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退職届

色々あって、大学を出て4月に入社したばかりの会社を辞めた。
「色々あって」って、いつか言ってみたいとは思っていたけど、いざ方々で言ってみると、そんなにかっこいい言葉でもなかった。
使ってみて得られるのは相手の気まずそうな表情と、その後勤続年数を尋ねられて
「は、半年っす…」とうつむき加減に答えた時の軽蔑の眼差し程度である。


在籍半年の、会社になんの利益ももたらしていない私でも、退職する時には退職届を出さねばならない。
当然書き方など知らないので、インターネットで書き方を検索した。
転職のため辞める時も、結婚して辞める時も、会社でうんこ漏らして恥ずかしくて行けなくなった時も、退職届には「一身上の都合で」と書くらしい。便利な言葉だ。

例にならってボールペンを走らせるが、なんでもタイピングの時代、久しぶりに見た走り書きではない「丁寧に書いた字」の汚さを見て筆を置く。

そういえば最終面接の時に手元の資料を見た重役に
「君の字には性格がよく出ている」と言われた。
その時は緊張もあってポジティブな意味にしか捉えてなかったけど、もしかしてソフトに字汚ねえって言われてただけなのかあれは。

封筒は仕方ないとして、書面の手書きは断念。
ネットにテンプレート的なものが転がっていないかと探してみたが、どれも名前の部分に記入例が入っていて使えない。
氏名の記入例の一つに、転職太郎というものがあった。そのあからさまな適当さと「プー太郎」を連想させる語感に、職に定着できないことを揶揄されているような気がして心が痛い。

仕方がないので自分で一から書式を作ることになったのだが、色々悩んでしまう。
まずフォント選び。丸い字体にすればなんか嬉しそうに見えて舐めてる感が出るし、明朝体のシュッとしたやつにするとなんか仰々しい。
内容に釣り合わない「間違ったフォント」を使ってしまっている残念な貼り紙を町でたまに見かける。
嬉しそうな「猫をさがしています」とか、おどろおどろしい「この売り場から二等が出ました。」とか。
ああいうのやっちゃう人の退職届は大丈夫なのだろうか。不安になる。


あれこれ悩んでフォントが決まったと思ったら、今度は字の大きさに四苦八苦する。
見出しの「退職届」がデカすぎると
「こんな会社辞めてやらぁ」感が出るし、かといって小さいと全体的に小さくなって下が異常に余る。
あぁ、めんどくさい。
100均の履歴書とかのコーナーに、退職届も置いてくれればいいのに。
でも、100均の退職届が一般化して、その書式が広く知れ渡るようになったら
「こいつ、100均の退職届提出してるじゃないか」ってひんしゅく買うようになるんだろうな。
「退職届 書き方」で検索したら1番上に出てくるサイトに「100均の退職届はNG!!」とか書かれるようになったりして。
いや、ダイソー辞める社員がダイソーで買った退職届提出するのはそれはそれでロックかもしれない。
100均に退職届が並ぶ社会って少し恐ろしいが。


やっとの思いで作った退職届を印刷しようとプリンターにつなぐと、インクがない。
1週間前に使った時は普通に使えたのに。
そこでもう心が折れかかったのだけれど、人事の人に明日までに書きますと言ってしまったのを思い出して、重い腰を上げてコンビニに向かった。

思い返せば、就職活動をしていた時にはまだ家にプリンターがなくて、エントリーシートの提出を求められるたびに、いちいちコンビニのプリンターまで足を運んでいた。
いかに自分は有意義な学生生活を送ってきたか、自分がどれだけ御社に必要な人材かをA4の白紙にびっちり詰め込んだのを見るたび
「いやいやこんなに良いように書いて大丈夫か」と不安に思っていたものだが、その不安は1年後にしっかり的中したわけである。
やはりハードルは低いに越したことはない。
高いハードルを超えていくことと同じくらい、ハードルを低く低くして跨いでいくのもまた、生きていくためには必要な力だ。たぶん。


1年前、コンビニのプリンターの前で始めた向かぬ背伸びを、コンビニのプリンターの前で終えようとしている。
このタイミングで家のプリンターがインク切れになったのが偶然ではない気がしてきた。
ある人は甲子園のマウンド、ある人は取引先の応接間。人生のターニングポイントとなる場所というものが、人にはそれぞれあるのだろう。
私にとってのそれは、「コンビニのプリンターの前」なのかもしれない。
背伸びをやめた今は、それくらいの安っぽさが心地いい。

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