけばいいんだ」と言っていたらしいです。
それを聞いたアフィリエイターさんが「全部削除なんてひどいですよねー」と言っていましたが、ぼくは横で白けていました。
それにしても、中身がほとんど一緒のサイトを200個も、何ヶ月も自動で継続して作っていたなんて、正気の沙汰じゃないと思うのですが、当時のアフィリエイトはこれが現実でした。
ぼくは自動化ツールはほとんど使わず、地道に、だけど塾で教わった方法のうち、ツールのいらない方法でサイトを作っていました。だけどこれがとにかくつまらなかったです。)
なお後日談ですが、この月に200万円も稼いでいるアフィリエイターさんは、同じアフィリエイター仲間だった人への自慢がものすごくかったらしく、自慢されていた側が「あの人、自慢がすごすぎて・・・」とうんざりしている姿を何度も見かけることになりました。
現実逃避のために貯金を崩してガールズバーに通いまくった
これは面白い話なので載せずにはおられないです(笑)。
2012年のことですが、ぼくはアフィリエイトの塾で教えてもらった方法がとにかく楽しくなくて、1日に2時間ほどしか作業できず、その1年以上前から通っていたガールズバーに毎夜毎夜でかけていました。
正確には毎夜、ではありませんでしたが。
というのも、朝方に、という日も多かったのです。
その当時、自分の通っていたガールズバーは朝の5時くらいまでやっていました。
もともとぼくは夜型の人間だったので、たとえば昼過ぎに目がさめる、なんてことがよくありました。
生活リズムが乱れてくると、夜に目が覚める、なんてことがあるわけですね。
すると、どうなるか。
夜の11時に目が覚めるとします。
ぼくの1日のスタートです。
しかし、そこから仕事をして、次の日の夜にバーに行こうとすると、そのころには眠くなってしまいます。
でもバーに行きたい。
ということで、夜の11時に起きて、すぐにガールズバーに向かうわけです(笑)。
店に着くと夜中の1時とか、深夜2時ということがよくありました。
それで酒に酔って帰宅すると、朝の5時、6時となるわけです。
帰り際に近所で24時間やっているスーパーに寄って、朝ごはん、というか、昼飯?を買って帰るみたいな。
収入はそんなに少なくはなかったのですが、何しろバーにどんどん消えていくので、貯金を切り崩してガールズバーに通い続けました。
自分でも当時、「これは意味不明だろう」と思っていました。
「俺はどうかしてるんじゃないか」と思いながらATMからお金を下ろす瞬間の気持ちをはっきりと記憶しています。
子供の頃からどちらかというと真面目な性格で通ってきた自分が、まさかこんなクズみたいな生活をするなんて、と愕然としていたものです。
それでもやめられない。
通っていたといっても毎日ではなく、平均すると週3日くらいで、一度の酒量もそんなに多くなかったため、アルコール依存症になったわけではありませんでしたが、こんな経験をしているため、ぼくはパチンコ依存症や薬物依存のひとの気持ちがよくわかります。
摂取量が増えるごとにドーパミンの出が悪くなるのに、また快感を得たくてどんどんはまっていく。
そしてどんどん自己嫌悪になる。
自己嫌悪になって嫌なことを忘れたいから、またお酒やパチンコにはまっていく。
ぼく自身、完全にこのスパイラルにはまっていました。
とにかくアフィリエイトの塾で教えてもらった方法があまりにもつまらなかったのです。
2007年ごろから運営していたサイト群はまだ健在だったため、そこからの収益で収入自体はそこまで減ってはいなかったのですが、減っていたぶんをなんとか補おうと、塾で教わった方法でそこまでお金を減らさずにはいられた。
けど仕事は絶望的につまらなかった。それで現実逃避の日々でした。
男なら年収~万円はないといけないという思い込みがあった
ぼくは稼いでいるアフィリエイターのひとに嫉妬し、完正常な判断ができなくなっていました。
おまけに「男なら30過ぎて年収が400万円くらいなきゃダメだろう」という激しい思い込みがありました。
しかしこれは、収入が下がっていたことが問題というよりも、収入も人生の充実感もどんどん下がっていったことが痛かったわけです。
これはまた別の記事にでもまとめようかと思うのですが、すでにこのときのぼくはかなりの抑鬱状態にあったように思います。
仕事に充実感がない→
本当はこんなことはしたくない→
自分はダメなやつだ→
ダメな自分をなんとか収入を上げることで肯定したい
もともと子供の頃から型にはめられると極端にやる気をなくしてしまう傾向のあったぼくが、やり方の確立された、しかも興味のない商品を紹介しなきゃいけないという状況に幸せを見いだせるわけがなかったのです。
水素水の宣伝なんてまっぴらごめん、というわけですね。
過去のアフィリエイトの成功体験が判断を狂わせた
ちなみにこの時期、他にバイトもしようかといろいろ模索したのですが、ぼくは接客業が極端に嫌なので、ほとんど長続きしませんでした。
人と接するのが嫌なのでアフィリエイトを選んだ、というところもありました。
しかしこのあと奇跡が起きます。
2013年の夏。
ぼくはアフィリエイトのある懇親会に出たのですが、そこで件の月収200万以上稼ぐひとに、あるアフィリエイトの広告代理店さんを紹介してもらいました。
(ちなみに、この時点でこの月収200万のひとは毎月コンスタントに300万円以上稼ぐアフィリエイターに昇格していました。
毎月コンスタントに、というところがポイントです。
月に100万以上稼いだことのあるアフィリエイターさんは、探せば結構見つかります。ぼくもそのひとりです。
でもだいたいはラッキーが重なった偶然であり、ほとんどのひとはその後、稼げなくなっていきます。)
このとき、たまたまその代理店さんが推していた、あるスマホアプリのゲームがありました。
それは18禁のゲームで、当時まだ日本国内での保有率が20%もいっていなかったスマートフォンの画面上で女の子の胸の部分をタップし、胸がボインボインと揺れるという、実におバカなものでした。
ぼくは特に何も考えず、そのゲームの攻略サイトを作りました。
そして、これが当たりました。
しかもそのゲームは、女の子の胸をタップするまでの過程が結構おもしろく、ぼく自身そのゲームにのめり込みました。
ゲーム自体に夢中になっているから、攻略サイトの中身もどんどん充実していきます。
そして、ゲームのタイトル名で検索すると、ぼくのサイトは検索結果の上位を独占していました。
結局、この広告のみで1年間で400万弱は稼ぐことができました。
(他のアフィリエイトもやっていたので、実際の年収はもっと高かったです。
ちなみに最初のほうで紹介したスパムみたいなツイッターのアフィリエイトをしていたひとは、同じ広告で月に200万円稼ぐなんてひともいたらしく、やっぱりぼくは井の中の蛙でした)
しかしこれによって、ぼくは典型的な成功体験から脱却できない病に冒されていくことになります。
この成功は偶然によるところがあまりにも大きかったです。
以下、なぜこれがうまくいったのか箇条書きにしてみます。
●そもそもスマホでのソーシャルゲームにのめり込んだこと自体が初めてだった。
●当時、ツイッターで同じゲームをしている仲間との交流自体が楽しかった。
●ゲームの攻略内容を見た人から感謝されること自体が嬉しかった。
●ものすごい没頭感で仕事に熱中し、忙しかったことが快感だった。
そして、これによって後におこったネガティブな影響を箇条書きすると、
●自分はゲームの攻略サイトを作るのに向いているという勘違いが起こる
●ゲーム自体に熱中していればいいサイトが作れるし収入にもつながるという勘違いが起こる
●仕事は常に没頭し、熱中していなければいけないという思い込みに陥る
●ゲームが流行る前にそのゲームの情報を知っていればもっと稼げる、情報が命だから、情報の豊富な東京に行けばもっと稼げる
ここまで書いた通り、アフィリエイトは情報が命です。
誰よりも早く、これから流行る広告や商品を知っていれば、自分ももっと稼げる。
そう思ったぼくは、東京に行く決断をします。(より具体的には、ワケあって横浜に行くことになりました)
この東京行きが大失敗に終わるわけです。
車も持っていたわたしは、東京(横浜)に車も持ち込みます。
ここでも仕事=アフィリエイトは楽しくありませんでした。
それでぼくは何をしていたかというと、訪れた先で見つけた面白い店に入りびたったり、車でドライブをしたり、友達のシェアハウスで行われるイベントに行ったりなど、現実逃避をする日々でした。
横浜では東京に何度も出かけ、そこでアフィリエイトの情報を仕入れました。
アフィリエイトの知り合いに出会い、紹介してもらったASP社長さんが主催する勉強会にも何度も足を運びました。
これで自分も大きく成功できる、と思いました。
しかしこれがよくなかった。
最初のほうに書きましたように、ぼくにはそういったことが性に合わなかったのです。
興味のない商品を紹介しなければいけないということ。
そのためには興味のない商品に詳しくならなければいけない。
では興味のある商品を紹介すればいいだろう、と思いきや、そんな商品やサービスは広告としてほとんど注目されない=儲からないものばかりでした。
それから、懇親会で他のアフィリエイターさんと関わるわけですが、ぼくは彼らに興味が持てませんでした。
「情報交換しましょう」「あの有名なアフィリエイターさん知ってますか」
こういった会話を聞くたびに疲弊していきました。
東京にやって来る前の段階でこういったことに自分がうんざりしていることはわかっていたのです。
しかし、ゲームの攻略サイトがうまくいってしまったことで、ぼくはこうした事実から目をそらしてしまいました。
東京(横浜)に行ってわずか数ヶ月でぼくは大きな壁にぶち当たり、「またゲームの攻略サイトを作ればうまく行くはずだ!」と自分を奮い立たせ、あるゲームのサイトを立ち上げました。
これがひどかったです。
すでに疲弊していたぼくは自分を奮い立たせ、無理やり体に鞭打ってサイトを作ります。
しかしこのサイトがお粗末なもので、ゲームの画面を載せて解説するわけでもなく、ただ文字だけでブツブツ走り書きのようにしただけのサイトでした。
それははタワーディフェンスのゲームだったので、キャラの配置がわからなければ攻略できませんでした。
ゲームの画面を使った解説がなければサイト訪問者はなんのことだかわからないわけですね。
でもぼくは「このキャラはだいたいこのあたりに配置すればうまくいけます」と文章だけ載せていました。
画像がないので、サイトの訪問者は直感的に「ここに置けばいいのかな?」なんてことはわからないわけです。
当然、訪問者たちはすぐにぼくのページを閉じていたことでしょう。
しかもそのゲームは配信開始からその時点で一年が経過していました。
検索しても攻略サイトはあまりなかったのですが、SEO的にもそこから検索の上位を狙うのには、あまりに遅すぎたのです。
それでもサイトを作ってしまった。
完全に焦っていたわけです。
はっきりと覚えています。2015年の1月です。
横浜の狭いワンルームの部屋の中で、壁にもたれかかりながら、虚ろな目でただひたすらゲームをし、画像も載せずに文章だけ書いていました。
当然こんなものが長続きするわけがなく、三週間ほどで心が折れてしまいました。
というか三週間でも長すぎます。
その後、ぼくはスマホアプリゲームのテスター(デバッガー)のバイトをしますが、これも長続きしませんでした。
ゲームは好きだけど、オフィスの中にこもって8時間も作業するというのが、どうにも苦痛でしょうがなかった。
そしてさらに迷走が続きます。
ASPの担当者はやたらと腰が低かった
アフィリエイトのセミナーに参加したぼくは、脱毛サロンで一発逆転を狙おうとします。
「代理店にとってアフィリエイターは兵士である」の項目のところで書きましたが、まさにぼくは兵士でした。
代理店側にとってぼくが稼げるかどうかなんて関係ないわけです。
代理店側の担当者はぼくが座っている会議室の長机の隣に、椅子には座らず、床に片膝をついた状態で、ぼくの隣につきます。
腰を低くし、あくまでアフィリエイターのことを立てている、ように振舞っているわけです。
いま考えても馬鹿馬鹿しくて苦笑してしまうのですが、「いかにもアフィリエイターをいい気分にさせようと振舞ってるなー」と気がついてはいましたが、それでもぼくはなんとなくいい気分になりました。
知っている方はすぐに気がつくと思いますが、アフィリエイトで脱毛サロンというのは最も激戦のジャンルです。
報酬単価が一件10000円以上が当たり前で、サイトが検索結果の上位を取れれば、1サイトだけで1ヶ月に100万円以上稼ぐことも可能なわけです。
このジャンルは、おそらく代理店側がセミナーを開きまくっていたこともあり、後から後から新規参入者が参加してくるわけです。
ぼくもそのひとりだったわけですが、すでにこの一年以上前に脱毛サロンではそこそこ成果をあげていたので、本腰を入れればうまく行くだろう、と考えていました。
パソコンの前でじっとしているのが苦痛だった
そこでぼくが採用したのが、各脱毛サロンへの、駅から徒歩で向かう方法をサイト上に写真つきで載せることでした。
これは当時、ほとんどのサイトがやっていなかったので、これなら他のサイトと差別化してうまく行くだろう、と思っていたわけです。
このときの失敗の要員として大きいことがあります。ぼくはぼく自身のある先天的な性格特性にまだ気がついていませんでした。
横浜に住んでいたので、各脱毛サロンの店舗ごとの駅からの道順を写真に撮るため、ぼくは東京神奈川千葉埼玉の脱毛サロンのお店の前まで行き、駅からの道順を写真に撮りまくりました。
これは当時、とても楽しかったです。
これをサイトにアップロードします。
しかしよくよく考えればわかることですが、脱毛サロンのサイトを訪問したひとが、そのサイトから知りたい情報は何かというと、脱毛のことに決まっているわけです。
道順は、まあ知りたい人もいるかもしれませんが、すでにGoogle マップで検索できる時代に突入していました。
そもそも道順を知りたい人は「〜店、道順」といった感じで検索するでしょう。
仮にそのキーワードでぼくのサイトに訪れた人が、そこからぼくの貼った広告を踏み、サロンに予約するか。
たぶん、道順で検索するひとは、すでに予約している人だろうと思います。
だから訪問者がいたとしても成果にはつながらない。
より正確にいうなら、訪問者がほとんどいなくても、戦略がうまくハマれば稼ぐことはできるのですが(本稿とはまったく関係ないので省きます)、結局ほとんど成果を上げることができませんでした。
さて、サロンごとの道順を写真に撮り歩いたぼくですが、なぜそんなことをしてしまったのか。
それは、冷静さを失っていた、というのもありますが、それ以上に大きかったことがあります。
ぼくは開放感に浸りたかったのですね。
横浜にいる間もずっとそうでした。
毎日のように「みなとみらい」に行って喫茶店でアフィリエイトの作業をしていました。
家にこもっているのが嫌だったのですね。
そして、サロンへの道順を撮りに出かけたのも、まあ言ってれば、旅行気分だったわけです。
横浜から遠く、千葉市の街中へ、東京都の立川市へ、埼玉県の川越へ、所沢へ、神奈川県の小田原へ出かける。
ちょっとした小旅行です。
もう完全に気分滅入っていたのだと思います。
何と言っても、こういう変なことをするのがぼくの特性でした。
これが2015年のことですが、このあとから今までも、ぼくは仕事に取り組むときに、いつも人とは変わったアプローチをします。
そして2007年からアフィリエイトでうまくいったときというのは、全部独特のやり方で、夢中になって取り組んでいたときのみでした。
2013年にうまくハマった攻略サイトも、かなり独特なサイトの作りをしていました。
他に稼いでいるアフィリエイターさんのサイト構成とはまるで違っていて、カチッとした作りはどうも向いていないらしく、一種、散文的な内容でした。
途中で述べましたが、型にはめられると極端にやる気をなくすのですね。
世界陸上のメダリストである為末大さんに「努力は夢中には勝てない」という言葉あります。
ぼくは集中力がかなり高いのですが、集中力の高さは視野の狭さに繋がります。
よく没頭している状況を表すとき、ぼくたちは両手のひらを頰に寄せて、そこから顔の先へダチョウ倶楽部が「やー!」とやるときのように手を前に突き出すポーズを取ります。
しかし集中力が高いというのは、まさにそのポーズに表れているように、対象に対して近視眼的になりやすいわけです。
ぼくは集中力が高く、ハマったときはアフィリエイトでもなんでも一点突破型でうまくいったわけです。それも自由に、自分の好きなようにやらせたときにはうまくいった。
逆に言えば、あれもこれも次から次へと興味のない商品を紹介していくような、それもマニュアル通りに整備されたやり方は、もともと向いていなかったわけです。
これが脱毛サロンの道順紹介という迷走につながってしまいました。
しかし、このときいろんな街を訪問できたこと自体はとても楽しく、今でも訪れた先の街のことを思い出してはちょっと嬉しくなったりします。
あれもこれもぜんぶできると思い込んでいた
人間が1日のうちで本気で集中できるのはせいぜい3時間くらい、というような話を聞いたこともある人も多いかと思います。
特に文章を書くなんてのはそんなに長時間できるものではありません。
村上春樹さんも長編小説を書くときには1日に4000文字くらいと決めているそうです。
4000文字って、本気で集中すれば1時間ぐらいで終わってしまいます。
では毎日そんな集中力を発揮できるかと言えば、それは無理というものです。
詳しくは別記事に載せようかと思いますが、人間は慣れます。そして飽きます。
ぼくはアフィリエイトに没頭できないでいました。
先に書きましたように、独自の方法でのびのびできているときには没頭できていました。
ぼくの視野狭窄な集中力の高さがフルに発揮できていたときです。
しかしマニュアル化されたやり方でサイトを作るなんて段階になってくると、もう最初から萎えていたわけです。
それなのに、世の中には毎日10時間も机についてひたすらサイトを作っているような人がいる、というのを聞いて、ぼくは「俺にもできるはずだ!」と机に向かってしまいます。
起きてからすぐに机に向かいます。しかし、体は動かない。
なんとか作業を続けようとするも、やはり体は言うことをきいてくれない。
それでもなんとかしようとするが、ある段階で糸が切れて、バタンとベッドに倒れこみます。
そうして一週間以上、ほとんどベッドから動かず、だらだらとゲームしたりしていました。
こんなことが本当に何年も続いたわけです。
それで現実逃避するように好きなドライブに出かけたり、ガールズバーに入り浸りました。
それも、パチンコ依存症と同じで、刺激にも慣れていき、大して楽しく無くなります。
しかし仕事はつまらない。さらに刺激を求めようとし、またガールズバーに通うわけです。
ホリエモンの本などを読んで効率化という名のもと無理をしすぎた
アフィリエイトの初期の頃からビジネス書を読んで、あれこれとサイトの改善をしようと務めていました。
その中に、堀江貴文さんやちきりんさんの本がありました。
彼らの本の中に、効率化の話がよく出てきます。
特に堀江さんの本にはは毎日分刻みでスケジュールを組み、夜には会食をしているとう話がよく出てきます。
「俺だって毎日を忙しく充実して過ごしたい!」
ということで、この話を自分のアフィリエイトに当てはめてしまいました。
うまくいっているときはよかったのですが、アフィリエイトの塾に入ってからはもう悲惨でした。
前述のように自分の体に鞭を打ち、無理やり机につくという日々が続きます。
仕事を効率化するためにはどうしたらいいか、どうやって楽をするか、なんてことも考えます。
そうして精神は疲弊していきました。
ちなみに堀江さんやちきりんさんの本は今でもぼくの生き方に良い影響があったと思っています。
好きでもないアフィリエイトに応用しようとしたのが間違いだったのです。
アフィリエイトをやるにはぼくはナイーブすぎた
本腰を入れてアフィリエイトをやっていたのは2007年7月から2016年7月くらいまで、ちょうど9年間でした。
このうち本当に良かったのはトータルで4年ほど。あとの5年間はジリ貧でした。
この9年間のアフィリエイトの平均年収は240万円ほどです。
2014年が500万円。2008年と2009年が300万円超え。他は300万円を超えることはありませんでした。
他にもちょくちょくバイトもしていたので、思ったよりも良いように見えますが、収入的にはこのあと低空飛行しつづけ、2015年から4年間も年収200万円を切ってしまいました。
しかし、収入はかなり減ったのですが、したくもないアフィリエイトをやめられ、まったく別の事業に乗り出せたことがとても救いでした。
「これからは水素水が稼げますよ!」
「よし!俺も水素水のサイトを作ろう!」
こう思えなかったことがなんといっても敗因です。
創造力を発揮できる現場でなければ力を出せないぼくには、マニュアル化されたアフィリエイトは苦痛でしょうがなかったのです。
いつの間にか長期にわたって自分のことが大嫌いになっていた
これは別記事に載せようかと思いますが、いつの間にか自分のことが大嫌いになっていました。
その嫌いになったタイミングというのが、2011年ごろ、ちょうどアフィリエイトの塾に入った頃からです。
アフィリエイトの懇親会で奇妙な会話をしているひとたちを見かけて「なんかいやだなー」と思う自分に嘘をついてしまった。
このあたりでどんどんそんな自分に嫌悪感を抱いてしまっていたわけです。
しかし当時、人生経験の乏しかったぼくは、まだ何が自分に向いているのかがわからなかったので、「とりあえずやってみよう」という心持ちでした。
結果的にはうまくいかなかったわけですが、挑戦したこと自体はとても素晴らしいことだと自分でも思います。
長期でのビジョンがまるでなかった
自分がどうなりたいか。
その長期のビジョンがまるでありませんでした。
そもそもなぜ2007年にアフィリエイトを始めたかというと、それは就職もせずに焦っていたからです。
しかし、接客業は絶対にいやでした。以前にコンビニに勤めて13日間でやめてしまっていました。余談ですが、某コンビニの社訓(?)みたいなやつを大声で読まされるのが苦痛でしょうがなかったです。
いまだに「よくもあんなもの無理やり読ませたな」と根に持っています。
これも詳しくは別記事にでも載せようかと思うのですが、ぼくは型にはめられると極端にやる気をなくす傾向があります。
まあ、24歳ごろのぼくに、そのことに気が付いた上で長期の計画を決めろ、なんてのは、土台無理でした。
自分が何に向いているかは20代の前半で把握するのは厳しいと思います。
そういう意味では、子供の頃から継続して特定のスポーツをやり続けていたアスリートのひとというのは、試行錯誤を続けてきたということで、それ以外のひとたちよりも物の見方が洗練されている傾向が強いのではないか、と思います。
まあそれも、トップアスリートの世界に限った話なのかもしれませんが。
長期のビジョンのないことがなぜいけないかというと、自分がどうなりたいかがわかっていないので、迷走しやすく、ブレやすいからです。
こっちのほうが稼げそう、いやこっちの方が稼げそうだぞ、いやあっちは?
という具合に自分が定まらないので物事へ集中しにくく、そんな状態だからいい仕事ができるわけがないのです。
夢中でやっている人に、無理やりの努力で勝てるわけがないのです。
アフィリエイトをやって良かったこと
ここまで書いておいてなんですが、ぼくはアフィリエイトをやって良かったと思っています。
良かった点を箇条書きにしてみます。
●自分の個性を知るきっかけになった
●成功体験の恐ろしさを体験できた
●現実逃避だったとはいえ夜の遊びを若いうちに経験できた
●人間が追い詰められるとどうなってしまうのか若いうちに経験できた
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なんといっても一番良かったのは、自分の個性を知る大いなるきっかけとなったからです。
自分がどんな仕事に向いているかを知るためには、たくさんの行為をする必要があります。
向いていなければやめればいいです。
もちろん、向いていないと思っていたものが、視点を変えれば実は向いている場合もあります。
ぼくはアフィリエイトに向いていなかったわけではありません。
アフィリエイトを、自分なりの方法で、創造性豊かに、自由に行えたときにはうまくいきました。
しかし型にはまったやり方になると、途端にやる気をなくしました。
アフィリエイトに向いている、向いていないではわからないことがあります。
その中身を分解し、自分への理解の解像度をあげる必要があります。
野球が好き、にもいろいろあると思います。
野球をしているときの高揚感が好きなのか。
バットにボールが当たる瞬間の音が好きなのか。
野球をしていると女の子にモテるのがいいのか。
野球をしていい成績が出せたら親が褒めてくれるからいいのか。
野球が得意な自分は将来何億円も稼げる、と思っているからいいのか。
ぼくは自分の集中力の高さや直感優位の傾向があることを自覚したのはつい最近のことです。
20代前半のうちはそんなことにまったく気がついていませんでした。
しかしアフィリエイトでうまくいかなかったことが、結果的にぼくの個性に気づくきっかけとなったわけです。
アフィリエイトをやる前、ぼくは公務員受験をしていたのですが、もしも公務員になっていたら、この自分の個性には当分気づけなかったのではないかと思います。
まあ、その前に公務員やめた可能性の方が高そうですが。
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成功体験の恐ろしさを、その身をもって体験できたこと。
これは本当に大きかったと思います。
よく日本企業は過去の成功体験から脱却できない、みたいな話を聞きますが、頭でわかっていても抜けられない、それが成功体験というものなのでしょう。
ぼくがゲームの攻略サイトでうまくいったのは、実はかなり偶然によるところが大きかったわけです。
★ソーシャルゲーム自体にそこまでハマったのが初めてで新鮮だった。
★新しく始めたツイッターで仲間と会話することが楽しかった。
★自分の創造性を刺激するのにちょうどいいゲームだった。
★広告の単価が高かった。
★まだほとんどのアフィリエイターが取り組んでいないゲームだった。
★いいタイミングで広告代理店のひとを紹介してもらった。
そして、このゲームのあと、ぼくは2017年の初頭までゲームの攻略サイトに固執していきます。
しかし、もうゲーム自体に飽きていたし、そこまではまれるゲームもなかったのです。
偶然が重なった特殊な成功体験を、普遍のものと思ってしまった。
そうしてぼくは後に多くの時間を失うことになりました。
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ぼくは2010年から2014年の初頭まで、途中通っていなかった時期をのぞいてトータル3年半ものあいだガールズバー通いをしました。
最初の半月くらいは本当に楽しかったです。
ぼくはひとと接するのが苦手なので、そんな自分が女の子や他のお客さんとドンチャン騒ぎをするなんて、それ自体が新鮮でした。
しかし後の3年はかなり鬱々とした気分で通っていたものです。
ただ、若いうちにこれを経験できたのは良かったです。
もしもぼくが、遊びを知らずに40代とか50代で中途半端にお金をもった時に、人生がうまくいかなくて夜の街や女の子にハマっていたら。
若くてあまりお金のないうちにこれを経験できたのは、長い目で見ると良かったように思います。
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最後に。
人間が追い詰められるとどうなってしまうかを書いて終わろうと思います。
ぼくがアフィリエイトで疲弊していったのは、28歳から33歳ごろのことです。
ここまでアフィリエイトの懇親会の話は何度もしました。
懇親会で、たくさんのやばそうな人に出会いました。
ある方は、初めて会ったとき、すでに39歳だったと思います。
その人は仕事をやめてアフィリエイトで食っていく、と決心し、仕事もやめて、収入もない状態でアフィリエイトを始めたわけです。
しかも専業主婦の奥さんもいました。
彼から途中で月収20万円にやっと到達した!という報告を聞きました。
その後、稼ぎが下降していった彼は、同じ市内の実家に帰る電車賃さえもったいないというくらいに疲弊していったそうです。
また別の人の話です。
あるとき、懇親会で知り合った別の男性がいましたが、ぼくに親しみを覚えてくれたのか、頻繁に連絡をくれるようになりました。
しかしこの人の様子が途中からおかしくなっていきました。
連絡を放置していると、「最近お返事がありませんが、どうでしょうか」とか、連絡が毎日来るようになりました。
あまりにしつこいのでそのとき旬だった広告を教えてあげると、ありがとうございます、と言って「いまは闇金の広告が流行りです」と、いかがわしい広告プログラムを運営しているASPを教えてもらいました。
そのかたはどう若く見ても40代以上でした。
きっとぼくと同じように疲弊していたのでしょう。
人間って思いつめられると、寂しいので、誰でもいいからすがるような形になりやすいものです。
この方も、同じような仲間を求めていたんだろうな、と。
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この時期のぼくの一番の問題点は、自分の生きる意味を「自分の外の社会から外注化してしまって」いたことです。
つまり、「男なら年収〜万円稼がないといけない」「負け組にはなりたくない」という強い刷り込みです。
ぼくはもともと型にはめられることを嫌う傾向が強かったのにも関わらず、自分を社会的な価値観によって縛っていました。
ぼく自身は型にはめられることを嫌がっているのに、そこに自らをはめようとしていた。こんな矛盾があるから生きづらくて当たり前でした。
アフィリエイトによって得たもの、失敗の経験を胸に、これからも生きていきます。
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