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誰もいない運動場はワクワクする話

誰もいない運動場を見ているとワクワクしてしまう。どうしてなのかと、ふと今日は誰もいない運動場を眺めつつ考えていた。
シュレディンガーの猫という思考実験の話を知っているだろうか。大雑把すぎる言い方だが、「ある箱の中に猫がいて、生死が定かではない。観測者が箱の中を確認するまでは生きている状態と死んでいる状態との2つの可能性が重なり合って存在している」というようなものだ。
可能性という点に於いて誰も居ない運動場は大変にイマジネーションが働く。
現在の私が誰も居ない運動場を観測している時、その運動場の過去と未来には無限の可能性が広がっている。しかし誰か居る状態だと過去と未来が限定されてしまう。可能性を限定する存在を観測してしまっているのだ。
誰か居る状態といない状態で大きく異なる可能性。
現実的には大した違いはないだろう。しかし私の主観、脳内では誰も居ない運動場というものは大変に刺激的でワクワクしているのだ。
誰もいない運動場の静寂の中、私の脳内だけが非常に活発的にあらゆる可能性を想像しており、運動場とは対極的な動的な存在となっている。

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