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たった一人の理解者。

今年の夏は記憶がどうも昔との接続が強い。
フラッシュバックが酷いのと、乖離や離人に参ってはいる。

でも、おかげで今日は大切な人の事を思い出せた。

10代のアタイにとって、20年前のアタイにとっての唯一無二の理解者。
多分、もうこの世に居ない彼女の事を知って欲しくて今日は書きます。

あの時、ギリギリ19歳の同じ歳の彼女はバイト先が隣の店舗に所属して居た。

アタイは学生で一人暮らしと学費の為、あと、貯めるだけ貯めて資格を取得したら親から出来るだけ遠くに逃げる為にバイトをして居た。
(一人暮らしをしたいと申し出たら、当たり前の様に家を出るのだから全て自分で稼げよ!との命令が下っておりました。医療系の学校の年間学費と雑費に生活費…エグかった笑)

彼女は親とやっぱり色々あって、高校も退学してバイトで生計を立て、20歳を超えたら親から逃げる為にと、お金を貯めて居た。

アタイ達はそれこそ携帯番号を教え合ったりもしなかったし、親友とかとは違った仲だった。

いつもお店が暇な時にひょこっと外に出ると、たまたまどちらかが居て会話を弾ませた仲だった。

お互い境遇がまぁまぁ似通った部分があり、アタイが学友には話せない事や彼女も他者に話せない事をお互いに話題にしては2人で解決をして居た…そんな感じだった。

アタイが大切なCDを割られた時に大丈夫と言ってしまって実はショックだった時と大事な漫画を貸さなかった時にケチみたいな言われ方をして本当は持って無いからだぜ~みたいな言われ方にやっぱりショックを受けたりした時に、2回ともキッパリ
「それさ、見下してる感あって最悪だし、甘え過ぎてるよ、その人。」
そう、言ってくれて嬉しかった。

高校時代の色々あった事の数人の相手に対してもサッパリ言い切ってくれて、学校での辛さも彼女のにぱぁ~っとした屈託の無い笑顔に何度も救われた。

今思い出しても感謝しかない。

でも、彼女とのお別れは悲しい程に突然だった。

LIVE参戦して、お土産を持ってバイト先へ2日振りに行った時、店長にちょいちょいと呼ばれた。

どしました?って荷物置いて2人で外に出ると店長では無い、仲良し店員さんから
今から言う事で辛くなっても責任は取れないんだけどさと、前置きされて聞かされたのは、

前日に彼女が素っ裸で叫びながら道路に走り出して行って、誰が止める間もなくトラックにはねられて救急車には一応乗ってったけども…
と言う本当に残酷な内容だった。

アタイは言葉を失った。
唖然としたけと、彼が隣で平然とタバコを吸って居る姿は余りにもいつも通りでこの世が何なのかよく分からなくなったのだけは確かだった。

アタイは彼女の事を結局こうやって誰かに口に出す迄に20年かかった。

あの時のお揃いに買って来たLIVEのお土産をどうしたかも覚えてないし、その数ヶ月も経たずにアタイは拉致監禁で被害者となり自宅に戻る生活となってバイト先も辞めてしまった。

今も有線で一青窈さんの曲が流れていたのを覚えている。

ええいああ 君から「もらい泣き」
ほろり・ほろり ふたりぼっち
ええいあありがとう「もらい泣き」
やさしいのはそう 君です

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