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#ジオパークで生きる人01 |島を故郷に持ち、百姓として生きる。

#ジオパークで生きる人
「ジオパークの実践者」として主に第一次産業と食に関わる島民を取り上げる特集コラム。彼らが語る言葉にある今の隠岐そして彼らから見るジオパークを実直に、映し出します。

今回お話を伺ったのは海士町在住、一家で農業を営む波多 剛(はた たけし)さん。

海士町は離島の火山島という成り立ちでは珍しく平地と水が確保できる環境に恵まれており、島前地域の中で唯一田園風景が広がる場所です。しかし近年全国的な米消費の落ち込みや外国産の安価な米との競合の中、離島での米作りは難しさを増しています。波多さんから見える米作りの現在と昔と未来、一体どんなものでしょうか。

ー昔から今、百姓の現状とは。ー
 "米作りはちっちゃい頃から当たり前のようにやっとったなあ。あとは餅、あんこ、赤飯、きなことかの加工品やな。あんこを1パック出すのも手間がかかるんやで。11月に小豆を刈り取って干して脱穀して選別する。その小豆をあんこ屋さんに送ってあんこにしてもらったのを卸しとる。うちは加工をやっとるから何とか持っとるけど、米だけでいったら儲けはギリギリ。経費で儲けの半分は持っていかれるし、そっから日当やら維持費やら色々引いたら残らんのや。"

写真にある商品は全て剛さんが作り、港の直売所しゃん山に卸している商品です。
加工場にある機械は知り合いが中古で安く揃えてくれたものを大切に使っています。

 "じいさんは俺の子供に帰ってこいっていうけどな。俺で終わってもいいんじゃないか、って正直思ってしまうよ。百姓になっても儲けられん。だから子供が高校卒業して大学行くっていうなら銭稼ぐためにもうちょい踏ん張らなあかんし、どっかで働くっていうなら「おお、頑張れ」っていうつもりや。うちは大きい機械壊れたらもうアウトやと思う。トラクターでもコンバインでも500-600万円はかかるけど、そんな銭どこから出すんやって。昔のじいさんの時は政府から補助金が出てたけど今は個人には出してないんや。百姓やるのも今の機械が動いてくれるまで、かもしらんなあ。

 それでも俺がずっと続けとる理由っていったら、結局はギリギリやけどご飯食べれてるからや。うちの屋号は中新屋(なかしんや)いうんやけど、うちのじいさんが五代目だ。米作りも加工も家族経営でやっとるけど、今時珍しいかもしれんなあ。今日も海士町で今週末にある牛突き行事があるんやけど、そこの餅投げの餅を作っとった。今日なんかは量が多かったから俺の叔母とその孫にアルバイト頼んでやってたな。朝五時から始めて…何個作ったやろか。"

実際に制作したお餅。餅投げは主に神事の際に集まった人々に向けてお餅をまくことを意味し、島の行事では馴染み深い慣習です。このお餅は大きいサイズで中には海士町の共通通貨ハーンが入っているとか、いないとか…。

ー未来を語れる職業か。ー
 "俺は長いこと神戸にいたんやけど、何十年前の関西でも安い米は変わらずスーパーに並んでてな。でもやっぱり食べんかったもんなあ。電話で一本実家に「送って~」って。それで食べればやっぱり「海士の米は上手いなあ」。こう思うんや。
 
 米作りは温暖化の影響を直に受けてる産業でもある。米ちゅうのは昼と夜の寒暖差で美味しく出来上がるんや。やけん昼間気温が上がって光合成して栄養作って、ほんで晩寒かったらその栄養素、消費せえへんやろ。でも晩も暖かいとその栄養素を全体で消費するから美味しい米が出来へんのや。今スーパーなんかで北海道の米が結構出とる。美味しいからや。昔は寒すぎて北海道は米作りに向かんって言ってたけど、今はちょうどいい。海士の米はそういう意味でも厳しい状況にはあると思うなあ。"

収穫が終わった田んぼで乾燥させた藁が多く横たわっています。
その中から綺麗な藁だけを手作業で選別しまとめます。正月飾りのしめ縄にも使われるそうです。 

”そういう意味でもって言ったのは、島の百姓としてなんか特別なものを出しているとは言えんからや。島前の中で言えば畜産業やったら隠岐牛、岩牡蠣でも春香っていうブランドがある。でも百姓で島特有の特産品ってやってないからなあ。

 米を高く売ろうと思ったら希少価値がないといけん。「天空の〇〇米」とか「幻の〇〇米」とかすっごい高いお米あるけど、ああいうのはそもそも出来る量も少ないし富裕層向けに高級デパートの地下2階で売られていたりする。海士の米は島内消費が一定あるし、全部ブランド米に振り切ることは難しい。でも島外の人に一般米を出そうと思ったら離島っていう土地柄、輸送費がかかって本土の一般米よりも高く値段がついてしまう。だからと言って一般米を安く売れば俺ら百姓の生活が守れない。その狭間に今もおるんだ。”

農家さんにもよりますが海士町では早いところで9月前半に刈り取りが始まります。
今年は台風が来る前に早めに刈った農家さんが多かったよう。

ー存続させることの難しさ。ー 
 ”やってこなかったってわけじゃない。アイガモ米ってのをやってた時期もあった。アイガモが田んぼの雑草やら虫を食べてくれるっていうので無農薬・無肥料でしよったけど、何しろカモを飼うのが大変だったわ(笑)
 それが終わってからすぐくらいに始めたのが「海士の本気米(ほんきまい)」だわな。6年か7年前に初めて今も続いとることだ。町が音頭を取って、百姓集めて、海士町のブランド米を作ろうっていう試みだ。一般米と違うのは基本減農薬・低化学肥料でやっとること。あとは隠岐牛の堆肥と岩ガキの牡蠣殻を肥料に混ぜとることだ。何年か前は島内でも話題のブランド米やったんやで。それと価格だな。”

「海士の本気米」海士の豊かな海と山の恵みを存分に活かしたお米作り。
農薬使用量は従来の半分、土には岩ガキの牡蠣殻と隠岐牛の堆肥を混ぜ込んでいます。

 ”「海士の本気米」は今が踏ん張りどころだろうなあ。島内はやっぱり高いと誰も買わんのだ。東京に出品してみたりふるさと納税の返礼品で出してみたり、外でも頑張りはするんだけど島内消費が上がらない。海士で流通しとるお米なら末端価格400円、本気米ならそこを600円。そしたらやっぱ安い方が選ばれる。今の時代ネットでも安い米を買えてしまうからな。

 もう新米の収穫を迎える今、本気米の古米がまだある。本気米として作っても一般米として出しとるやつもあるのが現状や。本気米が出来た時みたいにイベントで一般米との食べ比べがあったり、即売会をしてみたり、島民が本気米に触れる機会をもっと作ったほうがいいんや。”

港の直売所しゃん山では個包装でも売られています。
本気米は「コシヒカリ」と「きぬむすめ」の二種類。

 ”何が大変?売れないことだ。だから今が一番大変や。
 このままじゃ来年の本気米の作付面積を減らすことになってしまう。”

ー海士が帰る場所ー
 ”でも俺はずっと海士に居たわけやなくて一回出た人間だ。中新屋の三人兄弟の次男坊として生まれて中学まで島で育った。小学2年生から牛乳配達してご褒美は学研の教材。小遣いは兄弟三人で月1000円。一日10円や。コーラ飴しか買えん値段やったな。

インタビュー相手の波多剛さんのお父さんであり、中新屋の五代目。協力しながら米作りを行っており、今年のお米は30㎏ごとに袋詰めして全部で900体近く農協に出荷したそうです。

 高校は松江に出て園芸を学んだ。お花作ってたと思うとかわいいやろ?そっから大学は造園に進んで植木職人になったんや。当時の日本はバブルやったから就活するにも交通費・宿泊代まで出してくれてな、今じゃ考えられへんよなあ。それで俺は関西の方に行きたかったから神戸で働き始めた。そっから17年間くらいはずっとその神戸の植木屋で働いとったんや。このまま神戸におってもよかったんやけど、40歳になる歳に帰ってきたんや。”

秋晴れの気持ちいい午前中にお宅にお邪魔させて頂きました。

ー百姓をする理由ー

 ”高校卒でも大学卒でもそのまま島に就職するのなんて稀や。
今でこそ注文すればAmazonで物は届くし便利な時代になったけど、俺らの時はそうじゃなかった。でも長男だからって帰ってくるもんもおるし、都会で食いつめて帰ってくるもんもおる。みんなそれぞれや。
 
 食うためには稼がなだめだ。百姓しとる理由なんてそれくらいシンプルや。海士に戻ってもう17年くらいか、それが出来とるから今の仕事は何とかギリギリやけど続けとるんだろうなあ。”

 「次は小豆を収穫する時に来いよ~」と送り出してくれた剛さん。
インタビュー時、こうも仰いました。「移住者は海士が帰る場所っていいやんって思うかもしれん、でもそれは海士を知らんからや。俺らの帰る場所はここしかないんや」。
それでも港の直売所しゃん山には「波多 剛」と書かれたラベルの商品が多く並びます。その実直な仕事への姿勢は取材中も絶えず伝わり、かっこよく、学ぶことばかりでした。