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一概には言えないが、一概には言えないという言葉はやたら便利である

一般に、「一概には言えませんが」と前置きすれば、なんでも言ってよいという風潮があります。勿論、一概には言えませんが。このテクニックを使用すれば、どんな表現でも和らいだ言い方へと擬態できます。会話している相手に言いづらいことを言いたいときは、この前置きを使ってみると効果的です。

例えば、「一概には言えませんが、あなた滅茶苦茶口臭くないすか?」などといえば、単刀直入にズバッと切り出すよりもマイルドになることが請け合いです。

類似の表現として、「一括りにはできませんが」、「十把一絡げにはできませんが」などがあります。これらの表現は一種の万能薬で、会話や文中のどんな場所にもまるでミックススパイスのようにふりかけることができます。なぜならば、この複雑な世の中で、一概に言えることなどほとんど存在しないからです。このことは一概に言える気がします。

では、この前置きは無意味な言い回しなのでしょうか。そんなことはないと思います。会話や文章というのは、完全に論理的な物言いで成立することは少なく、読み手や聞き手への配慮が一割程度、書き手や話し手の見栄っ張りが八割程度混入してしまうものです。あまりビシバシを物事を決めつけすぎると、読み手から厳しい反発があったり、専門の人間から「いろんな説があるってのに、コイツわかってねえなあ~」と思われ軽蔑されてしまう可能性があります。

そこで、何かを主張したいのだけれども、反論もあることを重々承知の助ということを含ませるこの言い方がよく用いられるのでしょう。一概には言えないということを明示することで、世の中にあまねく配慮している識者風を装えるわけですね。

つまるところ、関西人がしばしば語尾に用いる「知らんけど」の硬い言い回しだということになります。ただし、学術的発見を報告する論文やその筋の専門家が意見を述べるときに、「知らんけど」などと語尾につけてしまうと少々無責任な印象を受けてしまいますね。専門的な内容の発表や会社の報告会などのフォーマルな場では、「知らんけど」より「一概には言えませんが」の方が、より似つかわしい表現じゃないでしょうか。

ただし、注意点があります。お好み焼きのソースと同様に二度付け、三度付けはレッドカードです。「一概には言えんけど、営業部の川島さんって多分サイコパスな気がするわ。知らんけど」などと、似たような言い回しで主張を何重にも包んでしまうと、あまりに内容の現実性が薄くなり、他者があなたのことを現実世界に実在している人間だとは思ってくれなくなる可能性もあります。

あなたも容量用法を守って日常会話に取り入れて、健全な一概ライフを過ごしてみてはいかが。

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