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万年

こんにちは、ook-boyです。

ブログ書くって楽しいね。ハマりそう。
別に他人に見せびらかす為でも何でもなく母国語で駄文を吐き出すことで心のガス抜きをするってことを第一の目的に始めたけど、楽しくてつい読んでて退屈しないかとか、今日は何書こうかとかそういう余計なことを考えがちだ。
なので今日は何も考えず愚痴から入ってみようと思う。

生活の中で日本語を発する機会といえば独り言呟く時くらいしかない。
やはり30年間日本語オンリーで育ち切った脳みそを急に英語環境に漬け込むというのはまぁ楽なことではなくて、今となるとだいぶ慣れたといえど、妻と雑談する、買い物をする、ネットを眺めるといった本当に些細なことでさえも常にCPUを一定に稼働させてるような感覚だ。

英語なんて言語体系がめちゃくちゃシンプルだし、義務教育で散々触れてきて単語テストなんかを繰り返しさせられてきた日本人からしたら最も簡単に習得できる言語のうちの一つだ。
また、(自分で言うのも気が引けるが)俺は耳が割と良くて聴き取った英語から声帯や舌や唇がどう使われているのか想像できるので、発音も大多数の人に比べると大して苦労はしていないし、(また自慢みたいになって嫌だけどまぁ自信を持つ事は悪いことじゃないし大目に見てよ。。)ほんと最初の一年はドラゴンボールの修行のつもりで勉強と実践を繰り返した結果、控えめに言って俺程短期間でここまで英会話が上達した日本人に今まで会ったことがないと言える程までになった。
それでもなお、3年暮らしてみたがネイティブスピーカー達と全くストレスフリーにコミュニケーションが取れるレベルには到底及ばない。
流暢な日本語で空耳アワー観ながらゲラゲラ笑うマーティ・フリードマンや日本の笑いを完全に理解し切っている超新塾アイクぬわら達を今まではなんの気なしにへらへら見ていたが、ほんと彼らが如何に頭脳明晰で過酷な語学の修行を乗り切って来たのかを考えるとめちゃくちゃ尊敬するよ。

めちゃくちゃ効果のあったオリジナルの勉強方もいくつか自分メソッドとしてあるんやけど、もし英語/英会話修行中の人が居たらざっくりアドバイスできることもあるかもなので一報ください。

2年ほど前から鬱病の治療をすべく医者にかかっている。
特に心療内科系の治療だからなのかはわからないが、治療方法も処方される薬も日本のそれとは全く違っていて興味深い。日本で一般的に処方される処方薬がイギリスでは処方されていなくてドラッグとして違法に取引されていたり、全く別の効果をもった薬が処方されていて薬についての説明を聞いたけど服薬治療の方法論も違う。
また個人カウンセリング、集団カウンセリングのサービスも充実していたり、精神疾患治療用のスマホアプリまでたくさんある。社会全体的に精神衛生に関する意識が高い様に感じる。
日本でも何度か医者にかかったことはあるけどロクな問診もなく眠剤渡されて終わりだったよ。奴らヤブだよヤブ。。

自覚出来る範囲だと心の健康状態は日本に居たころと全く変わって居ない。
10代の頃からずーっと心に穴が空いていて、暗い灰色のネバネバが穴を満たしてるような感覚で生きてきたし、自己肯定感がとにかく低い人生を歩んできた。たぶん思春期からずーっとうつ病予備軍ではあったんだろうし、さらに遡ると幼少期の成功体験の少なさ、さらには早生まれで心身の成長が人よりも一年分遅れていたということに起因するのではないかとも思ってる。

自己防衛本能とは面白いものだ。
心の穴ん中の灰色ネバネバのネバネバ度がピークに達していたのが大学時代だ。
とにかく寝ても覚めても生きるのが辛くて辛くて仕方がなくて、挙句馬鹿な自傷行為にまで発展して少し後悔している。
入学直後から二年生になるまでの一年間は特にずっと最悪の気分で過ごしていたんだけど、面白いことに、あんまり覚えていない。
最悪の一年間の記憶が抜けてしまっている。
これはおそらく人間の防衛本能によるもので、俺の脳みそが親切にも悪い記憶を消してくれたのではないかと思っている。
でなければ、ただ物忘れが激しいだけだ。

昔のことばっか考えてしまうのは俺が面白くない人間になりかけているからなのかなぁ。
面白くないやつにだけは絶対になりたくないなぁ。高田純次も「歳食ったら昔話と自慢話と説教だけはするな。エロ話だけしてろ」って言うもんなぁ。
今日は調子も良くないし、なんとも沈んだ気分と重い体を引きずってる。
届く便りといえば応募した求人からのお祈りメールだけだ。

誰しもが必ず経験する様に、俺も近しい人の死をたくさん見てきた。それに加えて死について考え、想像し、絶望し、救いを求めてきた。
だからだろうか、いつの頃からかは分からないがずーーーーっと長いこと、余生を送る様な気持ちで生きてきた。
三年前このブログの初稿を「終活」と題した。
こないだブログ再開すべく見返して、わしゃなんて重苦しく小っ恥ずかしいタイトルで始めたんじゃと独り顔を真っ赤にしてたんだけど、あながち間違ってないのかもしれない。俺のどうしようもない人間性、死生観、人生観をよく表してる気がする。

万年終活生だな。
無職ニートだけに。。

ともあれ今日も普通の暮らしを営んでいる。


P.S.
写真は先月海へ行った時に掘った砂の彫刻。
二匹の究極愛玩生命体、デカいぬときゃわねこだ。
写真だとめっちゃ分かりづらいけど、いつもリビングでぐでーんと昼寝するデカいぬとまるっと丸まってチルってるきゃわねこを思い出しながら掘った。我ながら良い出来で、義母も大変気に入ってくれた。
義実家に帰ってから、良い子でお留守番した二匹におやつをあげた。

砂像きゃわねこ
砂像デカいぬ
2ショット

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