【朗読】 海の絵本 (男性1人向け)
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【概要】
あらすじ
生きづらさを感じている女子高生は、ある日、不思議なブックカフェをみつけます。
店員に勧められた絵本を開いてみると、目の前に海が広がり、物語の中には素敵な出会いがありました。
「夏のはじまり」「架空商店」「完璧な紺碧」三つのキーワードから書いた朗読のための短編小説です。
一人で読むことを想定していますが、分担して複数人で読んでいただいても大丈夫です。
女性一人読みバージョンもあります。「店員」の言葉遣いが少し違う程度の差分になります。
情報
朗読台本
性別不問 一人向け(複数人による分担可)
上演時間 約30分
【本文】
天気予報は梅雨明けを宣言していてセミも鳴き始めているというのに、雨の日が続いている。
学生服の少女が、手に持つ傘を杖にしたまま、そんな天気予報通りの雨に打たれながら歩いていた。どうにもうまくいかないあれこれを、雨が洗い流してくれるような気がしたのだ。
家族への不満、学校での人間関係、未来への不安、温暖化、不景気、頼りない政治家、それから、それから……。
けれども、水を含んだ学生服が汗とも雨ともわからず肌にはりついて、まとわりつくばかり。心はこの空のようにどんよりしたままで、ちっとも、なにも、流れていってはくれなかった。
チリンと、雨模様には不釣り合いな爽やかな音が聞こえた。少女はその風鈴の音に誘われて、気分と一緒に下を向いていた顔をふとあげる。
──こんなお店あったかな。
入口は、切り子のような模様のはいったすりガラスの引き戸。そのすぐ横には格子柄のガラスがはまった出窓があった。窓からのぞく店の中は、ガラスのせいでモザイクがかっていたけれど、すぐ手前には何か置物がいくつか飾ってあって、奥には大きな本棚があるように見えた。
もう一度引き戸に目を戻すと、openの掛け札がかかっている。取っ手にほんの少し触れると、戸はカラカラと小気味よい音をたててゆっくりとひらいた。
「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」
背がスラっと高く整った顔だちをした男性店員が、エプロン姿で客を出迎えた。
「あ……すみません。ちょっと、覗いただけで……。なにか、予約が必要なお店でしたか?」
「いいえ。この通り、お客様はあなただけですよ。さ、ご案内いたします」
窓から見えた本棚らしきものはやはり本棚で、足を踏み入れた印象もまるで古書店のようだった。それなのに何を案内することがあるのだろう、と疑問に感じながらも、少女は言われるままに男性のあとについて本棚の間を抜けていく。
はたして店の一番奥には、いくつかのテーブルが並ぶ喫茶店のような空間が現れた。
少女が勧められたソファー席に座ると、店員は湯気をたてたホットココアをテーブルに置き、タオルを手渡した。
「濡れたままでは冷えてしまいますので、どうぞ」
「あ、ごめんなさい! こんなにびちゃびちゃなのに座ってしまって!」
「かまわないのですよ。気分を害してしまったのであれば、失礼いたしました」
座ったとたんに出てきたココアは、「お待ちしておりました」との言葉のとおり、客が来ることを予感して用意しておいたかのようだった。身体を拭いてからココアをすすってみると、熱すぎず、ぬるすぎず、少し冷えた身体をちょうど良く温めてくれた。
「ここは、ブックカフェですか?」
お冷とクッキーを持って戻ってきた店員に、少女が聞いた。
「ええ。最近は、そんなハイカラな名前で呼ぶそうですね。
ここは美味しいコーヒーやお茶と一緒に、読書を楽しむ場所……でもあり、お客様のあたらしい物語を紡ぐ場所でもあります」
「物語を、紡ぐ?」
「このお店を見つけてくださる方は、現状の物語に、どこか満足しておられない方がほとんど。読書は、あなたを違う世界に、あたらしい物語につれていってくれます」
「まあ、その側面はありますよね。現実逃避できるというか……。でもわたし、普段、小説は読みませんよ?」
「ではこちらの絵本など、どうでしょうか?」
店員は、ココアやクッキーを置いたテーブルの上に積んであった本の中から、ひとつを取り上げて掲げた。
絵本というから、かわいい動物が服を着ているような絵が出てくるのかと思いきや、その表紙には油絵で描かれた綺麗な海が印刷してあった。少女は思わず、手にとった。
そのままぱらりとページを開くと、目の前に海のある風景がひろがった。
──さあ私は、ソファーにゆるりと座って、美味しいコーヒーと一緒に読書を楽しむ時間としよう。
雨でしっとりと髪を濡らした少女は、気づくと太陽輝く砂浜にいました。
彼女はあっけにとられています。それもそのはず。さきほどまで、本屋にいたはずなのですから。
少女は砂を踏みしめ、歩いてみることにしました。本物の海を見るのは初めてでした。ですからもちろん、砂浜を歩くのもはじめてです。こんなに歩きにくいものなのかと思いながら、波打ち際に近づきます。
遠くから見ると水色や緑や瑠璃色やときらめいていた海は、近づいてみると綺麗な透明でした。考えてみれば当たり前のことですが、当たり前のことも彼女の目には新鮮にうつります。
寄せては返す波は、ザザと音をたて、時に勢いよくうちあげて、少女の足を濡らしました。暑い日差しの中、その冷たい波は心地よく感じました。
満足ゆくまで波打ち際を楽しむと、彼女は砂浜に振り返りました。広く続く砂浜にはひとっこ一人みえませんでしたが、ぽつんと建つ小屋を見つけました。
海水浴の時期には海の家になっている小屋です。次に使われる日を待っているのでしょう。テーブルや椅子は一箇所に寄せられ、砂をかぶっています。
そしてこの海の家の片隅には、少女にとって見逃せないものも置いてありました。
イーゼルにのせられた真っ白なキャンバス、それから絵の具や絵筆などの道具。
誰かがアトリエにしていたのでしょうか。床には絵本の表紙になっていた海の絵が、無造作に置いてありました。
少女は吸い寄せられるようにキャンバスの前に座り、絵筆を握りました。今、目の前の海を描くことが、一番自然なことのように感じたからです。
この場所は夢の中と同じようでした。つまり、描くに必要なもの、欲しいと思ったものは理想の通りにすべて揃っていたのです。
時間も忘れて手を動かしていると、気づけばあたりは薄暗くなっていました。そうなってようやく、実際の風景が、描き始めた時とはまったく違っている事に気づきます。少女はもう一度砂浜に出ました。
水平線に今まさに日が沈み、紺碧の海と空の境目は燃えて、橙、黄色、白、そこに混じり始める夜、そして海と同じ完璧な紺碧の夜空と一番星。
こんなに美しい夕暮れがあったのかと、少女は息をのみました。けれどもほんの一瞬の出来事で、すぐにあたりは夜闇に包まれました。
──……おや、もうこんな時間か。今日のところはそろそろおしまいにするとしよう。
ハッと気がつくと、少女はブックカフェのソファに座っていた。居眠りでもして夢を見ていたんだろうか。自分が読んでいたはずの絵本を持ちながら向いのソファに座っていた店員と目があって、彼女はちょっと恥ずかしくなった。
「いかがでしたか?」
店員に聞かれて、少女は気まずさに少し視線をそらした。
「えーっと、ごめんなさい。眠ってしまって、全然読んでいなくて……」
「いえいえ、ちゃんと物語の中に入っていたでしょう? 素敵な絵をお描きになるのですね?」
店員がぺらりとめくってみせてくれた絵本の一頁には、さっき、夢の中でキャンバスに描き殴っていた描きかけの海の絵が印刷されていた。
夢の中だと思った出来事を、現実と呼ぶにはあまりにも空想的だけれど、なにか魔法のようなことが起こったのは確かなように思えた。
「そうそう。お客様のお名前は?」
「あ……アンナ、です」
「アンナさん、ね。
ありがとうございます。また、いらしてくださいね」
アンナはどこかふわふわとした気持ちのまま店を出る。もうあたりは暗くなっていて、雨は相変わらず降っていた。彼女は心が少し晴れやかになったことを感じながら、傘をさして、帰路についた。
アンナは、高校のクラブで絵を描いていた。
昔、賞をとったことがきっかけで才能があると信じてずっと描いてきたし、周りも期待してくれていた。大学も美術系に進んで、将来は絵描きの道を歩むつもりでもいた。
けれど、今、目の前にある絵はどうだろう。爽やかな青空のお花畑に女の子が立っている、なんの目新しさもない構図。自分の中から出てくるものの陳腐さに、呆れて涙が出てくるほどだ。
描けば描くほど、自分以上の才能に出会うばかりで、どんなに絵の具を重ねても納得がいかなくて、もうこの絵は、大作というわけでもないのに半年たっても完成していない。
アンナは白や青やの絵の具をハケにつけて、お花畑の上に塗りたくった。同じ部屋にいた部員たちは彼女の突然の奇行にぎょっとして、顔を見合わせる。
だんだんと、花が、女の子が、海に沈んでいった。夢中で海の絵を描いた、あの高揚感を思い出す。
──もう一度、あのブックカフェに行きたい。
その日、学校からの帰り道で、今日までどうしても見つけられなかったあのブックカフェが、風鈴の音とともに唐突に目に飛び込んできた。
アンナは迷わずカラカラと引き戸を開ける。背の高い男性の店員が
「いらっしゃいませ。そろそろ来られる頃と思っておりました」
と、出迎えてくれた。
以前と同じように奥のソファに案内されると、すでにココアとクッキー、絵本が用意されていた。今日のココアは氷が入っていて、アンナの火照った身体を冷やした。
「このお店が不思議なのかこの本が不思議なのか……。つまり、ここでは本の中の世界に行けるということですよね?」
ココアを飲みながら、アンナが店員に聞いた。
「そう表現するのが、一番簡単でしょうね。けれど、他の誰かが書いた物語の追体験ではなくて、これもまた、あなたの物語なのですよ」
アンナはわかったような、わからないような、「ふうん」と呟くと、待ちきれないように絵本を開く。彼女の姿はその瞬間になんの前ぶれも音もなく、瞬きの間に消え去った。
店員は自分のためのコーヒーを用意すると、テーブルに残された絵本を手に取り、ソファの背にゆったりともたれかかった。
──……さあ、アンナがもう一度本の中へと入ってみると……おやおや。
また砂浜にいることに気がつくのかと思いきや、なんと彼女が現れ出たのは海の中でした。
以前の遠浅の砂浜からは少し離れた場所のようで、足がつかないほど深いものの、岸までは遠くありません。泳いでたどり着くのは難しくないように思えます。
けれども、その深さ、波打つ水面、重くなる衣服、冷たすぎる水温、何より予想外の出来事への驚きもあって、彼女は溺れてしまいました。
なんとか息を継ごうともがいていると、
「大丈夫、落ち着いて!」
と、声をかけられました。
「力を抜いて。岸まで連れて行ってあげるから!」
先ほどよりもよく通り張りのある、しかしやさしい声で言われて、彼女はようやくもがくことをやめました。
声の主に抱きかかえられて岸にたどり着くと、彼女はようやく冷静になれました。ここで初めて自分を助けてくれた人を見てみますと、上半身は裸の青年が、海につかったまま ほっとした表情を向けていました。
「本当はダメなんだけど、見ていられなくて助けちゃった」
青年は照れくさそうに頭をかきながら、目を細めて笑顔をつくりました。
「あ……ありがとうございました」
アンナは、顔を赤くして目を背けながら言いました。こんなに素敵な青年にしっかり抱きかかえられたことを思い出すと、急に恥ずかしくなってきたのです。
「海水浴にはまだ少し早いよ。それと、このあたりは急に深くなるから、気をつけてね」
「泳ごうと思ったわけじゃないの。それに、海水浴と言うなら、あなたこそ……」
「僕は、海の住人だから」
青年はよいしょ、と岸にあがってみせました。アンナは驚きに目を見張ります。
彼の下半身は、太陽の光を反射してキラキラと輝く鱗におおわれた、まるで魚のような……。つまり、お伽話の中に見る人魚でした。
そうか、本の中だからこんなこともあるのね、と内心では納得しながらも、アンナは隣に座った彼に言いました。
「人魚って、女性のイメージが強かったから、とっても驚いた」
「うん、そうかもね。好奇心旺盛に海面に顔を出しちゃうのは、女性が多いから」
「じゃああなたは、例外?」
「仲間には変わってるって、よく言われる」
「何が見たくて海から出てきているの?」
「絵が、見たくて」
人魚の青年は、海の家を指さしました。
「あそこ、開いてない時期は、絵描きさんが来るんだよ。海を描いている人が多いけど、僕が見たこともない何か地上の物を描いている事もあったりして。人がいない時にこっそり見にいくのが楽しみなんだ。
──ひょっとして、君も絵描きさん?」
「……うん、いちおう」
「すごい! 君の絵も見せてよ!」
アンナの返事も聞かず、青年は海の家に向かっていきました。ほふく前進で尾びれも器用に使いながら、ひょっとしたらアンナが歩くよりも早く砂浜を進みます。その合間に、彼はアンナに名前を尋ね、自分も名乗りました。彼の名はルイといいました。
海の家に着くと、ルイはまず足洗い場に直行し、手慣れた様子で蛇口を捻って身体を濡らしました。それからキャンバスや絵の具が置いてある箇所へと、もう一度這って行きます。
ウキウキとした表情で手招きされて、アンナはおずおずと描きかけの絵の前に座りました。
「これ、君の絵?」
「うん、そう。まだ途中なんだけど……」
「描いてるところ、見ていていい?」
「つまんないよ?」
アンナが絵の続きを描き始めると、ルイはその様子を興味ぶかげに、楽しそうに眺めていました。はじめは隣にいる彼が気になっていたアンナも、次第に集中しはじめると、筆は順調に海を描きます。
ルイが何度目か、足洗い場から身体を濡らして戻ってきたところでアンナはふと、手を止めました。
「海以外のもの、描こうか?」
アンナは彼に聞いてみました。
彼が嬉しそうに大きく頷いたので、棚に置いてあったスケッチブックと鉛筆や色鉛筆を持ってきました。
それから、アンナは彼からせがまれるままに、彼が見たことがなそうなものを、色々と描きました。何か描くたびに、それがりんご一つでも人魚は褒めてくれました。まるで子供のころ、絵を描き出《だ》したころに戻ったようでした。
──……ふふ、面白くなってきたけれど、今日はここまでかな。
それからというもの、アンナは学校でも家でも、何をしていても本の中の出来事で頭がいっぱいになった。クラブや家ではうまく描けない絵も、本の中では思い通りに描けたし、人魚の青年と過ごす時は楽しかった。
三回目、四回目……もうほとんど毎日のように、アンナは何度もブックカフェに通う。
本の中では空腹や疲れも、思い出そうとしなければ感じなかったし、時間の進みが違うのか、日のあるうちに信じられない枚数の絵が描けた日もあった。
「物語はもう終盤。この本を読み終わる頃には、あなたがこのお店に来る必要もなくなっていると思いますよ」
ある日、店員がアンナに言った。
「終盤? でも終わるなんてそんな感じ、全然していないし……。もっといつまでもずっと、ここに通いたいと思っていたのに」
「どんなお話もいつか結末を迎えます。登場人物とのお別れも寂しいものですよね」
店員はいつものようにココアと海の絵本をテーブルに置く。アンナは近づいているという終わりに戸惑いながら、おそるおそると絵本を開いた。
──……本の中でアンナはまた絵を描いていて、その傍にはルイがいました。
ルイはキラキラと目を輝かせながら、アンナの手元を覗き込んでいます。アンナはそんな彼の瞳に、まるで吸い込まれるように感じていました。
「……虹彩が、まるであの日見た、夕暮れの星空のようだわ。深い、紺碧の瞳。なんて綺麗なの」
アンナがぼそりと言いますと、彼女の視線に気づいて顔をあげた青年は、ぱちくりとその目を瞬いて見せ、それからすぐに伏せました。
「そんなに見つめられると照れるな」
「ねぇ、あなたをモデルにして絵を描いてもいいかな?」
「描いてくれるの? 嬉しい!」
「本物の人魚をモデルにできるなんて、わたしだけね」
世にも珍しい人魚をモデルにする……彼を描きたい理由はそれだけではありませんでした。登場人物との別れという言葉も、アンナの心にひっかかっていました。この出会いの証を残したかったのかもしれません。
いつも隣合っていた二人は、向かい合わせになりました。アンナは黙々と、人魚を描きます。
自分の姿は、彼女にはどのように映っているのだろう。しばらくの時間がたってから、ルイは我慢できずにキャンバスを覗き込みました。そして首をかしげます。
「自分で言うのもなんだけど……せっかく類稀なるモデルなのに、なんで全身じゃなくて目元しか描かないのさ?」
「瞳が、とっても綺麗だから……」
アンナはそう答えますが、少しためらってから、
「本当は、あなたのことを独り占めしていたいから。ほかの誰にも、あなたを見せてやりたくないの」
と恥ずかしそうに告げました。
「それ……とても素敵な愛の言葉だよ」
青年は、綺麗と言われた目を嬉しさに細めて、少女の乾いた髪にさらりと触れました。少女も、青年の濡れた髪に触れました。
二人は、ごくごく自然と、誓いの口づけを交わします。
──……へえ、そう……。こちらの物語の中に生きることを選んだんだね。
では、このお話を締めくくる言葉はこれしかないでしょう。
そして二人は、いつまでも幸せにくらしました────。
店員はそっと本を閉じると、表紙が見えるように本棚に飾った。ページが増えたその本は、もう絵本というよりも画集のようだった。店員は数歩ばかり後ずさり、遠目に棚を眺めながら、満足そうに頷いた。
END
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