トラウマ対応へ心理職のニーズは広がるか?:PTSD概念の拡張と心理職の役割

2022年7月9日に学生さん向けにお話をさせていく機会がありました。今回の記事はその原稿の前半部です。

近年のPTSD概念の拡張によって、トラウマ臨床にこそ今後心理職が活躍できる領域が増えていくのではないか、ということについて話していきます。

PTSDの特異性

まず、トラウマによってもたらされる代表的な精神疾患である、PTSDの話から始めていきましょう。DSMという精神疾患が収録されているリストがあり、それに基づいて精神科医療は研究や治療を行っているということは皆さん知っていると思います。しかし、その中でPTSDというのは特異で、ユニークな疾患であるということについてはご存知でしょうか。

それは、PTSDという精神疾患が例外的に「病因論を採用している」精神疾患だということです。現在のDSM-5ではPTSDに加えて類似概念である急性ストレス障害(ASD)、そして適応障害という病名が同じく病因論を採用した精神疾患として収録されていますが、これはもともとDSMでPTSDがリストに採用されたことが発端となっています。そのため、病因論を採用しているということが、PTSDにユニークな特徴であると言って差し支えないであろう、と思います。

病因論と操作的診断基準

さて、病因論とは「何かしらの原因があって、その疾患が発症した」と考えるアイデアのことです。こう聞くと、もしかしたら「え、精神疾患には何かしらの原因があるからなるのでは?」と思われたかもしれません。もちろん精神疾患は無から生じることはないので、何か原因はあるとは思われます。しかし、少なくとも診断する際に用いられる概念としての精神疾患は、その中に特定の原因があって発症するものである、と考えないのですね。

これは医療における他の科の診断と、大きく異なっています。人間の疾患のほとんどが、不調の原因が特定されることによって診断されます。骨折と診断されるためにはレントゲンで骨折部位が確認されなくてはなりませんし、糖尿病と診断されるためには血糖値の上昇が血液検査で確かめられなくてはなりません。ただ精神疾患の場合、そうした「生物学的なマーカー」が見つかることはほとんどありません。

なのでまずは、観察することができる情報のみに基づいてそれを分類することを試みたのです。すなわちどのような症状が現れ、それがいつから始まり、どの程度継続しているのかということによって診断しようとしたのです。これを「操作的診断」、そしてその基準のことを「操作的診断基準」と呼びます。アメリカ精神医学会によるDSM、WHOによるICDというのが、精神疾患における操作的診断基準として有効なものとなっています。

伝統的診断基準

操作的診断基準を用いることで、精神疾患のほとんどは、その原因を特定せずに診断することができます。これに対して、操作的診断基準の導入前の診断法の中核にあったのが、フロイト以来の力動性精神医学の主な関心であった神経症理解でした。これは明確な病因論を採用しています。

フロイトの神経症理解は、精神疾患の原因を無意識の働きに求めるというものであり、生物ー心理ー社会的モデルや、心的事実に基づいた精神病理学といったものと相性が良く、心理学的志向が強いものでした。これは伝統的診断と言われるモデルであり、豊富なアイデアに溢れ、心理教育や実臨床で用いると大変便利なものです。

にもかかわらず、どうしてこうした伝統的診断が採用されていないのでしょうか。その最大の理由は、こうした診断方法では、医師によってその診断名が全く異なってしまうからです。これは、ちょっと考えればわかると思います。つまりフロイト由来の伝統的診断では、無意識の葛藤と防衛という心理的プロセスにこそ注目がいくのであって、その結果である症状というものにあまり注目しないのですね。

DSM-3における操作的診断基準の導入の背景

だからこそ、操作的診断基準が本格的に導入される以前は、診断名はバラバラで統一性がないものだったのです。その名残が垣間見えるのは、神経症、境界例、精神病といった病態水準ですね。カンファレンスや学会などで、ここが議論となることを目にしたことがあるかもしれません。

それでも、かつては問題ありませんでした。それは精神疾患の症状というものは、基本的にどうしようもすることができないものであったから、です。外科的手術や薬物によって治療ができないものが、精神疾患であったのですね。1950年代までは、明確な病因が研究によって発見されると、精神科はそれをその治療の対象外とするという対応をとっていました。その例としてあげられるのは、ビタミン欠乏性精神障害、神経梅毒ですね。てんかんはその中間的なものになっていて、現在では脳神経内科と精神科の両方が対象とするものになっていますね。

言い換えるのであれば精神疾患が「原因が明確でなく、どうすることができないもの」であったからこそ、一見不合理に見える症状に対して心理学的に接近し、人間性を拾い上げるということが精神医学の治療として大切であったのです。それまで精神疾患というのは、治療ではなく隔離の対象とされるものでした。そうやってかつては監獄に押し込められていた「狂気」に対して、人間的な接近が可能であるの述べて、「治療」の対象にしたということが、19世紀における精神医学の最大の成果と言えるでしょう(正確に言えばピネルによる「監獄からの解放」は1793年なので18世紀ですが)。

この流れの中で、シャルコーによるヒステリー研究が生まれ、フロイト・ジャネ・ユング・アドラーらによって確立したのが、力動性精神医学です。精神障害者の人間性の回復という点から捉えるのであれば、その重要性は言わずもがな、でしょう。

そして20世紀の中盤になり、精神医学は大きな転換を迎えます。ちょうど重篤な精神障害に対しては力動的精神医学に基づく精神療法には限界があることが明らかになってきた時期でした。そんな中、ジョン・ケイドのいい加減な実験によって、リチウムが双極性障害に有効であることが発見されたのです。これは精神疾患に対して、レントゲンや採血で生物学的な原因を特定することができなくとも、その薬学的な治療が可能であるということが明らかにすることになりました。そして1950年代になると、クロルプロマジン(コントミン)とイミプラミン(トフラニール)などの発見がなされました。これにより、精神疾患の薬物治療の道が一気に開かれることになったのです。

いまや精神疾患に対して、有効な新薬の開発が一刻も早く望まれる状況になったのです。しかしそうなると、精神疾患の診断名が一致しないということが大きな問題となることがわかります。薬の開発においては治験といって、厳格に定められた実験的手続きを経ることが必要となります。にもかかわらず、診断名が一致しないのであれば、その対象となる精神疾患をまともに取り出すことはできません。そんな状態では、薬の効果を確かめるための実験的手続きを取ることができないことはわかりますよね。

そこでアメリカ精神医学会が1980年に作成したのが、操作的診断基準を採用したDSM-3です。これによって、誰でもどこでも一致した精神疾患の診断が可能となりました。DSM-3に基づいて精神疾患は正しく分類され、大規模な治験の実施がされるようになりました。そして、多くの精神疾患に対して有効さが確かめられた治療薬が開発されることになります。またCBTなどの精神療法の効果も確かめることが可能になってきました。その結果として、現在の精神医学において標準化された治療法の多くが確立されました。

DSMは現在第五版まで出版され、それに基づいて多くの研究や実践が行われています。それによって、多くの人に精神科治療が提供され、救われているということは明確な事実であると思われます。

PTSDはなぜ採用された?

さて、話を戻しましょう。先に述べたように、PTSDという疾患は病因論を採用しています。ではなぜそれが、操作的診断基準のリストであるDSM-3において収録されたのでしょうか?その背景には、DSM-3が作成された当時のアメリカの社会状況があります。

1970年代を通して、アメリカではベトナム戦争の帰還兵たちの自殺、反社会的行為、奇行といったものが大きな社会的問題となっていました。映画『ランボー』で描かれた姿がまさにそれです。ベトナム戦争が終わった1975年というのは、ちょうどDSM-3の作成が始まった年です。

PTSDは最初は「ポスト・ベトナム症候群」としてDSM-3に採用するように働きかけられました。、病因論を採用しなければ、うつ病・全般性不安障害・パニック障害・妄想型の精神病の症状と全く同じであるから、ということです。

しかし戦争帰還兵というのはアメリカの社会の中では、祖国のために戦った尊敬すべき人たちです。その人たちに治療や補償が与えられないことが問題であると、政治的なロビー活動も進められることになります。そうした中でスピッツァーは重きなストレッサーに対する病的な反応をDSMに入れるための委員会を設立し、災害ストレスや犯罪被害を入れ込む形で、PTSDはDSM-3の中に採用されることになったのです。

DSMに収録されたことにより、PTSDは疾患概念として確立し、その結果として多くの治療法の効果を確かめることが可能となりました。今ではいくつかの抗うつ薬、そしてPEやEMDRなどの精神療法の効果が確かめられています。

力動的精神医学の復権としてのPTSD概念

さてPTSDですが、DSM-3においてはその中心があくまでベトナム戦争帰還兵のケアに置かれていることもあり、かなり限定的な概念でした。しかし、ジュディス・ハーマンやヴァン・デア・コークといった治療者によって複雑性PTSDやDESNOS、発達性トラウマ性障害という概念が提唱されることになり、その範囲を広げることになります。

興味深いのは、ハーマンはフロイト、そしてコークはジャネといった力動的精神医学の礎を築いた人たちの概念をアップデートして用いているということです。複雑性PTSDと力動性精神医学の共通点は、明確な病因論を採用していること、そこで表現される多様な症状よりもその背景にあるプロセスに注目しているという点です。当然、こうしたアイデアは操作的診断基準と矛盾するものとなります。そのため複雑性PTSDのDSMへの採用は見送られ続けています。

しかしながらDSMの中にPTSDの概念が含まれていますから、完全に否定することはできません。そのためにDSMが改訂される中で、徐々にその範囲を広げることとなります。現在のDSM-5におけるPTSDの項目では解離型のサブタイプを特定するように指示しており、複雑性PTSD概念を取り込んで再構築したものとなっています。そうした中、DSMと並んで操作的診断基準を採用しているリストであるICDにおいて、複雑性PTSDが診断基準として採用されることになりました。

DSM-5とICD-11におけるPTSD概念は、このようにやや異なるものとなっていて、今後どうなっていくかの見通しは不透明です。しかしPTSDの概念は徐々に広がりを見せており、現代の精神医学の体系を再構築していく一つのモーメントとなっているとはいうことができます。そしてこのPTSDの中には、かつてDSMが無くそうと試みた、力動的精神医学の体系が息づいているのです。言い換えるのであれば、力動的精神医学の復活として、複雑性PTSDという概念は見ることが可能であると思われます。

操作的診断基準は大きな実りを精神医学にもたらしました。しかしそこからこぼれ落ちるものがあったのでしょう。PTSD概念の広がりは、それを拾い上げるために必要なものであったのだと思います。

トラウマ臨床における心理職の活躍の可能性

今までの話をまとめます。かつて心理学的志向が強かった力動的精神医学においては、疾患の背景にある原因やプロセスというものに注目されていました。しかし薬物的治療の可能性が開かれるとともに、症状に基づいて分類する操作的診断基準が採用され、数多くの標準的治療が開発されることになったのです。しかし例外的にPTSDは、病因論を含んだまま診断リストに収録された病名です。この例外であるPTSD概念の広がりは、 操作的診断基準からこぼれ落ちてしまうものを拾い上げるための、力動的精神医学の復活と見ることができると思われます。

それでは、今後精神医学がかつてのような力動的精神医学に戻るのでしょうか?おそらく、それはないでしょう。薬物療法を中心とした精神科治療は、現代社会において欠かせない一部となっています。そこは医師の専権事項であるがために、どうしても多くの時間がそこに割かれてしまいます。もちろん、それは必ずしも力動的精神医学と矛盾するものではありません。しかしかつて花開いた精神病理学は、医学部における教育や実践において後回しにされてしまっています。

そこで、心理士の活躍分野となると思われます。もちろんトラウマを扱おうとする医師の先生は今後も現れ続けるでしょう。しかしどうしても、丁寧な心理療法を根気よく続ける時間は足りなくなると思われます。丁寧に生育歴を把握して、治療関係を構築し、生活を見立てることが可能な心理士こそ、トラウマ概念が拡張すれば拡張するほど、その活躍の領域は増えていくでしょう。

しかし、そこに対応するためには、さまざまな点で心理士もアップデートしていく必要があります。力動的精神医学において中心であったフロイト的な神経症理解は、トラウマを現実に起きたものではなく空想上の問題として扱うという致命的な過ちが含まれています。またロジャーズ的な傾聴型のカウンセリングや、安易な問題解決型の短期療法などは、果たしてどこまで複雑性PTSDの人に適応できるどうかは不明なところがあります。PEやEMDR、TF-CBTといったトラウマ焦点型治療法の普及も、まだまだ十分だと言えません。我々は技能を伸ばしていかなくてはならないのです。

こういわれると、どうでしょうか。もっと勉強しなきゃいけないのか、やだなぁと思ったりしないでしょうか。あるいはそんな難しそうな、大変そうなことをやらないでもいいならやりたくない、そう思ったりはしないでしょうか。

そういう人のために、後半はトラウマ臨床をやることの治療者側のやりがいというか、どういう良いことが起こるか、ということについて話したいと思います。それを考える一つの視点が、今日の表題である「生きとし生けるものは皆、複雑性PTSDである」というものになります。

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