失声になって5か月、2年ぶりに出来た運転

一向に出る気配の無い、声。
マイナスに思うことのほうが多い。
筆談も慣れてきてコミュニケーションの速さも会話するときと遜色ないくらいになってきたので特に不便と思うことが少なくなってきた今日この頃。

ただ、声が出ない=風邪と思われたり、耳も聞こえないと思われたりと説明に一苦労することがあったりするものの、大体の日常生活では指差しだったりモノを見せることでなんとなく通じるものだということが分かってきた。

普通に働きに出ることは出来ない

声が出なければ普通の仕事は出来ない。今現在給金を貰って働くというのはしていなくて、かつて正社員として働いていた私は旦那に迷惑をかけている(と感じている、何せ収入が半分になったし失業保険終わったし)。

たとえばアルバイトをするにもだいたいは声を使う接客業が多い。田舎なので求人はもっぱら多いのは飲食関係の接客業。派遣などの求人を覗いては応募するも声が出ないからか落選するので応募するのにもなんだか疲れてきた…。
今は細々と、同人活動やデザインの勉強をする日々を過ごしている。

デザインの仕事はまだまだ、経験無し…唯一名刺デザインをしたくらい…
作品制作とツール操作の習得と…ばかりやりながらアンケートサイトでちまちまとポイントを貯めて毎月数千円の小遣いが手元に入る。

ただ、焦らず、自分のペースでやっていくほかない。

障害年金を申請する

何か変化があったといえば、障害年金の申請まで出来た、ところ。失業保険が終わる9月にハロワで社労士さんに相談してから、年金事務所へ相談、申請には結構遡る必要があり、診断書や治療経過に関する書類、生活状況の申立書を作成したりと、なんやかんや最初に相談しに行ってから3か月も経ってしまった。そして年金事務所はなかなか予約が取りにくく、電話も出来ない私は今の時期忙しい旦那にお願いしては間に挟んで日程を調整したりしてようやく申請まで行った。

通常なら給付まで3か月~半年程かかるらしい障害年金。果たして通過するのか…3枚にも及ぶ診断書等の費用がかなりかさんだため無駄になってほしくないと願うばかりだ…。

2年ぶりに出来たこと

あと変わったというか、戻りつつあるのは車の運転。
うつと角膜炎になって治療をしている約2年間、一切運転をしなかった。
何せ自動車関係の仕事をしていたので運転して道路で見た車に対し怒りとかいろいろ湧いてきてそのまま突っ込みそうな感じになるし、服用薬の影響もあり、控えていた。
ここ1か月、2か月くらいは日中の服用薬が無くなり、夜のみの服用になった+角膜炎も落ち着いてきて動体視力が少しずつ戻ってきたので運転を再開することにした。

2年ぶりの愛車はマニュアルなので元々股間節変形をもあった私は変形が発覚した社畜時代からクラッチ操作が厳しくなってきていたものの、歩いたり接骨での治療のおかげかしばらく無かった脚の踏み込み感覚がようやく戻ってきた。なにせ杖を付くほど、左脚の筋肉が弱っていたので運転できるようになって良かったと思う。以前よりビビりながらだが、2年間眠らせていた愛車を再び走らせることが出来て一安心といったところ。

自分自身のペースを守って過ごす日々

解離性障害となって出来ることが限られて2年ほど経つ。
やりたいというものはあるが、身体がついてこないと意味が無い。
今年はバイトに挑戦したり転医したりと色々あって少々疲れ気味だったなと感じている。

転医した先の担当医からも言われているが、少しずつ半歩くらいの気持ちで出来ることを増やせばいいだろう。
眠い時は寝る、動けそうなときは動く。
出来るときはやる。
出来ないときは出来ないと割り切る。

なかなか割り切ることが出来なかった性分なので苦しい面もある。
なんでも自分でやらなくてはいけない、と思い込んでる部分があったので、これをセーブしつつ自分を守ることを最近学んだ。

自分が今までこうだ、ああだ、これじゃないとダメだ、と思っていたことが実は自分の中では全然無理なことだった…と学ぶことが多かった。
自分のことは自分がよく分かるだろう、とよく言ったもんだが、実は分かってないひとのほうが多いんじゃないかなと感じている。

まだまだ自分と向き合う時間が必要だが、ペースをしっかり持って過ごそうと思う。


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